2017年08月30日

ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む(3/5)

(3)『政治論集』を読むA――ヒュームの貨幣論・利子論・貿易差額論

 前回は、ヒューム『政治論集』の最初の2つの論説、すなわち「商業について」と「奢侈について」を読みました。「商業について」は、国民の幸福と国家の強大さの両立という問題を、社会的総労働の適切な配分――農業、基本的な手工業、奢侈品の生産・流通業、および軍隊――による生産力の発展という観点から論じたものであり、生産力の発展を牽引する社会的認識のあり方――物質的・精神的により豊かな生活を送りたいという人間の諸欲求――に焦点が当てられるとともに、格差と貧困の拡大を放置することが国家を弱体化させることも指摘されていました。「奢侈について」は、奢侈あるいは機械的技術における洗練がもつ意義について、単に経済的な領域にとどまらず、国民精神のあり方全体を視野に入れて論じたものであり、勤労と機械的技術における洗練が学問・芸術の発展と相互浸透的に進行していくものであること、さらにこうした過程のなかで人間が社会的交際を通じて、人間性を高めていくことも強調されていました。

 さて、今回は、「貨幣について」「利子について」「貿易差額について」という3つの論説を取り上げることにしましょう。

 ヒュームは、「貨幣について」において、産業活動の発展のなかで貨幣がどのような役割を果たすものであるのか、論じています。ここで基調になっているのは、貨幣は単なる交換手段であり、その量の増大は物価の高騰をもたらすだけである、という主張です。これは、経済学史の用語でいえば「機械的な貨幣数量説」と呼ばれる考え方(貨幣数量は物価水準に機械的に動かすだけ、という考え方)にほかならず、貨幣=金銀こそが富であるという(貨幣量の増大を富の増大と同一視する)重商主義的な考え方に対抗して主張された、古典派経済学に特徴的な主張です。つまり、ヒュームの貨幣論は、古典派経済学の貨幣数量説を先駆的に主張するものであった、といえるわけです。

 一方でヒュームは、貨幣量の漸次的な増大が(すなわち貨幣量が次第に増加していく過程においては)、生産活動を刺激する効果をもつことをも認めています。このような考え方は、経済学史の用語では「連続的影響説」と呼ばれるもので、重商主義的な主張です。古典派経済学的な主張と重商主義的な主張を併存させている点に、ヒューム貨幣論の重要な特徴があるともいえます。

 さて、ヒュームの貨幣論をもう少し詳しくみておきましょう。

 ヒュームは、財貨の価格は貨幣の多寡に常に比例するから、一国の幸福にとって貨幣量の多寡それ自体は何ら重要でないことは明らかである、と主張します。さらに、貨幣が他国より豊富であるということは、外国人との通商において、一国民の損失となることさえありうる、と主張するのです。ヒュームは、人間に関わる事柄には諸々の要因の絶妙な噛み合わせ(happy concurrence of cause)があり、貿易の発展や富の増大を一定の限度内に押しとどめ、貿易や富の一国民による全面的独占という事態の発生を防止している、と説きます。どういうことかといえば、商業が確立された国は、貨幣の豊富による物価高騰という不利益を避けることができないのであり、その結果、全ての国外市場において、豊かな国は貧しい国よりも安く販売することが不可能となり、それ以上の富の蓄積に歯止めをかけられてしまう、ということです。

 以上は、貨幣の数量は物価水準に影響を与えるだけだ、という考え方に基づく主張ですが、一方でヒュームは、貨幣量が次第に増加していく過程においては、生産活動を刺激する効果をもつことをも説いています。ヒュームは、物価の高騰は金銀貨が増大した途端に生じるものではなく、貨幣が国内に隈なく流通し、その影響が全ての階級の人々に及ぶまでにいくらかの時間が必要であることに注意を促します。まず、ある部門で労働の対価として以前より多くの貨幣を得られるようになったとしても、貨幣量の増大の影響はまだ社会全体に行き渡っていないために、生活必需品や便益品の価格は以前と同じですから、その部門の労働者は、以前より良い飲食等ができるようになり、喜んでよりてきぱきと働くようになります。こうして、いかなる国であっても、その国へ貨幣が大量に流入しはじめると、労働と勤労(産業活動、生産意欲)は活況を呈し、商人はより積極果敢になり、手工業者はいっそう勤勉と熟練を増し、農民までもが鋤を迅速かつ慎重に動かしていくようになる、というのです。

 このようにヒュームは、流入してきた貨幣が物価を騰貴させてしまう前に個人の勤勉の度合いを高める効果をもつことを指摘したのでしたが、「貨幣について」という論説で基調になっているのは、あくまでも貨幣数量説的な主張であり、国家の富裕は貨幣が豊富になった結果である、という俗見を批判することこそがヒュームの狙いであったことは、改めて確認しておく必要があります。

