2017年08月31日

ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む(4/5)

(4)『政治論集』を読むB――ヒュームの租税論・公信用論

 前回は、ヒューム『政治論集』のなかの3つの論説、すなわち「貨幣について」「利子について」「貿易差額について」を読みました。これらの論説は、貨幣は財貨を交換するための手段にすぎず、貨幣の動きは結局のところ、勤労の生みだす財貨の動きに規定されるのだ、という考え方(古典派経済学的な貨幣数量説)に基づいて、貨幣=金銀こそ富であり、貿易黒字によって金銀を蓄積することが国家を富裕にするのだという重商主義的な俗見を批判したものでした。しかしながら、ヒュームは、貨幣量の漸次的な増大が(すなわち貨幣量が次第に増加していく過程においては)生産活動を刺激する効果をもつことも認めていましたし、自国民と手工業の保持を目標として貿易制限を行うことは国家社会の維持発展に資するものとして肯定してもいたのでした。

 さて、今回は、「租税について」「公信用について」という2つの論説を取り上げることにしましょう。

 「租税について」では、重商主義者たちが租税に関して掲げていた「全ての新しい租税は国民のうちにそれを支払う新しい能力を創り出し、公共の負担の各々の増加は、国民の勤労に比例して増加する」という命題の妥当性が検討されています。この命題は、貧民に厳しい条件を与えれば、それだけ勤勉さが刺激されてよく働くようになるから……ということで、貧民に租税負担を課すことを合理化する理屈として主張されていたものです。ヒュームは、勤労(産業活動)を重視する自身の立場から、この命題について批判的に検討し、それが真理として通用する範囲を厳格に定めようとしたのでした。

 ヒュームの議論を少し詳しくみていくことにしましょう。

 ヒュームは、租税が貧民の勤勉さを刺激する効果をもつということ自体は、全面的に否定するわけではありません。不利な自然的条件こそが勤勉を刺激したという人類史的な事実からの類推として、人為的な不利が勤勉を刺激することがあり得るのだ、ということを認めています。

 とはいえ、ヒュームは、あまりに重い税負担は、過度の窮乏と同じく、絶望感を生み出すことによって勤労を破壊する、と釘を刺すことを忘れていません。それどころかヒュームは、現在のヨーロッパのあらゆるところで、租税がすべての技術と勤労を完全に押し潰してしまうほどに増大しているのではないか、との懸念を表明するのです。要するにヒュームは、租税について論じるにあたって、国民の勤労(産業活動)を何よりも重視する自身の見地からして、租税が産業活動を抑制しないかどうか、という点に焦点を当てているわけです。

 ヒュームが、最も望ましい税だと指摘するのは、奢侈的な消費に対する課税です。奢侈品に課税されているのであれば、人々は課税された財貨をどの程度使用するかある程度まで自由に選択することができますから、このような税の支払はある程度までは自発的なものであるとみなすことができる、というわけです。さらにヒュームは、奢侈的消費への課税について、賢明に課税されるなら自然に節制と節倹を生み出すこと、また財貨の自然価格と混同されるので消費者にはほとんど気づかれないことを、その利点として挙げています。ただし、この種の税は、徴収に高い費用がかかるという欠点があるために、財産に対する課税に頼らざるをえないことも指摘しています(*)。

 一方、ヒュームが最悪の税だとするのは、統治者が恣意的に課す税、とりわけ人頭税です。こうした税は、統治者の都合で容易く引き上げられてしまうために、勤労者にとって非常に抑圧的で耐え難いもの、端的には、勤労に対する懲罰のようなものになってしまう、とヒュームは指摘しています。また、人頭税のような逆進性の強い税は、それが不可避的にもたらす不平等によって、実際の負担よりもいっそう過酷に感じられてしまう、とも指摘しています。ここにも、勤労(産業活動)を何よりも重視するヒュームの視点が貫かれているといえます。

 さらにヒュームは、ジョン・ロックによって提唱され、重農主義者たちが受け容れるところとなった土地単一課税論に対しても批判を加えています。土地単一課税論は、商品に課された税金は、最終的には農業者(地主)に転嫁される――商人は課税分だけ値上げして商品を売るし、ギリギリの生活をしている労働者は物価の値上がり分だけ賃金を上げてもらわねば生きていけなくなるので、結局のところ、農業者(地主)が労働者の賃金や商品の値上がり分を負担しなければならなくなる――のだから、最初から土地にのみ税金を課すようにすればよい、という主張です。これは、根本的にいうならば、土地(農業)こそが価値の唯一の源泉である、という発想にもとづいたものでしたが、ヒュームはこれを、全ての者が税負担を他者に押しつけたがっているのに、ただ地主だけが他者に税負担を押しつける能力を欠いている(他者から税負担を押しつけられて大人しく黙っている)とは考えがたい、という論法で批判するのです。さらにヒュームは(1764年以降の版において)、労働者が賃金の引き上げによらず、節約と労働時間の延長によって商品価格の値上がりに対処する可能性をも指摘しています。ここには、明示されてはいないものの、勤労一般(農業労働だけでなく!)こそが価値の源泉である、という発想が暗黙のうちに前提されているのだ、といってよいかもしれません。

