2017年06月18日

弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想(3/5)

(3)真の学的方法とは何か

 前回は,『“夢”講義(3)』で説かれている弁証法的頭脳活動の成果として脳の統括の問題を取り上げ,2つの二重性=二重構造で合計四重構造の性質をもっていることを確認したうえで,すべての事物・事象を二重性として捉えられるような弁証法的な頭脳を創ることの大切さを強調した。

 さて今回は,本書に掲載されている『“夢”講義』の感想文を取り上げ,そこで説かれている真の学的方法とは何かについて検討したい。

 問題の感想文は,「第3編 学問的に「夢とはなにか」を説くための礎石」「第2章 学問的でない夢の専門家の実力を説く」「第4節 『“夢”講義』感想文―夢を学問的に説くとはいかなることか」に収められている。この節は全文,読者の感想文である旨が注記されている。「この読者は若くして某一流大学の教授となった,その専門分野では世界的レベルでの権威とされている方」(p.105)であり,感想文中には「DNA」とか「DNA理論」とかいう言葉がくり返し出てくるから,この感想文は本田克也氏の手になるものであろう。

 感想文では,「この『夢講義』においては,いかなる問題を解く場合でも,『原点』に立ち返り,そこからの生成発展が,繰り返し繰り返し説かれている」(p.106)と指摘され,これまでのすべての研究者はそのような夢に至る生成発展に着目できなかったために,夢を解明することができなかったのだと説かれている。その上で,次のように説かれている。

「いったい,これまで誰が,このような偉大なる展開をなしえたであろうか。例えば“夢”について論じようと志した人間は少なくない。精神分析のフロイトやユングはもとより,多くの心理学者,脳生理学者,生物学者がこの謎に挑んできた。しかし,すべての研究者は,夢をその直接的形態でのみ扱う以上には出られず,ついには袋小路に迷い込んでしまっているのである。

 しかし南郷継正はそうではなかった。夢をそれ自体として見れば脳が勝手に描く像にすぎないとしながらも,これを原点から問い直して,これは優れて人間の認識の発展の言うなれば一つの現象形態なのであるから,そこに至るすべての歴史が夢へと収斂する形で一点に流れ込むように展開することこそが,夢の解明になるという,真の学的方法すらも,この『夢講義』では提示されているのである。」(p.108)


 ここでは,南郷継正は,夢をその直接的形態のみで扱うのではなく,夢を原点から問い直して,すべての歴史が夢へと収斂する形で一点に流れ込むように展開するという真の学的方法でもって,夢を解明したと説かれている。

 確かに,前回も少し触れたように,夢は認識の一つであるから,認識とは何かを,その生成発展に遡って解明し,さらに,認識とは脳の働きの一つであり,もう一つの働きである全身の統括のためにこそ,認識が存在するのであるから,脳の働き全体や,それを支える脳の実体の生成発展を辿り返すことによって,夢を解明しようとしているのが『“夢”講義』であるといえる。

 それにしても「そこに至るすべての歴史が夢へと収斂する形で一点に流れ込むように展開する」というのはすごい言葉である。これは夢のみならず,人間に関わるあらゆる問題を解明する場合に必要な手続きであるといえるのではないか。そして,そのようなことがいえるのは,結局,宇宙=物質が,人間という生命体に流れ込むように発展してきたという歴史的事実があるからであろう。すなわち,人間はもともと人間として存在していたのではなく,物質の発展の流れの終着点として,いわば究極の物質として誕生したものであるから,そのプロセスを辿り返さないと,人間の問題は解けないということであろう。

 続けて感想文では,『“夢”講義』は「認識論を認識学へ」と向かわせるための方法論が説かれていると指摘したうえで,次のように説かれている。

「ならば認識論を認識学にするための鍵はどこにあるのか。逆から言えば,これまでの認識論者はなぜ認識学の構築に失敗したのかの秘密も,ここに暴かれているように思える。

 おそらくこれまでのすべての認識論者,あるいは心理学者は,できあがった認識をそれ自体の運動としてとらえることに終始してしまい,何が認識となってきたのかの生成発展の過程的な構造を説くのに必要な,弁証法的な学力を養成してこなかったのだ。したがって『夢』に至るその生成発展のプロセスを問うことができなかったのだ。もっと言えば弁証法の土台の上に認識論を築くことができなかった,つまり認識論構築の土台を失ったままに認識論を構築しようとしたから空中楼閣に終わって崩れ去ってしまったのだ,ということが見えてくるのである。

 もしこう言ってよければ,認識論の土台は弁証法にあるということを史上初めて証明されているかのようにも思えるのが,この南郷継正の『夢講義』であるともいえるのである。」(pp.111-112)