 これに続く「利子について」という論説もまた、国家の富裕は貨幣が豊富になった結果である、という俗見を批判しようというものです。当時、利子が低いことは国家の繁栄の証だ、と考えられていたのですが、ヒュームはそのこと自体は認めながらも、貨幣の豊富こそが低利子率をもたらしているのだ、という通念については厳しく批判するのです。その論拠となったのも、貨幣の多寡は物価の高低に帰結するだけである、という貨幣数量説的な発想にほかなりませんでした。

 この論説で、ヒュームは、利子の高低を決める要素を3つあげています。そのうち2つは、貨幣の貸借における需給関係です。貨幣需要(大きければ利子は高く、小さければ利子は低くなる)については、商工業が未発達で土地所有者階級しかいない段階においては、土地所有者が浪費的(土地からの固定した収入を消費するだけでは大して楽しくもないので、快楽を求めずにはいられない!)であることから借り入れへの需要が大きくなるのだ、と論じています。一方、貨幣供給(需要を満たす富が小さければ利子は高く、大きければ利子は低くなる)については、商業の発展によって、まとまった貨幣額をもつ大金持ち層(monied interest)が形成されてくることが、貨幣供給量の増大につながることを指摘しています。結局、商業の発展が、貨幣需要の減少、貨幣供給の増大の両面において利子率の低下を導いていく、というのがヒュームの結論です。

 ヒュームは、貨幣の需給関係に加え、商業利潤の高低を、利子率の高低を決める第三の要素として論じています。ここでは、低利子と低利潤が相互に促進し合う関係にあることが論じられています。商人が大きな資本を蓄積すると、そのまま商業活動を継続するか、それとも商業活動から撤退して利子取得者になるか、という選択を迫られるケースが出てきます。商業活動から撤退する場合は、社会における資金供給の豊富さのために、非常に低い利子しか受け取れないでしょう。そのため、低利潤に甘んじながら商業活動を継続せざるをえない場合も多くなります。そもそも広範な商業の発展は、競争を通じて商業利潤の低下をもたらすのですが、この低利潤は、商業活動から撤退する際に、極めて低い利子を受け入れさせるように働くのです。

 以上のように、利子の高低を決める3要素について検討したヒュームは、利子率は国家の状態のバロメーターであり、低利子は国民の繁栄状態のほとんど間違いない証であると述べ、低利子は勤労の増大と国家全体に及ぶ勤労の速やかな循環とを証明するものである、と結論づけています。

 続いての論説「貿易差額について」において、ヒュームは、外国商品に税を課すなどして貿易を制限することで貨幣の国外流出を押しとどめようという重商主義の核心的な思想・政策を正面から批判しています。その根拠となるのも、貨幣は財貨を交換するための手段にすぎず、貨幣の動きは結局のところ、勤労の生みだす財貨の動きに規定されるのだ、という考え方にほかなりません。これは、自由貿易を主張する古典派経済学への道を拓くような論といえますが、注目すべきなのは、ヒュームが貿易制限を全面否定しているわけではなく、国家社会の維持発展という観点から一定の制限を課すこと自体は認めている点です。

 もう少し詳しくみておくことにしましょう。

 ヒュームは、ある国家が国民と勤労を保持するかぎり、貿易赤字が累積され続けるという結果はありえないことを一般的に証明するために、以下のような思考実験を行います。

 ある国の貨幣(金)が突然に大幅に減少したとすれば、その国の物価(金で表示された価格)は大きく低下し、輸出が著しく有利になります。その大幅な輸出超過の結果、当該国の物価が周辺諸国とだいたい同じ水準に上昇するまで、貨幣が流入してくることになります。逆に、ある国の貨幣が突然に大幅に増加したとすれば、その国の物価は大きく上昇し、輸出が不利になり、国外から低廉な製品が大量に流入してくることになります。この大幅な輸入超過により、当該国の物価が周辺諸国とだいたい同じ水準に低下するまで、貨幣が流出していくことになるわけです。これが、経済学史上におけるヒュームの不滅の貢献として有名な、金本位制の自動調節作用についての説明です。

 しかしながら、ヒュームは、外国の商品に課される全ての租税が有害あるいは無益だとみなされてはならない、とも主張しています。貿易を通じて貨幣を失ってしまうのではないか、という誤った猜疑心にもとづく関税だけが有害で無益なのだ、というわけです。ヒュームは、正当な貿易制限の事例として、国内手工業を奨励するためにドイツ製リンネル(亜麻布)へ課税することや、ラム酒の売れ行きを増大させて南部植民地を支えるためにブランデーへ課税することなどをあげています。

 ここは、ヒュームの経済思想も結局は重商主義の枠内にすぎなかった、という主張の根拠ともされる部分ですが、ヒュームにおいては、(富としての金銀量の増大ではなく!)自国民と手工業の保持ということこそが最大の政策目標であるべきだと考えられていた点にこそ注目すべきでしょう。
posted by kyoto.dialectic at 06:38| Comment(0) | 経済学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言