2017年06月17日

弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想(2/5)

(2)脳の統括の多重構造とはいかなるものか

 本稿は,『“夢”講義(3)』を組織として集団的に読み込み,その中に説かれている弁証法的頭脳活動の成果を取り上げて論じていく論考である。今回は,本書の初めの方から説かれ続けている脳の統括の問題を取り上げたい。

 まず,本書の流れにしたがって,脳の統括について触れられている部分を見ていく。

 「第1編 生理学から説く「夢とはなにか」」の「第1章 認識の発展の過程的構造を脳から説く」「第2節 人間の脳には大きな二つのはたらきがある」では,脳の二つの働きとして,「体全体を統括するというはたらき」と「自分の脳のなかに像を創りだすはたらき」(p.17)の二つが挙げられている。もちろん,この二つの働きには,相互に関連するところがあるはずである。たとえば,食をとるという運動を行うために,外界の対象を五感覚器官を通して反映し,像を創りだし,その像に基づいて体を動かして対象を食べるというような関連である。すなわち,体を統括するためにこそ像を描くのであり,その描いた像に基づいて体を統括していくということである。

 次に,同じ第1編の「第2章 夢の解明に必要な「昼間の生理学」と「夜間の生理学」を説く」「第2節 脳自体の統括の二つのはたらきとは」では,脳は自分自身をも統括しているとして,脳自体の統括の二つの働きが説かれている。それは,「脳自体の生理状態と運動状態の統括」と「脳がそれによって誕生させる認識すなわち像の統括」(p.25)である。

 続く「第3節 脳の統括は当然に弁証法性をもつ」の冒頭では,今までの内容が次のようにまとめられている。

「脳は,脳自体の全体として大きな二つのはたらきを統括しつづけるものでした。

 しかし大変なことに,この脳は自分自身を全体として統括しているばかりでなく,脳自体が存在している体全体(全身)をも統括していることは常識です。ですから,脳は自分自身の統括体系の外側(これはヒユです)で,その自分自身をも含めた体全体(全身)の統括も行なっていることになります。

 すなわち脳は自分自身の統括と体全体との統括の二重性(二重構造)を,あたかも一つの構造のものとして時々刻々統括する(しなければならない)という大事業を欠かさずに行なっているわけです。」(p.27)


 ここでは先にみたように,脳は体全体を統括することと脳自体を統括することを同時に行っており,これが「二重性(二重構造)」と呼ばれている。脳は統括器官であるが,体全体から見れば部分に過ぎない。したがって,脳は全体を統括しつつ,部分たる自分自身も統括している。この全体の統括と部分の統括が「二重性(二重構造)」と呼ばれているといえるだろう。

 しかし,別の二重性=二重構造も指摘されている。今見た第3節から,次の「第4節 活動している「昼間の生理学」と休息している「夜間の生理学」」にかけての部分では,次のように説かれている。

「それで,脳が体と自分自身を統括するということは,体の運動と自分自身の運動を統括するにとどまらず,自分自身のその二重の統括すらも運動そのものであるということです。「これが運動ということは,これは変化している!」ということなのです。

 そこで,まずここでの運動すなわち変化の大きな部分を見てみることにしましょう。

 それが,再三説いている昼間の生理学と夜間の生理学なのです。すなわち,脳の,体と脳自身の統括には二重性=二重構造がある! ということなのです。」(pp.28-29)


 ここでは,脳の統括自体も運動そのものであり,昼間と夜間では変化すると説かれており,その昼間と夜間の異なる統括のあり方が二重性=二重構造として把握されている。脳の統括について,同じ二重性=二重構造という言葉が使われていても,先に見たのは体全体の統括と脳自身の統括の二重性=二重構造であったのに対して,ここで説かれているのは,統括のあり方が昼間と夜間では異なるという二重性=二重構造なのであった。このあたり,ぼんやりとした像を描いて分かったような気になったり,同じ二重性=二重構造なのだから同じことを説いているはずだと決めてかかったりしてはいけない。

