2017年06月05日

マルクス思想の原点を問う(5/5)

(5)マルクスはヘーゲルの自由論の延長線上に普遍的な人間解放を構想した

 本稿は、ロシア革命から100年という記念の年にあたって、20世紀に現に存在したスターリン的な「社会主義」体制にとらわれることなく、19世紀半ばに若きマルクスがヘーゲル哲学を踏まえつつ当時のヨーロッパ社会の現実と対峙しながらつくりあげた思想とはそもそもどのようなものであったのかを問うことから、資本主義をのりこえる新たな社会の構想をつかみとっていく必要があるのではないか、という問題意識を踏まえつつ、若きマルクスの思想形成の画期となった「ユダヤ人問題によせて」「ヘーゲル法哲学批判序説」『経済学・哲学草稿』という3つの文献をとりあげ、マルクス思想の原点について明らかにしようとするものでした。

 ここで、これまでに説いてきた流れを簡単に振り返っておくことにしましょう。

 まず、マルクスが1844年に『独仏年誌』という雑誌に掲載した2つの論文――「ユダヤ人問題によせて」と「ヘーゲル法哲学批判序説」――を取り上げました。「ユダヤ人問題によせて」では、近代における政治的国家と市民社会の分裂に応じて同一の人間が公人(公民)と私人とに分裂してしまうこと、すなわち、類的存在(共同体の一員として、お互いに助け合うような存在)としての側面は抽象化され国家に奪われてしまうことで市民社会における利己的で排他的な個人として存在するしかなくなっていることが論じられていました。マルクスは、市民社会と政治的国家との分裂を解消して、現実的な人間が直接に共同体の一員としてお互いに助け合うような状況をつくることこそが真の人間的解放であると主張したのでした。「ヘーゲル法哲学批判序説」では、市民社会のあり方が踏み込んで検討されることで、市民社会の弊害を完全な形で一身に体現させられているプロレタリアートこそ普遍的な人間解放の担い手であることが見出されたのでした。

 続いて、マルクスが『経済学・哲学草稿』(1844年に書かれた未定稿)において、古典派経済学とヘーゲル哲学とを相互浸透させることで、自らの思想を深く彫琢していこうとしていたことをみました。マルクスは、絶対精神の自己運動として諸々の具体的なものの運動に筋を通していこうとしたヘーゲル哲学を念頭に起きながら、古典派経済学が競争、営業の自由、土地占有の分割を一般的で抽象的な公式として羅列的に捉えるだけで、これらの法則が私有財産の本質からどのような必然性をもって生まれてくるのかを明らかにしようとしてはいない、と批判していたのでした。一方でマルクスは、ヘーゲルが古典派経済学を通じて人間の本質を労働だと捉えきったからこそ絶対精神の自己運動という観点から自己の哲学を構築することができたのだと喝破してもいました。

 しかし、マルクスは、ヘーゲルが労働を人間の本質として捉えたことを高く評価しながらも、「彼は労働の肯定的な側面を見るだけで、その否定的な側面を見ない」と批判してもいました。マルクスは現実社会におけるプロレタリアートの状況を踏まえて、人間の本質たる労働が非人間的なものに貶められ、人間を非人間的な境遇に追い込む力として働いてしまっているという近代市民社会における現実を「疎外された労働」という言葉で表現したのでした。マルクスは、私有財産が「疎外された労働」の必然的な結果として成立しているものであることを確認した上で、私有財産の積極的な止揚によって普遍的な人間解放を実現しようとするものが共産主義である、と結論付けていたのでした。それは、人間が自然の必然性を把握しつつ自然と調和して生きられる社会、人間が他人に抑圧されることなく自由に生きられる社会(各個人が共同体の一員として相互に助け合うような社会)の実現を目指す思想にほかなりません。

