2017年08月12日

2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2(5/10)

(5)カント『純粋理性批判』原則の分析論 第2章第3節1・2

 前回は,『純粋理性批判』原則の分析論の第2章第2節から第2章第3節にかけての部分の要約を紹介しました。そこでは,いかなる対象も,可能的経験における直観の多様な内容の綜合的統一の必然的条件に従うものであるという,一切の綜合的判断の最高原理が説かれていました。そして,純粋悟性の原則とは,カテゴリーを客観的に使用するための規則のことであり,「直観の公理」「知覚の先取的認識」「経験の類推」「経験的思惟一般の公準」の4つであることが説かれていました。

 さて今回は,今挙げた4つの原則のうち,「直観の公理」と「知覚の先取的認識」とについて説かれている部分の要約を掲載します。「直観の公理」に関しては,その原理は「直観はすべて外延量である」とされ,「知覚の先取的認識」については,その原理は「およそ現象においては感覚の対象をなす実在的なものは内包量即ち度を有する」であると説かれ,それぞれその証明がなされていきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

1 直観の公理

その原理――直観は全て外延量である

証明

 およそ現象は,形式的に見れば全て空間あるいは時間における直観を含んでいるから,現象が覚知されるためには(現象が経験的意識に取り入れられるには),多様なものの総合によるよりほかに方法がない。要するにある一定の空間および時間の表象は,この総合によって,同種的なものの合成と同種的な多様なものの総合的統一の意識によって生じるのである。ところで直観一般における同種的な多様なものの意識は,対象の表象を初めて可能にするものであるが,この意識がすなわち量(外延量)の概念である。それだから現象としての対象の知覚すら,感覚的直観において与えられた多様なものの総合的統一によってのみ可能である。この同じ総合的統一によって,同種的な多様なものの合成の統一が量の概念において考えられるのである。換言すれば,およそ現象は全て量であり,しかも外延量である。空間および時間における直観としての現象は,空間および時間一般を規定する総合と同じ総合によって表象されねばならないからである。
 私がここで外延量というのは,そのなかでは部分の表象が全体の表象を可能にする(したがって部分の表象が必然的に全体の表象よりも前にある)ような量のことである。私が1本の直線を引くにしても,これを考えのなかで引いてみないことには(考えのなかである1点からこの線の全ての部分を順次作り出し,こうしてこの線の直観を描いてみないことには)どんな短い線でも実際に引くことはできない。このことは時間についても――たとえどんなに短い時間についても,全く同様である。それだから時間についていえば,私は時間においてあるひとつの瞬間から他の瞬間までの継続的進行を考えてみさえすればよい。そうするとこの進行のままに,全ての部分的時間とそれが順次に付け加えられていくこととによって,ついに一定の時間量が作り出されるのである。あらゆる現象について,純粋直観は空間であるかさもなければ時間であるから,およそ直観としての現象は全て外延量である。現象は(部分から部分への)継続的総合によってのみ,覚知において認識され得るからである。ゆえに一切の現象は,すでに集合(前もって与えられている諸部分の総量)として直観されるのである。しかしこのことは,どんな種類の量についても常にこうなるというわけではなく,我々によって外延量として表象され覚知されるような量についてだけの話である。

2 知覚の先取的認識

その原理――およそ現象においては感覚の対象をなす実在的なものは内包量すなわち度を有する

証明

 知覚とは経験的意識のことである。換言すれば,同時に感覚をも含んでいるような意識である。知覚の対象としての現象は,空間および時間のような(全く形式的な)純粋直観ではない。それだから現象は,直観を越えてそれ以上に,なお何らかの客観一般に対応する質料(空間あるいは時間において存在するものは,これによって表象される),すなわち感覚における実在的なものを,単なる主観的表象として含んでいる。経験的意識にから純粋意識に至る漸減的変化は可能である。経験的意識における実在的なものが全く消滅して,空間および時間における多様なものの純粋に形式的な(ア・プリオリな)意識が残るからである。それだから,感覚がゼロすなわち純粋直観から始めて次第に増大し,任意の量まで達すること(感覚の量を次第に算出していく総合)も可能になるわけである。感覚自体は決して客観的表象ではないし,また感覚には空間の直観もなければ時間の直観もないのだから,感覚はなるほど外延量をもつものではないが,しかしそれにもかかわらず,ある種の量をもつ(しかもそれはこの量を覚知することによるのである。つまり経験的意識は,この覚知においてある時間に無すなわちゼロから,その都度達した量まで増大し得るのである)。これがすなわち内包量である。知覚は感覚を含んでいるから,感覚が内包量をもつ以上,これに対応して知覚のあらゆる対象にもまた内包量,すなわち感官に及ぼす影響の度合いがあるとしなければならない。
 経験的認識に属するところのものを,ア・プリオリに認識し規定し得るような認識を,全て先取的認識と名づけることができる。しかし現象は,ア・プリオリには決して認識されないような何かあるものを含んでいるのであり,これが本来,経験的認識をア・プリオリな認識から区別するところのものである。すなわちそれは知覚の質料としての感覚である。感覚は,もともと先取的には決して認識され得ない。これに反して空間および時間において,形態なり量なりを純粋に規定することは,現象の先取的認識と呼ばれてよい。こうした純粋な規定は,経験においてア・ポステリオリにのみ与えられるところのものをア・プリオリに示すものだからである。しかしおよそ感覚には,感覚一般として(個々の感覚が与えられていようがいまいが)ア・プリオリに認識されるようなものがあると仮定するなら,それは特殊な意味で先取的認識とよばれてよい。
 感覚だけによる覚知はある瞬間を充たすにすぎない。現象の覚知は,部分から全体的表象へ進むような継続的総合ではない。それだから感覚はこうした性質のものとして,現象において外延量をもたない。経験的直観において感覚に対応するものは実在である。また感覚の欠無に対応するものは否定すなわちゼロである。如何なる感覚も漸減し得るものだから,感覚は次第に減じてついに消滅することがありうる。それだから現象における実在と否定との間には多くの可能的な中間的感覚を含む連続がある。
 内包量というのは,単一性としてのみ覚知されるところの量である。この量においては数多性は否定すなわちゼロに近接することによってのみ表象される。だから現象における実在は全て内包量すなわち度を有する。こうした実在を原因(感覚の原因であると,現象における別の実在――例えば変化――の原因であるとを問わず)と見なすならば,原因としての実在の度はモメントと名づけられる。
 量においては,そのいかなる部分も可能的な最小部分ではない。これが量の特性であって,この性質を量の連続性と名づける。空間も時間のいかなる部分も限界によって区切らずには与えられないから,空間も時間もそれぞれ連続的な量である。点や瞬間は,個々の空間や時間を局限する単なる場所にほかならず,空間や時間よりも前にその構成部分として与えられるようなものではない。点や瞬間から空間や時間が合成されるわけではないのである。このような量を産出する(産出的構想力の総合)は,時間における経過であるから,このような量を「流れる」量とも名付けることができる。
 すると現象一般は,連続的な量ということになる。すなわち現象の直観に関しては外延量としての,また単なる知覚(感覚とその対象としての実在と)に関しては内包量としての連続的量である。

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 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言