 さらに,「第3編 学問的に「夢とはなにか」を説くための礎石」「第1章 夢の学問的な解明に必須の過程を説く」「第2節 夢を唯物論的に説くには脳の解明が必須である」では,夢は認識の一つであるが,その認識とは脳の働きの一つに過ぎず,生命体全体の体系的な統括をするためにこそ,脳による認識の統括があるのであり,脳の全体系的な統括のなかで,認識が働かされて(生成発展させられて)いるのであるからして,夢の問題を解くためには,脳の全体系的な統括という働きをきちんと解明しなければならないと説かれている。この部分は,先に触れた脳の二つの働き,すなわち「体全体を統括するというはたらき」と「自分の脳のなかに像を創りだすはたらき」の関連について説かれている個所であるといえるだろう。端的にいうと,前者の方がメインであり,後者は前者のためにこそ存在するという位置づけである,といえる。夢の問題を解くに際して,大きな視点からとらえ返し,認識の問題だとするだけではなく,さらに脳の統括における認識の位置づけを問題にして,それらを全体的・体系的に説かないと,部分たる認識の問題,夢の問題は説けないということである。

 さて,第3編の「第3章 夢に関わって人間の脳の統括の過程的構造を説く」「第1節 人間の脳の統括は四重構造の性質をもつ」では,脳の統括の問題が総括されているといえる。簡単には,節のタイトルにあるように「人間の脳の統括は四重構造の性質をもつ」ということである。では,その四重構造とは何か。これをしっかりと確認しておかなければならない。

 まず,この説では,脳の統括に関わって,次の三つの公式が登場する。

@〔運動の統括×生理の統括=脳の全体統括〕
A〔感覚器官×像=脳の統括〕
B〔脳の統括=脳の生理×運動×認識〕

 @が一番初めに人間の脳に大きな二つの働きがあるとして説かれていたうちの一つ,すなわち,体全体を統括する働きのことを表していると考えられる。そしてAが,もう一つの働き,すなわち,自分の脳の仲に像を創りだす働きのことであろう。Bは,脳の自分自身の統括のことであり,その中で「脳の生理×運動」が「脳自体の生理状態と運動状態の統括」を意味し,「×認識」の部分が「脳がそれによって誕生させる認識すなわち像の統括」を意味していると考えてよさそうである。

 そうすると,先に見た2つの二重性=二重構造のうち,前者,すなわち,体全体の統括と脳自身の統括の二重性=二重構造というのは,この公式でいうと,@AとBの二重性=二重構造ということになるだろう。

 さらに,体全体の統括である@Aと脳自身の統括であるBは,昼間と夜間では変化するのであり,それぞれ昼間と夜間という二重性=二重構造が存在するといえるのである。ここに関しては,次のように説かれている。

「脳が体(の運動と生理)と自分自身(の運動と生理)を統括するということは,体の運動と自分自身の運動を統括することにとどまらず,自分自身のその二重の統括すらも運動形態そのものであるということです。また,これが運動形態であるということは,これは一般的な変化をなしながら,それと直接に部分としても変化していくという形態を把持しているということなのです。

 これこそが,先に説いた昼間の生理学と夜間の生理学の大切な中身なのです。すなわち脳の,体と脳自身の統括には二重性=二重構造があるのですが,これ自身にも昼間の生理学としてのものと,夜間の生理学としてのものとの二重性があり,合計四重構造の性質をもっているのだということを,読者のみなさんははっきりと自覚できなければなりません。」(p.118-119)


 すなわち,脳の統括は,体の統括と脳自身の統括の二重性=二重構造があるだけでなく,それぞれについて昼間の生理学としてのものと夜間の生理学としてのものの二重性=二重構造があり,合計で四重構造になっているということである。

 このような多重性・重層性の把握は,著者である南郷継正にとっては,まさに勝手に(自動的に)なし得るものであり,これこそが弁証法的頭脳活動のなせる業であるのではないか。われわれはともすれば,脳の統括のうち,体の統括のみを見て,脳自身の統括は見落としがちなのではないか。あるいはまた,脳の統括のうち,昼間の生理学としてのもののみを見て,夜間の生理学としてのものを見落としがちなのではないか。これはまさに,世界の二重性=二重構造を見抜けない非弁証法的頭脳活動のなせる業である。われわれは一刻も早く,すべての事物・事象を二重性として把握できるような弁証法的な頭脳活動に向けて,『“夢”講義』に学び続けなければならないのだと,決意を新たにした次第である。

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 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言