 以上でみてきたように、ヘーゲルよりも半世紀ほど後の時代に生きたマルクスは、当時のドイツ社会の現実――資本主義経済の勃興につれて物質的な利害の衝突が生じてきているという現実――と対決しながら、「すべての人間が本来自由である」というヘーゲルの掲げた世界歴史の究極目的を真に実現していく(普遍的な人間解放を実現する)ためにはどうすればよいのかを探究していった結果、市民社会の弊害を完全な形で一身に体現させられているプロレタリアートこそが普遍的な人間解放の担い手とならなければならないこと(労働者の解放が直接に普遍的な人間解放を含むこと)を見出し、さらに「疎外された労働」の必然的な結果として成立させられている私有財産を積極的に止揚することで、人間が自然の必然性を把握しつつ自然と調和して生きられる社会、人間が他人に抑圧されることなく自由に生きられる社会の実現を目指すという共産主義の思想に到達したのでした。端的には、若きマルクスが抱いた共産主義の思想とは、ヘーゲルの自由論の延長線上に、近代市民社会の現実を踏まえながら、普遍的な人間解放を構想したものにほかならなかったのです。

 マルクスの共産主義がヘーゲルからの強烈な影響のもとにあったことを確認するために、唯物史観の定式として非常に有名な『経済学批判』の序言もみておくことにしましょう。

「大ざっぱにいって経済的社会構成が進歩してゆく段階として、アジア的、古代的、封建的、および近代ブルジョア的生活様式をあげることができる。ブルジョア的生産諸関係は、社会的生産過程の敵対的な、といっても個人的な敵対の意味ではなく、諸個人の社会的生活諸条件から生じてくる敵対という意味での敵対的な、形態の最後のものである。しかし、ブルジョア社会の胎内で発展しつつある生産諸力は、同時にこの敵対関係の解決のための物質的諸条件をもつくりだす。だからこの社会構成をもって、人間社会の前史はおわりをつげるのである。」(武田隆夫ほか訳『経済学批判』岩波文庫、p.13)


 ここで登場する「アジア的→古代的→封建的→近代ブルジョア的」という流れは、ヘーゲル『歴史哲学』における「東洋世界→ギリシャ世界→ローマ世界→ゲルマン世界」という流れを下敷きにしたものであることは明らかですし、歴史(マルクスにおいては「人間社会の前史」)の到達点を、人間の本性たる自由が全面的に開花する段階としてイメージしたこともヘーゲルと共通しています。この段階について、マルクスとエンゲルスの初期の共著『ドイツ・イデオロギー』では次のように述べられています。

「共同社会においてはじめて、人格的自由が可能になる。共同社会のこれまでの代用物、すなわち国家などにおいては、人格的自由は、支配階級の諸関係のなかで育成された諸個人にとってだけ、そして、彼らがこの階級の諸個人であったかぎりでだけ、存在した。……真の共同社会においては、諸個人は、彼らの連合のなかで、また連合をとおして、同時に彼らの自由を獲得する。」(服部文雄監訳『ドイツ・イデオロギー』新日本出版社、p.85)


 こうした文章からも明らかに確認できる通り、そもそもマルクスが主張した共産主義というものは「各個人の自由な発展が、万人の自由な発展のための条件となる連合体〔Assoziation〕」(『共産党宣言』第2章)を目指すものにほかならなかったのです。

 しかし、革命ロシア=ソ連においては、帝国主義諸国の干渉や国際的孤立という悪条件の下、世界革命を主張するトロツキーが一国社会主義を主張するスターリンに敗れてしまい、個人の自由を徹底して押し潰す異様な専制と抑圧の体制が築かれてしまったのでした。社会主義社会の建設を掲げて出発したはずのソ連が、なぜそのような経過を辿ることになってしまったのかは、別に詳しい検討が必要です(先月発刊された『学城』第15号の村田洋一「ロシアにおける社会主義革命の誤りとは何であったか」はまさにこの問題について考察するものです)が、若きマルクスが構想していた共産主義というものが、ソ連で築かれてしまったような人間抑圧型の社会とは全く異なるものであったことを確認しておくことも重要でしょう。

 資本主義経済の行き詰まりが明瞭になりつつある現在、20世紀に存在したスターリン的な「共産主義」のイメージにとらわれることなく、若きマルクスがヘーゲルの普遍的な人間解放の思想を当時の社会の現実と対決させながら創り上げた共産主義の思想から、資本主義をのりこえる新たな社会の構想についてのヒントをつかみとっていく必要があるといえます。少なくとも、普遍的な人間解放というヘーゲルの掲げた目標を真に社会の現実とするためにはどうすればよいのか、という若きマルクスが抱いた強烈な問題意識を、現代に生きる我々も共有することが求められていることだけは間違いないでしょう。

(了)
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 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言