(1)弁証法的頭脳活動で創られた『“夢”講義』
(2)脳の統括の多重構造とはいかなるものか
(3)真の学的方法とは何か
(4)夜泣きと辛い夢の共通性とは何か
(5)一から多への発展を捉える
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(1)弁証法的頭脳活動で創られた『“夢”講義』
本稿は,南郷継正『なんごうつぐまさが説く 看護学科・心理学科学生への“夢”講義――看護と武道の認識論 第3巻』(以下,『“夢”講義(3)』と略す)を集団的に読み込み,学んだ内容を認めることによって,本書の内容をしっかりと自分の実力と化すことを目的としたものである。
われわれのブログの「年頭言」にも記したように,今年は,京都弁証法認識論研究会として,集団的に『“夢”講義』に取り組むことを,活動の一つの柱としている。これまで,2月と4月にそれぞれ第1巻と第2巻の感想を掲載した。今回は3回目であり,『“夢”講義』は全6巻であるから,ようやく半分の折り返し地点に辿り着いたことになる。
本書を読んでの率直な感想は,これこそが弁証法的頭脳活動のなせる業だ! というものであった。弁証法的頭脳を駆使して,見事に生理学から夢とは何かや思春期の論理構造などが説かれているのである。では,弁証法的頭脳活動とは何か。本書では,弁証法の学びは,自動車の運転の学びと同じようなものであり,「教習所の運転コースから市街地へでていき,そこから郊外の道を走り,やがては高速道路へと,そこを経たら,いうなれば山道,がけっぷちの道,といったあらゆる道路を易から難へと訓練し続けてようやくにして一人前」(pp.172-173)になれるとした後,次のように説かれている。
「この学問的弁証法の実力を培っていったのが,古代ではアリストテレスであり,近代では高速道路だけを走ったカントであり,高速道路以外の道をもまともに踏破できたのがヘーゲルなのだと思ってもらえばいい。なお現代では,私の恩師三浦つとむは,生活道路上の走りかたでは達人であった,といってよいであろう。
さて,ではそうなったばあいに最初に説いた脳の実体とその機能という関わりからいえば,どういうことになるかというと,結論から説くなら,脳の実体の二重化かつ脳の機能の二重化となってきているものである。
具体的に説けば,脳のはたらきである認識が,弁証法を駆使できるレベルを超して,認識そのものが弁証法性を帯びて,あたかも認識が弁証法的認識であるかのように,(観念的に)実体化していく状態を通過するなかで,それが相互浸透されて脳の実体そのものが,脳として,つまり脳の認識を創りだす能力そのものの機能が,弁証法化するという事態にまで発展していけるのである。
すなわち,認識が弁証法的に考えようと思わなくても,勝手に弁証法的に考えてしまっている,すなわち,弁証法的な考えかたを自分で意図的に止めないかぎりは,必ず弁証法的に認識を創りだし,弁証法的な認識を創りだす,そういう脳の実体に量質転化化しているのである。」(pp.173-174)
ここでは,認識が弁証法的認識であるかのように観念的に実体化し,それが脳の実体と相互浸透する中で,脳の認識を創りだす能力そのものの機能が弁証法化する結果,勝手に弁証法的に考えてしま脳の実体に量質転化化しているレベルが弁証法的な頭脳の実体の構造であると説かれている。このような頭脳を駆使することが,弁証法的頭脳活動であるといっていいだろう。要するに弁証法的頭脳活動とは,考えれば必然的に弁証法的に考えてしまうのであり,意図的にやめない限り,どうしても弁証法的な頭の働かせ方をし,弁証法的に対象の構造を明らかにして,弁証法的な論の展開をして文章を書いていくことになる,というレベルの頭脳活動だといっていいだろう。
本書では,まさしくそのような弁証法的頭脳活動が展開されており,これこそが重層弁証法の威力なのだと感動を覚えることが非常に多い。
そこで本稿では,本書で説かれている弁証法的頭脳活動の成果を3つ取り上げ,筆者なりに理解したことを文章化することによって整理し,少しでも自分の実力と化していきたいと考えている。初めに取り上げるのは,脳の統括の問題であり,次に,真の学問的方法について考察する。最後に,患者さんの辛い夢の問題を検討する予定である。
ではいつものように,最後に本書の目次を示しておく。
なんごうつぐまさが説く
看護学科・心理学科学生への“夢”講義(3)
【 第1編 】 生理学から説く「夢とはなにか」
第1章 認識の発展の過程的構造を脳から説く
第1節 “夢”講義は,みなさんそれぞれの夢の実現のためにこそ
第2節 人間の脳には大きな二つのはたらきがある
