2017年08月27日

夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想(5/5)

(5)夢の解明のためには学問が必須である

 本稿は,哲学レベルで説かれている南郷継正『“夢”講義(4)』を読んで,学んだことを認めることによって,学習内容を明確にし,しっかり自分のものにしていくためにこれまで執筆してきた。ここで,これまでの内容を簡単に振り返っておきたい。

 初めに,「学問は原点からの歴史性に学んでこそ措定できる」(p.72)と説かれている内容を取り上げた。ここではまず,哲学というのは,原点からの歴史性に学んでこそ,措定できるのであり,成立しうるものなのであるということが説かれていた。哲学の原点は,「森羅万象すなわち全世界をしっかりと把握したいという」願望にあり,その原点を踏まえたうえで,古代ギリシャから自分の時代までの学問史を一身の上にくり返すことこそが,哲学へ到達可能な道なのである,ということであった。これはあらゆる学問分野に当てはまることであるが,原点からの歴史性に学ぶ必要があるのは,原点にこそ,そのものの本質が端的な形で現れているため,そのものの本質を掴みやすいからであり,この世のありとあらゆるものの発展は,段階を踏んでなされているものであり,前段階の実力をしっかりと身につけてこそ,次の段階へと発展していけるという,発展の論理構造があるからであった。これを踏まえて,本書では弁証法や認識論の歴史性についても説かれていた。認識論の歴史性に関しては,心理学誕生の謎解きがされていた。すなわち,人間において,本能以上の働きをし始めたココロが,本能レベルの安定性を求めて宗教を創造することになり,ココロの問題は,一般性をもったレベルのものであっただけに,宗教による画一的な教えによって解消されていたが,資本主義社会になるに至り,個人が主体性を帯び,ココロが特殊性や個別性を帯びるように変化したため,心理学が誕生したのだ,ということであった。

 次に,本書で説かれている弁証法の基本について取り上げた。まず,弁証法の歴史的過程については,弁証法は歴史的にはさまざまな姿形をとっているが,その実態・実体は,弁証法の原点たる古代ギリシャ時代に見るがごとく,学問(というより論理体系レベルのもの)の創出できる論理的な実力形成への歩き方の方法である,それが,時代時代によって変化・発展していき,さまざまな姿形として現象してきているだけであるという趣旨のことが説かれていた。次に,直接と直接的同一性の論理的区別を確認した。ここに関わっては,「直接に同一」と「直接的な同一の性質」とは大きく異なるのであり,これは「人間」と「人間的」の関係と同様だと説かれていたのであった。第三に,『弁証法はどういう科学か』旧版のあとがきについて,その意義と重大性を検討した。本書では,「この「あとがき」を読んでから弁証法の深い学習に入るばあいと,この「あとがき」を知らないで学習に入るばあいとでは,その実力のつき方が全く異なっていく」,「はっきり述べて,私はこの「あとがき」の文言がなかったならば,恩師三浦つとむの著作との精神レベルでの交流はなかった」(p.166)などと説かれていた。あとがきを読むと,三浦つとむの志の高さや気概,責任感・使命感の強さの他に,権威を恐れずにその誤りを批判して憚らない主体性が痛いほど伝わってくるのであり,これを読めばこそ「人生,意気に感ず」レベルで弁証法の学びに入っていけるのだと説いた。

 最後に,認識の成立と社会の関係を中心に検討して,認識論の理解を深めようと試みた。第3編第3章では,人間は社会からの反映でもって育ってくるのであり,私たちの認識は必ず社会を反映しているし,社会を反映した像しか原形としては存在していないと説かれていた。そして,ここでいう社会とは,生活している範囲の身近な小社会のことであるとされていた。そして,夢も認識=像であるから,社会関係の足跡の全くないものとはなれず,それだけに,夢の問題を学問レベルで説くためには,社会に関わる大勉強が要求されるのだと説かれていた。要するに,社会が違えば,それに応じて創られる認識も違ったものになるのであるから,認識のことをしっかりと理解するためには,「世界史を初めとする歴史や政治,経済などの社会に関わる大勉強」が必須だということであった。その社会は,時代性,国家性・地域性,小社会性に応じて千差万別であるから,その普遍性・特殊性・個別性をしっかりと押さえない限り,その社会的外界を反映して創られる人間の認識をしっかりと解明することはできないのだと説いておいた。さらに,認識論の基本用語ともいえる,「像」「感覚」「感情」「感性」についても,本書で説かれている内容を確認した。像とは脳の中に描かれたものであり,感覚とは実体としての感覚器官の機能(働き)であるがゆえに,感覚だけではまだ像ではない,「この感覚が脳そのものに反映されて脳の中に自身が『何か』を描く時,『何か』が描かれた時,この描かれたもの,描いたもののことを『像』という」と説かれていた。また,感情と感性については,脳の中での像が量質転化するだけではなく,感覚するということ自体が量質転化し,さらに実体である五感覚器官も量質転化していくのであり,こうして量質転化できていったあるレベルの状態を感情といい,この感情の一般的なあり方を感性という,と説かれていた。