 すなわち,認識論を認識学へと向かわせるためには,何が認識となってきたのかの生成発展の過程的な構造を説く必要があり,そのためには弁証法的な学力を養成しなければならない,換言すれば,弁証法という土台の上に認識論を構築しなければならない,ということである。

 基本的には,先の引用部分と同じことが説かれていると考えていいだろう。従来の研究者は,「夢をその直接的形態でのみ扱う」=「できあがった認識をそれ自体の運動としてとらえる」ことしかしていなかったが,本来は,「原点から問い直して」「何が認識となってきたのかの生成発展の過程的な構造を説く」必要があるということである。そして,そのような生成発展の過程的な構造を説くためには,弁証法的な学力を養成しなければならないのであり,弁証法という土台の上に構築してこそ,認識論は認識学として成立するのだと説かれている。もう少し一般化すれば,これはどんな学問にも当てはまる論理だといえるだろう。すなわち,いかなる学問であれ,それを構築するためには弁証法的な学力が必要なのであり,いってみれば弁証法という土台の上に構築しないと,空中楼閣に終わって崩れ去ってしまうのである。これは歴史的に見ても,弁証法が学問構築の過程で誕生したことと無関係ではあるまい。

 今回の引用文中にある「何が認識となってきたのかの生成発展の過程的な構造を説く」という言葉も,すごい言葉である。このような言語表現ができるところに,この読者(おそらく本田克也氏)の実力の高みを感じることができる。これこそ,認識学を構築するための真の学的方法なのであるから,これは他の分野でも同様であるといえる。たとえば,経済学の構築を志すのであれば,「何が経済となってきたのかの生成発展の過程的な構造を説く」必要があり,教育学の構築を志すのであれば,「何が教育となってきたのかの生成発展の過程的な構造を説く」必要がある。言語学の構築を志すのであれば,「何が言語となってきたのかの生成発展の過程的な構造を説く」必要があるのであり,これらの過程的構造を説けるほどの弁証法的な学力を養成しなければならないのである。

 私の専門に関わるもう少し狭いテーマでいうならば,たとえば心理療法や心理検査を学問的に説こうとする場合,「何が心理療法となってきたのかの生成発展の過程的な構造を説く」必要があるし,「何が心理検査となってきたのかの生成発展の過程的な構造を説く」必要がある。本感想文で触れられている「もどき像」の誕生という論理を借用すれば,心理療法が誕生する直前の段階では,「もどき心理療法」のようなものがあったはずであるし,心理検査が誕生する直前の段階では,「もどき心理検査」なるものが存在したはずである。このように考えていくと,心理療法や心理検査を研究していく際の観点が明らかになってくるし,心理療法や心理検査が歴史性を帯びたものとして,これまでとは違ったふうに見えてくるというものである。

 さて,感想文の最後には,「『原点からの出立とそこからの生成発展の繰り返しの辿り返し』,そのことこそが『夢講義』に連綿と流れている学的精神であると思う」(p.115)と認められている。確かに本書では,くり返しくり返し,原点から説き直されている。そもそも認識とは何か,生命体は単細胞からどのようにして人間にまで至ったのか,などということが,本当にしつこいくらいくり返して説かれている。前回見た脳の統括の問題も,たとえば94頁以降に,またまとめて説き直されている。こういう箇所は無数にある。

 このようにいうと,「原点からの辿り返しは分かったが,それをなぜくり返す必要があるのか?」との疑問が読者から出されるかもしれない。それは端的にいうと,そのような原点からの生成発展を辿るという弁証法的な頭の働かせ方を技化するためである。バスケットのシュートフォームをくり返しくり返し練習し,少し上達しても崩れを防ぐために定期的にフォームをチェックしてまたくり返すのと同じことである。ここに関しては,「秀才といわれる人たちの欠陥は,自分にとってやさしいと思える物事については,どうしてもくり返しの学習を嫌がることです」(p.187)としたうえで,次のように説かれているので,それを紹介して,今回は終わりにしたい。

「何事においても,技が上達したいなら,あるいは頭脳のはたらきを見事にしたいのなら,けっして,この基本的・基礎的な物事の飽きることのないほどの『くり返し』を嫌がってはいけません。それほどに『桃太郎のくり返し』は,学問構築を志す人たちは当然のこと,スポーツや武道を一流にと志す人たちにとっても,とても大事なことなのです。この『桃太郎のくり返し』のことを『量質転化化』をはかることだ,すなわち『弁証法』の説く『量質転化』の問題と同じことだとわかることは,とても大事なことなのです。」(p.188)

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 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言