第3節 認識は五感覚器官・脳の成長との相互規定性で発展する
第2章 夢の解明に必要な「昼間の生理学」と「夜間の生理学」を説く
第1節 夢は睡眠中に脳が勝手に描くものである
第2節 脳自体の統括の二つのはたらきとは
第3節 脳の統括は当然に弁証法性をもつ
第4節 活動している「昼間の生理学」と休息している「夜間の生理学」
第3章 労働と睡眠の関係を説く
第1節 人間の睡眠は労働による疲労の回復のためである
第2節 学問的に説く労働とはなにか
第3節 「疲れ」と「疲労」は違うものである
第4節 「疲労」は哺乳類としての運動からの逸脱による
【 第2編 】 生理学から説く「思春期の論理構造」
第1章 「心の闇」を認識論的に説く
第1節 「心の闇」がおこした事件
第2節 「心の闇」は赤ん坊の頃から育つ
第3節 他人にも自分にもみえない育ちのゆがみ
第2章 「心の闇」を脳の生理構造から説く
第1節 脳は反映した像を自分流に発展させる実力をもっている
第2節 思春期の脳の特殊性
第3節 生活環境の違いで脳の創られかたが違ってくる
第4節 思春期の脳への「ネット社会」の影響
第5節 「狂想」へと転化させる思春期の脳
第6節 心のゆがみは「心の教育」だけでは治せない
【 第3編 】 学問的に「夢とはなにか」を説くための礎石
第1章 夢の学問的な解明に必須の過程を説く
第1節 観念論の立場では夢の学問的解明は不可能である
第2節 夢を唯物論的に説くには脳の解明が必須である
第3節 「いのちの歴史」から説く人間の認識への発展過程
第4節 人間の認識=像は外界の反映と相対的独立に発展する
第5節 脳は神経を介して労働と睡眠の異なった統括をする
第2章 学問的でない夢の専門家の実力を説く
第1節 夢に関する専門家の見解を問う
第2節 人類の歴史的な文化を学ぶことなしに夢は説けない
第3節 夢の解明は脳が夢を描かされる過程的構造を説くことである
第4節 『“夢”講義』感想文―夢を学問的に説くとはいかなることか
第3章 夢に関わって人間の脳の統括の過程的構造を説く
第1節 人間の脳の統括は四重構造の性質をもつ
第2節 労働により日々ゆがめられる人間の体と「ツボ健康法」を問う
第3節 「ツボ」「経絡」に関する専門家の見解を問う
第4節 「ツボ」「経絡」は動物体と人間体の相克により誕生したものである
第5節 労働の過程的構造に夢の問題を解く鍵がある
【 第4編 】 学問に必須の「認識論」「弁証法」とその上達の構造を説く
第1章 認識論における海保静子の業績を説く
第1節 認識論の理論的実践家としての海保静子
第2節 認識論は弁証法とともに学問成立に必須のものである
第3節 恩師三浦つとむの認識論の内実を問う
第4節 認識の問題が解けない三浦つとむの認識論
第5節 海保静子に「認識とは何か」の像の展開を学ぶ
第2章 講義録「弁証法の上達の構造を問う」
第1節 学問としての弁証法が技化した頭脳による「目次」立てを説く
第2節 学問構築に必要な大志・野望は空想的認識の一種である
第3節 学問構築には対象の全体像の把握と弁証法の学びが必須である
第4節 歴史上弁証法の全体像を提示できた学者はいない
第5節 弁証法の実力をつける過程的構造を説く
第6節 弁証法は脳の実体が量質転化するまで学ばなければならない
第7節 「弁証法の上達の構造」における落とし穴とはなにか
【 第5編 】 看護の夢の事例を「いのちの歴史」から解く
第1章 人間が夢をみるに至る発達・教育の過程を説く
第1節 辛い夢をみる事例
第2節 上達に必須の「量質転化」の構造を説く
第3節 サルにおける「問いかけ的認識」の芽ばえとはなにか
第4節 人間における外界の直接の反映は誕生時のみである
第5節 人間は外界を勝手に描く能力を教育されながら育ってくる
第6節 外界を反映する神経系のはたらきは労働のありかたで異なる
第2章 赤ちゃんの夜泣きと夢の過程的構造を説く
第1節 夜泣きは夢をみる実力をつけたことから始まる
第2節 辛い夢を理解するために必要なことはなにか
第3節 夜泣きは発育途上の脳の実力をこえた外界の反映による
第4節 夜泣きを防ぐ赤ちゃんの睡眠中の育てかたを説く
第5節 夜泣きと辛い夢との関係への解答
第3章 夢の事例を脳の神経と認識の統括から説く
第1節 足のウラの鍛錬は頭脳活動を活発にする
第2節 脳が誕生する魚類への生命体の運動形態の発展過程を説く
第3節 魚類の脳は四重構造の統括をするために誕生したのである
第4節 人間の脳は認識活動の統括をも行なうのである
第5節 辛い夢をみる患者の実体と認識に働きかけた見事な看護を説く