2017年08月28日

ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む(1/5)

目次

(1)ヒューム経済思想の歴史的・現代的意義とは
(2)『政治論集』を読む@――ヒュームの商業論・奢侈論
(3)『政治論集』を読むA――ヒュームの貨幣論・利子論・貿易差額論
(4)『政治論集』を読むB――ヒュームの租税論・公信用論
(5)ヒュームは政治と経済を一体に、国家社会の維持発展という観点で論じている

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(1)ヒューム経済思想の歴史的・現代的意義とは

 今から5年前のことになりますが、2012年10月11日付『朝日新聞』の「カオスの深淵」という欄に「危機読めない経済学」と題された記事が載りました。そこには、以下のように書かれていました。

「エリザベス英女王がなにげなく口にした疑問に、英国の経済学者たちは激しく動揺した。
 2008年11月、経済学の名門ロンドン大経済政治学院(LSE)の開所式。来賓の女王が尋ねた。
「どうして、危機が起きることを誰も分からなかったのですか?」
 米証券大手リーマン・ブラザーズ破綻から始まった金融危機が深まっていた。居合わせた経済学者は、充分な返答ができなかったようだ。
 学者や実務家らが集められて討論し、手紙で女王に報告した。「金融市場や世界経済について多くの警告はありましたが、分析は個々の動きに向けられました。大きな絵を見失ったことが、ひんぱんにありました」。手紙に署名した一人、LSEのティム・ベズリー教授は言う。「誰も全体を見ていなかった」
 経済学者は政策を示すエリートだ。しかし、本当に役に立つのか。よってたかって処方箋を書くのに、なぜ景気はよくならないのだろう。」


 要するに、経済の「個々の動き」にばかり気をとられて、「大きな絵」「全体」を見失ってしまうところに、現代の経済学が経済的な諸問題をまともに解決できない根本的な原因があるのではないか、という指摘です。例えば、この記事が出た後に成立した第2次安倍政権の下では、日銀が本気になって金融緩和を継続すれば必ずデフレから脱却できる、と主張するいわゆる“リフレ派”の経済研究者が日銀副総裁になって、異次元の金融緩和が進められてきましたが、ご存知の通り、デフレ脱却というハッキリとした成果は出せないままでいます(*)。これもまた、貨幣供給量とか物価とかの「個々の動き」に囚われて、経済全体の「大きな絵」を見失ってしまった典型的な事例だといえるのではないでしょうか。

 もっと大きくいえば、現代経済学の混迷は、そもそも、効率的な資源配分の場としての市場を、社会の他の部分から切り離して究明しようとしているところに根本的な原因があるといえるかもしれません。それだけに、経済学が独立した学問として確立される直前、経済的な問題が社会の他領域との関連でどのように論じられていたのかを探究することが、現代経済学の行き詰まりを打開していく上で大きなヒントとなるのではないか、とも思われるのです。

 経済学の確立に大きな役割を果たした人物として、18世紀スコットランドの3人――ヒューム、スチュアート、スミス――を挙げることができます。このうち、ジェームズ・スチュアート(『政治経済の原理』、1767)は、通常、重商主義的な思想を集大成した人物として知られています。重商主義というのは、端的には、貿易黒字で金銀=富を蓄積することが大切だという思想のことです。金銀という具体的な形をもったもの(目で見たり手で触ったり、感性的に捉えられる物体)こそが富であるとした現象論レベルの思想であり、外国貿易を通じて資本主義的な経済が生成発展していくなかで、自然成長的に形成されてきた社会的認識だといえます。スチュアートは、そのような自然成長的な認識を整理整頓して、それなりのレベルで論理化した存在であり、学者というよりは超一流の経済評論家のような存在だったといえるでしょう。

 これに対して、アダム・スミス(『諸国民の富の本質と原因に関する研究』、1776)は、重商主義を乗り越える古典派経済学を確立した人物として知られています。古典派経済学は、端的には、労働こそが富の源泉であり、労働生産性を向上させていくことが国家の豊かさにつながるのだという考え方を基礎にしています。つまり、スミスは、直接には目で見たり手で触ったりすることができない労働というものこそが富の源泉である、としたわけです。現象論レベルから構造に一歩踏み込んで経済の本質的なところを論理的に把握しようとしたわけで、一流の哲学的認識をもった経済学者であったと評価することができるでしょう。

 それでは、スチュアートやスミスに対して、ヒューム(『政治論集』、1752)についてはどのように評価することができるのでしょうか。端的には、ヒュームは、重商主義的見解を批判的に検討することを通じて古典派経済学への道を切り開いていった存在だ、ということができます。過渡的段階に属するだけに、どちらの側面をより重視するかによって、重商主義の枠内にすぎないという評価も成り立ちますし、古典派経済学の先駆者だという評価も成り立ちうる(**)わけですが、結局のところ、ヒュームの経済思想は、どのような歴史的意義をもったものだと評価するべきなのでしょうか。また、ヒュームの経済思想は、現代経済学の混迷を打開していく上で、どのようなヒントを与えてくれるものなのでしょうか。本稿では、このような問題意識をもって、ヒューム『政治論集』を読んでいくことにします。

