2017年06月01日

マルクス思想の原点を問う(1/5)

目次

(1)そもそもマルクスが目指していたものは何だったのか
(2)労働者の解放こそが人間一般の解放であるという着想
(3)古典派経済学とヘーゲル哲学を相互浸透させる
(4)私有財産の積極的止揚としての共産主義
(5)マルクスはヘーゲルの自由論の延長線上に普遍的な人間解放を構想した

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(1)そもそもマルクスが目指していたものは何だったのか

 今年2017年はロシア革命(二月革命と十月革命)からちょうど100年という記念の年にあたります。第一次世界大戦の最中に起きた二月革命は、ツァーリ(皇帝)の専制権力を打倒して共和制(議院内閣制)を成立させました。二月革命以降は、立憲民主党(カデット)が主導する臨時政府と、社会革命党(エスエル)やメンシェビキ、ボリシェビキなど左派勢力が主導する労働者・農民・兵士のソヴィエト(評議会)が並存していましたが、戦争を継続した臨時政府に対して、ソヴィエトに結集した労働者や農民、兵士の不満は著しく高まります。こうした大衆の不満を背景にして、レーニンとトロツキーが率いるボリシェビキがソヴィエトの多数派を握り(トロツキーがペトログラード・ソヴィエトの議長となりました)、臨時政府を打倒して、全ての権力をソヴィエトに集中させることを掲げて、十月革命を主導したのでした。「ソヴィエト権力」あるいは「労働者(と農民)の権力」の確立は、社会主義的な方向への前進と同義のものと見なされました。革命政権はその後、およそ5年にわたる内戦を闘い抜き、1922年に、世界初の社会主義国家とされるソヴィエト連邦を成立させることになります。こうした社会主義建設の方向性は、いうまでもなくマルクスやエンゲルスが標榜した「科学的社会主義」の理論にもとづいたものであるとされました。

 もっとも、科学的社会主義を唱えたマルクスやエンゲルスは、社会主義を目指すプロレタリア革命は資本主義経済の発展が進んだ国でこそ起きるものであると考えていたのであり、当時のロシアのように資本主義経済の発展が遅れた国で社会主義社会の建設を目指したのは、マルクスやエンゲルスの科学的社会主義からの逸脱である、とも考えられます(現に、メンシェビキなどはそのように批判しました)。しかしながら、レーニンやトロツキーは、革命をあくまでも世界革命という枠組みで考えていたことに注意が必要です。彼らは、ロシアでまずプロレタリア革命が起きたのは、階級的力関係が他の諸国よりも有利であったからにほかならないことを指摘していました。レーニンやトロツキーは、ドイツなど先進資本主義諸国家においてプロレタリア革命が勝利し、これら諸国のプロレタリアートがロシアを援助するような状況がつくられることなしには、ロシアにおける社会主義社会の建設をやり遂げることは不可能であることを繰り返し強調してもいたのでした。

 しかし、結局のところ彼らが期待したようにはヨーロッパ諸国での革命は起きず、ソ連は帝国主義諸国の干渉や国際的孤立という悪条件の下に置かれ続けることになります。1924年にレーニンが亡くなり、世界革命を主張するトロツキーが一国社会主義を主張するスターリンに敗れてからは、反対勢力を徹底して弾圧する異様な専制と抑圧の体制が築かれ、農業の強制的集団化や急速な工業化によって世界恐慌の荒波には耐えたものの、長期的には経済発展が著しく停滞してしまうことになり、ソ連は1991年についに崩壊してしまったのでした。

 ソ連の崩壊は、社会主義に対する資本主義の勝利であると受け止められ、社会主義はすでに失敗したものだという受け止めが世界的に広がることになりました。しかし、その後の資本主義経済は、アジア通貨危機(1997年)や世界金融危機(2007年のサブプライムローン問題から2008年のリーマン・ショックへ)といった深刻な危機を繰り返しつつ、貧困と格差の著しい拡大をもたらすにいたりました。これまで社会の安定をそれなりに支えてきた中間層が崩壊して、いわゆる極左と極右が台頭するといった政治的状況もつくられています。様々な角度から資本主義の深刻な危機が叫ばれる時代が到来しているのです。人類は、資本主義をのりこえる新たな社会の構想を切実に求めつつも、それが明確に見えてこないなかで必死にもがいているような状況にあるともいえるでしょう。ここで大きな障害として浮上してくるのが、ソ連の崩壊によって社会主義へのマイナスイメージが定着させられてしまっていることです。資本主義に色々な問題があるといっても、社会主義は恐ろしい官僚独裁体制を生み出した末に崩壊してしまったではないか、資本主義よりもましな社会体制などありえないのではないか……このような社会的認識が強固に存在してしまっていることは否定できないでしょう。