 以上,本稿の内容を端的にまとめ直した。

 本稿の最後に,本稿で採用されている論の展開について考察しておきたい。本書では,読者からの質問に答えながら,論を展開している部分が多い。これには,どのような意義があるのであろうか。筆者は3つあると考える。

 第一に,読者からの質問に答えて,より丁寧にとき直すことによって,自身が説きたかった内容がより明確になっていく,ということが挙げられる。自分の表現した言語は,自分の認識を表現しているだけに,自分が読み返しても論の不十分な点や不明瞭な点が分かりにくい。自分の頭の中にある像でもって問いかけ的に読み返してしまうため,これで十分だと反映してしまいがちなのである。ところが,他者が自分の論理展開を読んだ場合は,そのような問いかけ像がないために,純粋に言語表現されているもののみを根拠に論の展開を追おうとする。すると,不十分な点や曖昧で不明瞭な点がよく分かるものである。その点を質問されると,分からないといっているのだから,より丁寧に説き直すことになる。それによって,自分自身もいいたかったこと,説きたかった内容が,より明瞭になっていくのである。

 第二に,自己の論理展開をくり返し原点から辿り返せるという意義がある。質問されると,少し前に説いた内容を,もう一度説くことになる。今説いていることとは相対的に独立した内容であるし,少し前の内容であるだけに,もう一度,なぜそれを問題にしたのか,それに対してどのような答えを出したのかということを説き直すことになる。本稿の連載第2回でも説いたように,このような原点からの辿り返しは,次の段階へと発展していくために必須のものである。すなわち,少し進んではまた原点に戻って,そこから説き直し,少しだけ進む,ということをくり返すことによってこそ,自らの実力が前段階をしっかりものにして,正当に発展していくことになるのである。

 第三に,読者からの質問・疑問をしっかりと読み,それに答えていくことによって,自らが行う一人きりの二人問答の実力があがっていく,その精緻化につながるといえる。これはどういうことか。そもそも一人きりの二人問答とは,自らが何らかの立論をした場合,すぐさま,それの批判者の立場に立って,自らの立論に対する疑問点を出し,論駁し,反論する,ということをくり返して行なっていくものである。この際,自分の見解に対して疑問点を出したり,反論したりということは,実際に誰かから疑問点を出されたり,反論されたりという経験を内在化していくことによって,うまくできるようになっていくものである。であるからして,実際の他者から疑問点を出してもらい,反論してもらうというようなことは,他者がいなくても,一人きりの二人問答によって自らの認識を発展させていくことができるようになる,いわば前提条件といえるのである。

 以上の3点は,われわれが研究会において議論し,討論していく際にも,常に念頭に置いて意識しておくべきことだと考えられる。すなわち,会員同士で,相手の書いた論文に対してしっかりと質問したり疑問点を出したりすることによって,問われた方は相手に分かるように,より丁寧な論理展開を試みる。それによって,自分の像がよりクリアーなものになっていく。同時に,説きたかった内容を原点から再度説き直すことによって,自分の上達に向けて,前段階の実力を常態化・常識化していくことが可能となる。さらに,他者からの疑問や反論を内在化して,事前に,他者がいなくても,一人きりの二人問答を展開することによって,より隙きのない論理展開が可能となっていき,自分の認識を発展させていくことが可能となるのである。

 このようなことを実現化していくためにも,われわれはより積極的に議論し討論していかなければならない。相手の論に疑問点をぶつけ,質問していくことは,相手の認識を発展させることにつながり,ひいては,組織全体のレベルアップに貢献することなのである。このことをしっかりと肝に銘じて,今後の研究会活動を行っていきたいと思う。

(了)
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 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
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 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
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 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
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 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
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 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
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 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
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 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言