2017年05月25日

文法家列伝:宮下眞二編(4/5)

(4)宮下には弁証法、認識論の実力が決定的に不足していた

 前回は、宮下眞二独自の業績として、言語学史の研究から言語観を3つに分類したこと、名詞論として、名詞と形容詞の区別の根拠を認識のあり方に求めたことなどを紹介していきました。さらに宮下の冠詞論について、冠詞は定冠詞も不定冠詞も共に単位性の認識をその内容の一部として持っていると宮下が主張したことを紹介したところまででした。

 宮下の冠詞論について若干の補足をしておきましょう。宮下は、冠詞が単位性の認識を表すほか、もう1つの側面があるとして次のように主張します。

「冠詞は特殊な実体に限らず、実体ならばどの実体に関しても表現されるのだから、すべての実体に共通する属性を取上げてゐるに違ひない。属性には具体的なものから抽象的なものまで色々あるが、最も抽象的で最も一般的な属性の一つは、各実体が独自の個体であると云ふ属性、言換へれば個別性である。これはすべての実体に共通する属性である。冠詞はこの個別性を表す語である。」(pp.231-232)

 こうして、冠詞の本質として単位性と個別性を表すということを明らかにした宮下は、これを「冠詞は、英語の単位観に基く個別性の把握を表す語と定義できる」(p.232)とまとめました。さらに定冠詞と不定冠詞との違いを同じ個別性をどの側面で捉えるかの違いだとして、「定冠詞は個別性の特殊的把握を表し、不定冠詞は個別性の一般的把握を表す」(同上)と規定しています。

 この冠詞論でも宮下は、認識のあり方に基づいて品詞の定義を行っていることが見てとれます。冠詞は日本語にない品詞ですから、この冠詞論は、日本語を言語過程説で説明してきた時枝や三浦にない、宮下独自の言語過程説の展開であるといえるでしょう。

 さて、以上で宮下が三浦の言語観をしっかりと受け継ぎ、それを英語に適用することで独自に発展させていることが明らかになったと思います。しかし一方で、宮下にも弱点が存在します。今回はこの問題について考えていきたいと思います。

 まず、次の引用文をしっかりと読んでもらいましょう。

「現代の「学者」の殆どが、本質論=方法論を自ら作り上げることをせず、…」(はしがき)

「19世紀の歴史的比較言語学は、18世紀末から19世紀にかけてヨーロッパの思想学問芸術に大きな影響を及したロマン主義の思潮に依つてその研究対象が音声言語に規定され、18・19世紀の自然科学の目覚しい発達に依つてその研究方法が構成的言語観ないし実体的言語観に規定されたのである。」(pp.7-8)

「彼(イェスペルセン―引用者)は「生きた文法」と「体系的文法」とを論じてゐる。概ね「生きた文法」とは現実の言語現象の中に観察される法則性の事であり、「体系的文法」とは言語現象の法則性の科学的認識の事である。」(p.9)

 これらを読めば、「本質論=方法論」とはどういうことか、「ロマン主義」と「音声言語」はどのような関係にあるのか、「構成的言語観ないし実体的言語観」とは何か、イェスペルセンの「生きた文法」と「体系的文法」についてそのように断言できる根拠は何かなど、諸々の疑問が浮かんでくるでしょう。しかし、こうした疑問に対する解答は一切ないのです。

 おそらく宮下のアタマの中には、こうした問題に対する比較的明確な解答があるのであり、わざわざ書くまでもないという判断があったものと思われますが、しかし読み手にすれば、たった9ページかそこらの間に、いくつも疑問が浮かんでくる展開は、非常にストレスのたまるものとなってくるでしょう。端的にいえば宮下は、自らの主張の根拠について、大きく説明が不足しているのです。