 ここで大きく問われなければならないのは、ソ連の崩壊は社会主義そのものの失敗を意味するものであるのか、ということです。スターリンが築き上げたような独裁体制が、レーニンやトロツキーが目指した社会主義建設の方向性から大きく逸脱するものであったことが確認される必要がありますし、そもそもマルクスやエンゲルスが掲げていた科学的社会主義とはどういうものであったのか、というところにまで遡って検討してみる必要もあるでしょう。20世紀に現に存在したスターリン的な「社会主義」体制にとらわれてしまうのではなく、19世紀半ばに若きマルクスやエンゲルスが、ヘーゲル哲学を踏まえつつ当時のヨーロッパ社会の現実と対峙しながらつくりあげた科学的社会主義の思想とはどのようなものであったのか、というところから、資本主義をのりこえる新たな社会の構想についてのヒントをつかみとっていく必要があるのではないでしょうか。

 本稿は、以上のような問題意識を踏まえつつ、若きマルクスの思想形成の画期となった「ユダヤ人問題によせて」「ヘーゲル法哲学批判序説」『経済学・哲学草稿』という3つの文献をとりあげ、マルクス思想の原点とはいかなるものであったかを問うものです(これらの文献は、1844年前後、マルクスが26歳のころに書かれたものです)。

 ここで端的に結論を述べておけば、若きマルクスは、人間の自由の実現を目指したヘーゲル哲学の理念をそのまま受け継ぎながら、それを真に社会のなかに実現するための方策を見出そうとして苦闘したのだ、ということになります。このことを本論で詳しく検討していくことになりますが、その前提として、ヘーゲルが目指していたところは何だったのか、『歴史哲学』から決定的な個所を引用することで確認しておきましょう。

「世界史とは、精神が本来もっているものの知識を精神自身で獲得して行く過程の叙述である……東洋人はまだ精神が、または人間そのものが本来自由であるということは知らない。彼らはこれを知らないが故に自由ではないのである。彼らは僅かに一人の者(Einer)が自由であることを知っているにすぎない。……自由の意識はギリシア人の中に、はじめて現われた。それ故にギリシア人は自由であった。しかしギリシア人は、またローマ人も、ただ少数の者(Einige)が自由であることを知っていたにとどまり、人間が人間として自由であることを知らなかった。……ゲルマン諸国民に至ってはじめて、キリスト教のお陰で、人間が人間として〔すべての人が Alle〕自由であり、精神の自由が人間の最も固有の本性をなすものであるという意識に達した。」(ヘ―ゲル『歴史哲学(上)』武市健人訳、岩波文庫、pp.77-78)


 このようにヘーゲルは、「世界史とは自由の意識の進歩を意味する」(同、p.78)ものであること、その究極目的は「すべての人間が本来自由であること、すなわち人間が人間として自由であるということ」(同、p.78)を知ることにほかならないことを、高らかに宣言していたのでした。

 ヘーゲルは、こうした自由は、個々人がもつ主観的意志と国家がもつ理性的意志とが調和した人倫的全体において実現されるのだと主張し、当時のプロイセンの立憲君主制こそが理想的なあり方であると結論づけたのでした。しかし、ヘーゲルよりも半世紀ほど後の時代に生きたマルクスは、資本主義経済の発展によって、現実の社会のなかに物質的な利害の衝突が生じてきていることを目の当たりにしなければなりませんでした。こうした社会の現実と格闘しながら、「すべての人間が本来自由である」というヘーゲルの掲げた世界歴史の究極目的を真に実現していくためにはどうすればよいのかを探究する――これこそが、若きマルクスが学問の構築へと突き進んでいった原点的な動機であったと考えられるのです。それが具体的にどのような過程をたどって、マルクス独自の思想として結実することになったのか、次回以降に詳しくみていくことにしましょう。
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 ・新大学生へ説く「大学で何をどのように学んでいくべきか」
 ・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
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 ・『育児の認識学』は三浦認識論をいかに発展させたか――一会員による『育児の認識学』の感想
 ・2014年4月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章
 ・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
 ・文法家列伝:『ポール・ロワイヤル文法』編
 ・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
 ・道徳教育の観点から見る古代ギリシャの教育と教育思想
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 ・アダム・スミス「天文学史」を読む
 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
 ・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
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 ・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
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 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
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 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
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 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
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 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
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 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
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 ・マインドフルネスを認識論的に説く
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 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
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 ・文法家列伝:時枝誠記編
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 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
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 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
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 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
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 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
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 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
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 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
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 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
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 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
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 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
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 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言