 さて、「公信用について」という論説は、イギリス名誉革命体制下における近代的公債制度の確立、すなわち、議会による承認と一定の財源(税収入)保障を裏づけとした公債発行が制度化されたことを歴史的な背景としたものです。この論説でヒュームは、公債は国内流通を盛んにし産業活動を促進する効果をもつ、という重商主義者たちの主張を批判的に検討しています。ヒュームは、公債には重商主義者が主張するような社会的利益をもたらす側面があることについて全面的には否定しないものの、社会的不利益の方が比較にならないくらいに大きい、という主張を展開していきます。あえて現代的な図式に当てはめて整理してみるならば、財政支出が経済の活性化に大きく貢献することを説く積極財政論者に対して、ヒュームは累積債務の膨張は持続不可能であるとして健全財政の確立を主張したのだ、ということもできます。

 ヒュームの議論をもう少し詳しくみておくことにしましょう。 

 そもそも重商主義者が公債の利益を主張したのは、公債が一種の貨幣のようなものとして金銀と同じくらい容易に時価で通用している、という事情を背景にしています。商人は、公債の保有によって商業利潤のほかに確実な利益を確保することになるために、より低い商業利潤で事業を営むことが可能になります。このため、財貨がいっそう廉価になって消費が拡大することで、一般民衆の労働が促進され、技術と産業が社会の隅々まで広がっていくのに資するに違いない、というわけです。

 しかし、ヒュームは、こうした事情はそれほど重要なものではないのに引き換え、公債に伴う不利益は国家の内的秩序に重大な悪影響を及ぼすものであることを力説していきます。ヒュームは、公債のもつ不利益として、次の5つを挙げています。

 第一は、地方の負担で首都に住む公債所有者への利払いがなされることによって富が首都へ集中させられることです。

 第二は、一種の紙幣である国債の流通増大によって物価が高騰してしまうことです。

 第三は、利払いのための増税が勤労者への負担となってしまうことです。

 第四は、外国人の公債所有によって労働力と産業活動の国外移転の可能性が生じることです。

 第五は、公債の利子収入で生活が可能になることで、怠惰な生活スタイルが蔓延してしまうことです。

 以上の5点にわたって公債の社会的不利益(国家の内的秩序への悪影響)を指摘したヒュームは、これらの損害は無視し得ないものであるものの、対外的に独立した国家――諸国家から構成される社会のなかで自立しなければならず、戦争や外交交渉において他の諸国家と対峙しなければならない政治体としての国家――に帰する損失と比べれば、取るに足りないものである、としています。つまり、国家の独立を危うくしてしまうことこそが、公債の最大の弊害であるとヒュームは主張するのです。

 ヒュームは、公債の膨張は持続不可能であり、国民が公信用を破壊してしまうか、公信用が国民を破滅させてしまうか、どちらかになるしかない、といいます。ヒュームは、公信用死滅の3つの形態として、“医者による死”“自然死”“暴力死”の3つの形態を挙げています。“医者による死”というのは、公債償還のための冒険的な試みが全機構を崩壊させるケースであり、“自然死”というのは、戦争や災害などの危機に際して国家が公債の返済を放棄してしまうケースです。これら2つのケースは、国民が公信用を破壊する(数百万人の国民の安全のために数千人の公債保有者を犠牲にする)形態であるとされています。これらに対して、“暴力死”というのは、公債の膨張による国家の弱体化が他国の侵略と征服を導いてしまうケースです。このケースは、公信用が国民を破滅させる(数千人の公債保有者の一時的な安全のために数百万人の国民が永久に犠牲にされてしまう)形態であるとされ、公債の膨張がもたらす最悪の結果だとされています。

 このように、ヒュームは、公債の膨張が社会的に大きな不利益を伴うものであり、最悪の場合は国家の破滅をもたらしてしまうことに強い警告を発したのでした。

(*)ちなみに、当時はまだ所得税なるものは成立していませんでした。個人の所得を正確に把捉してそこに課税する、というような高度な徴税技術はまだ確立していなかったのです。イギリスでは、1799年にナポレオン戦争の戦費調達のために所得税が導入されましたが、以後、導入と廃止がくりかえされ、所得への課税が定着するのは1840年代に入ってからのことです。
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 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言