 それに先立って、ヒュームの学問的構想全体のなかで『政治論集』がどのように位置づけられていたのかを、簡単に確認しておくことにしましょう。

 ヒュームは処女作『人間本性論』(1739)の序論において、@論理学(人間の推理能力の原理と作用、観念の本性を究明するもの)、A道徳論(我々の趣味と感情を究明するもの)、B文芸論(道徳論と同じく、我々の趣味と感情を究明するもの)、C政治論(結合して社会を形成し、相互に依存し合うものとしての人間を考察するもの)の4部門からなる構想を示し、その基礎として人間性の原理の究明が必要であること、その方法は実験と観察でなければならないことを主張しています。『人間本性論』は、この4部門のうち論理学と道徳論に該当する内容を含むものですが、その論理学における有名な因果律批判(原因と結果とのつながりは客観的なものではなく、ある出来事の後に別の出来事が続いて起ることを何度も繰り返して経験することによって形成される主観的な信念にすぎない、という議論)は、自然科学(自然哲学)と社会科学(道徳哲学)に共通する方法論の確立を目指すものとしての意味をもっていたわけです。

 さて、本稿で取り上げる『政治論集』は、先の4部門構想のうち、政治論に相当する内容を含むものにほかなりません。1752年に出版された初版には、以下の12の論説が含まれていました(ちなみに、その後『政治論集』は増補改訂を繰り返され、新たな論説が次々と追加されていき、タイトルも『いくつかの主題についての論集』に変更されています)。

1.商業について
2.奢侈について
3.貨幣について
4.利子について
5.貿易差額について
6.勢力均衡について
7.租税について
8.公信用について
9.若干の注目に値する法慣習について
10.古代諸国民の人口稠密について
11.新教徒による王位継承について
12.完全な共和国についての設計案


 『政治論集』は、そのタイトルからしても、論文集としての体裁からしても、スチュアート『経済の原理』やスミス『国富論』に比して、政治経済論としての体系性に欠けるような印象がありますが、内容を突っ込んで検討してみれば、必ずしもそうとはいいきれません。

 『政治論集』において注目すべきは、何よりもまず、「政治論」といいながら経済的な問題を正面から取り上げた論説が大半を占めている点です。現代的な感覚からすれば経済問題として分類されるような諸々のテーマ(貨幣、利子、貿易差額、租税、公債など)が、あくまでも政治の問題として、換言すれば、国家社会の維持発展に関わる問題として、論じられているのです。これは、経済学の未確立という当時の学問的な状況を示すものではありますが、根本的にいえば、経済の政治からの未分化という社会の歴史的な発展段階の反映にほかなりません。『政治論集』で扱われているテーマ(商業、奢侈、貨幣、利子、貿易差額、租税、公信用)は、いうまでもなく、名誉革命体制下イギリスの社会状況に規定されたものであり、いわゆる重商主義的な経済思想のなかで取り上げられてきたものです。

 それでは、次回以降、『政治論集』のうち、商業、奢侈、貨幣、利子、貿易差額、租税、公信用に関わるヒュームの論考を順次取り上げながら、ヒュームの経済思想が、現代経済学の混迷を打開していく上でどのようなヒントを与えてくれるものなのか、探っていくことにしましょう。

(*)服部茂幸『偽りの経済政策――格差と停滞のアベノミクス』(岩波新書、2017)は、この経済研究者の醜態(見苦しい言い訳)を完膚なきまでに叩きのめしていて痛快である。

(**)後者の見方をとる場合、古典派経済学の確立者とされるスミスとの関係(スミスはどのような点でヒュームを発展させたのか)が問題になりうる。極端なものでは、スミス『国富論』はヒュームを超えるものではなかった、という見解も存在する。例えば、20世紀を代表する経済学者であるシュンペーターは、大著『経済分析の歴史』において、ヒュームについて以下のように述べている。

「まさにこれ〔自動調節機構についての論――引用者〕を射抜いた者のなかでももっとも傑出していたのは、カンティヨンとヒュームであった。ヒュームの論文が若干の異論を引き起こした事実は、かえって彼の功績の証となるものである。……本質的には、彼の業績は「重商主義的」遺産から誤謬の塵を払い落としたこと、およびこれらの部品一つのきちんとしたよく発達した理論に組み立てたこと、にある。そして以上がすべてである。この世紀〔18世紀――引用者〕の残りの期間には、大きな重要性を持ったものは何も付加されなかった。『国富論』においてアダム・スミスはヒュームを抜きんでることなく、むしろ彼以下に留まった。実際のところ、ヒュームの理論は、自動調節の媒介手段としての価格の運動に対する彼の過度の強調をも含めて、実質上は今世紀の二〇年代にいたるまで、少しも挑戦されるところがなかったと言っても、真理から隔たるものではない。」(シュンペーター『経済分析の歴史(上)』岩波書店、p.664)


 ここでのシュンペーターの評価は、市場の自動調節機能の把握という非常に限定された基準によるものでしかないことに注意が必要である。『国富論』は、市場の自動調節機能を主として問題としたものではなく、国家社会の全体を視野に入れて諸々の問題に筋を通して論じていることにこそ意義があるものである。スミスがヒューム以下にとどまったというのは、市場の自動調節機能の把握という「個々の動き」に囚われて、経済学の発展の「大きな絵」「全体」を捉えそこなった評価だといわざるをえない。
posted by kyoto.dialectic at 06:25| Comment(0) | 経済学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言