 宮下にはほかにも、言語過程説以外の言語理論を画一的に批判しているという弱点もあります。どういうことかというと、宮下は言語過程説の言語観が絶対的に正しいとして、この基準に従って、他の言語理論を評価するのです。その際用いられるのは、機能主義や形式主義というレッテルであり、言語規範を言語の本質とみなす言語規範本質説批判であり、個々の言語の個別的な意味を無視して、個々の言語に共通した一般的意味を言語の意味と解釈する一般的意味説批判です。しかし、言語の本質が機能や形式にあると考えるのでは何がまずいのか、言語規範を言語だと考えるとどのような問題が解けなくなるのか、一般的意味を言語の意味と考えることはどうして間違っているのか、こうした問題には解答が与えられないままであるため、結論を押しつられているように感じる部分があるのです。例えば、イェスペルセンの言語観について、欠点があるとしながらも、「表現を中心として言語を捉えてゐるから言語規範本質説よりも健全なのである」(p.12)と述べられているが、これだけでは表現を中心に言語を捉えると何故健全だといえるのか、その根拠が明らかにされていません。言語過程説に近い考え方だからというだけでは説得力を持たないのです。言語過程説と言語規範本質説のどこがどう異なり、どういう意味で健全だといえるのか、根拠なしに批判しているのです。

 また、上記のレッテルや批判を、それが当たらないような場面にも使っているのではないかと思われる部分もあります。例えば、「歴史的比較言語学」の特徴として宮下は、@「音声言語だけを言語の本質的なあり方と見做し」(p.8)たこと、A「言語規範を言語の本質と見做し」(同上)たこと、B「個々の語の意味ではなくて同種の語に共通な「一般的意味」を言語の意味と見做」(同上)していることの3点を挙げています。しかし、「歴史歴比較言語学」の特徴として、@は分かるにしても、AやBは挙げることができるのか、はなはだ疑問です。AやBは宮下がソシュールの言語理論をはじめとする言語道具説を特徴づける際によく述べていることですが、この同じ批判が「歴史的比較言語学」、すなわち言語学の対象を人間の意志とは関わりのない音韻法則にまで還元し、その音韻法則を明らかにすることを目的とする言語「学」にも当たるのかといえば、「歴史的比較言語学」では実際に表現された言語の変化法則を問題にしている(言語規範を言語の本質とみなしているわけではない!)し、そもそも言語の意味を度外視している(個々の語の意味も「一般的意味」も問題にしていない!)から、どうにも宮下の主張には納得しがたいものがあります。

 以上を端的にまとめれば、宮下は言語過程説以外の言語理論を全て一律に批判するし、その批判の仕方もいくつかの型にはまったものだ、ということになります。ほかにも、宮下の著作の目次立ては体系的でない(例えば『英語文法批判』「本論 英語の文法」は、「1章 固有名詞」、「2章 名詞と形容詞」、「3章 代名詞」、「4章 ever」、「5章 不特定代名詞とeverとの複合代名詞」、そして「6章 冠詞」となっていて、完結していないのみならず、その順序も恣意的です)という欠点もあります。

 こうしたことは、結局、宮下が言語学を構築する際に討論する相手がいなかったことに起因するのではないかと思われます。本来であれば学問は、その原点である古代ギリシャにおけるプラトンやアリストテレスの研鑽過程に見られるように、討論を通じて対象の構造を深く理解していってこそ構築可能なものなのです。個人の認識の限界を突破し、対象の性質を全的に把握するためには、格闘レベルで討論し続けていくことで、自らの認識を豊かなものにしていく必要があるのです。具体的にいえば、討論によって自らの認識の不十分さを指摘されたり、自分が思ってもみなかった視点を提示されたりすることによって、自分一人では不可能であった認識の発展が図れていくのです。しかし宮下は、在野の言語理論である言語過程説を支持していたため、大学というアカデミックの世界では言語過程説の中身を深めていく議論ができなかったのではないかと想像されるのです。端的にいえば、宮下には討論を通じて培うべき弁証法、認識論の実力が決定的に不足していたということになるでしょう。
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 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言