2017年05月12日

2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論(1/10)

<目次>
(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント
(2)カント『純粋理性批判』先験的感性論 要約@
(3)カント『純粋理性批判』先験的感性論 要約A
(4)カント『純粋理性批判』先験的感性論 要約B
(5)カント『純粋理性批判』先験的感性論 要約C
(6)改めての要約と論点の提示
(7)論点1 カントは空間をどのようなものであると考えているか?
(8)論点2 カントは時間をどのようなものであると考えているか
(9)論点3 カントは物自体と現象との関係に空間・時間の問題をどのように絡めて説明しているか
(10)参加者の感想の紹介

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント

 我々京都弁証法認識論研究会は、今年および来年の2年間を費やして、カント『純粋理性批判』に取り組んでいくことにしています。これは、哲学の発展の歴史を、絶対精神という一つの主体の発展として描いたヘーゲル『哲学史』の学び(2015-2016年)を踏まえつつ、客観(世界)と主観(自己)との関係という問題について徹底的に突き詰めて考え抜いたカント『純粋理性批判』の学び(2017-2018年)を媒介にすることによって、全世界の論理的体系的把握を試みたヘーゲル『エンチュクロペディー』の学び(2019-2020年)に進んでいこうという計画に基づいたものです。

 4月例会では、『純粋理性批判』の先験的感性論を扱いました。これは次のような構成になっています。

第一部門 先験的感性論
緒言(1)
第1節 空間について
 空間概念の形而上学的解明(2)
 空間概念の先験的解明(3)
 上記の諸概念から生じる結論
第2節 時間について
 時間概念の形而上学的解明(4)
 時間概念の先験的解明(5)
 これらの概念から生じる結論86)
 説明(7)
 先験的感性論に対する一般的注(8)
 先験的感性論の結語


 今回の例会報告では、まず例会で報告されたレジュメを紹介します。その後、扱った範囲の要約を4回に分けて掲載し、次いで、参加者から提起された論点について、どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に、この例会を受けての参加者の感想を掲載します。

 今回はまず、報告担当者から提示されたレジュメ、およびそのレジュメに対してなされた他メンバーからのコメントを紹介することにします。

 なお、この研究会では、篠田英雄訳の岩波文庫版を基本にしつつ、他の翻訳やドイツ語原文を適宜参照するようにしています(引用文のページ数は、特に断りがない限り、岩波文庫版のものです)。

・・・・・・・・・・・・・・・・・
カント『純粋理性批判』先験的感性論

【1】カントの空間論
 カントは、感覚に属するものを一切含まない感性的直観の純粋形式を純粋直観と呼び、このア・プリオリな感性の諸原理に関する学を先験的感性論と名付けている。そして、この先験的感性論は、感性の2つの純粋形式である空間と時間とを考察するものだというのである。
 カントはまず、空間について考察していく。空間は外的経験から抽象された概念ではなく、ア・プリオリな必然的表象であって、一切の外的直観の根底に存在する主観的条件だとカントは説明する。つまり、空間は物自体の性質でもなければ、物自体の規定でもなく、外的直観を可能にする感性の主観的形式だというのである。カントによれば、物自体は空間という形式によっては全く認識できず、この主観的形式によって浮上させられた現象を認識できるに過ぎないというのである。

<報告者コメント>
 唯物論の立場からすれば、「空間とはある一定の物質の静止の具体化の一般性」であって、「空間は外的経験から抽象された概念ではな」いとするカントの主張は受け入れられないものである。そもそも、人間の認識は、外界の対象を五感器官を通して脳細胞に反映したものが原基形態であるというのが唯物論の立場からの認識論である。この直接の反映を、対象たる事物の共通性で括っていく、つまり論理化することによって、徐々に徐々に対象の具体性を捨象し、一般性を抽象していくのである。その結果、高度に抽象化された概念として、空間という認識が創出されるのである。
 とはいえ、唯物論の立場からの空間の規定は、物質は一般性として空間という性質を持っている、などとは主張していないわけであるから、では空間が「ある一定の物質の静止の具体化の一般性」であるとはどういうことか、生き生きとした像を描けるように、繰り返し繰り返し議論し続けていく必要があろう。

【2】カントの時間論
 続いてカントは、時間についても言及していく。時間は何らかの経験から抽象された概念ではなく、一切の直観の根底にア・プリオリに与えられた必然的表象だとカントは主張する。つまり、時間はそれだけで存立するものでもなく、客観的規定として物に付随するものでもなく、一切の現象一般のア・プリオリな形式的条件だというのである。さらにカントは、空間が外的現象にのみ限定されるものであるのに対して、時間は我々の心の内的現象の条件だと述べている。そして、時間は現象に関してのみ客観的妥当性を持つのであるが、物一般に関しては、時間は客観的ではなくなると説明している。

<報告者コメント>
 唯物論の立場からすれば、「時間とはある一定の物質の運動の具体化の一般性」であるから、「時間は何らかの経験から抽象された概念ではな」いというカントの説明は、空間の説明同様、受け入れがたいものである。とはいえ、空間にしても時間にしても、人間が対象を把握する際の基本的な枠組みであると捉えたカントの考え方は、基本的には正しいものとして受け取れるという側面もあるだろう。カントも主張するように、空間も時間も経験的実在性を持つからである。
 それにしても、これも空間の唯物論的な規定とともに、時間の唯物論的な規定についてもよくよく考え続けていく必要がある。時間が「ある一定の物質の運動の具体化の一般性」であるとはどういうことか、単に物質の一般性ではなくて、また物質の運動の一般性でもなくて、物質の運動の具体化の一般性であると述べられているが、これはどういうことなのか、引き続き議論していきたい。

【3】カントの先験的感性論
 カントは、我々がア・プリオリに認識しうるのは空間および時間だけであって、我々の感性そのものに絶対に、また必然的に付属するものだと述べている。そして、空間および時間という主観的形式を通して我々に与えられているのは、物自体ではなくて現象だけであることを強調している。カントによれば、人間の認識は物自体を認識することはできず、この物自体とは区別される現象を捉えることができるに過ぎないというのである。
 最後にカントは、我々がア・プリオリな判断において、与えられた概念の外に出ようとする場合に、この概念には含まれていないがこれに対応するところの直観においてア・プリオリに発見され、その概念に総合的に結びつけられ得るところのものを、空間と時間において見出すのだと述べ、「ア・プリオリな綜合的命題はどうして可能であるか」という先験的哲学の一般的課題を解決するための要件の1つを示している。

<報告者コメント>
 カントの物自体論、すなわち人間の認識が捉えることができるのは、物自体ではなくて現象にすぎないという論は、人間はある外的対象を見ているつもりでも、実際には脳細胞に反映した認識を「見ている」のだという唯物論的な説明のカント的表現である、という側面を捉えれば、非常に重要な指摘であるといえるだろう。
 しかしカントはここで、大きく行き過ぎてしまうのである。つまり、物自体は捉えようがなく、どんな性質も持っていないとして、我々がその対象にあると思っている性質は、実は人間の認識の側から与えたものだというのである。すなわち、物自体の世界と現象の世界とを全く別のものだとして大きく分離させてしまったのである。これは「二律背反の先にある難問の解決に悩んだあげく、二律が背反するのは、対象の性質のゆえではなく対象に性質がないが故として論理の問題として自分の観念たる認識、すなわち頭脳活動の実力に解決を求めてしまった」(南郷継正『全集第12巻』p.113)結果であるが、唯物論の立場からは、「われわれはいかにもすべての客体を認識するであろうが、しかしどの客体をも認識しつくし、知りつくし、或いは把握しつくすことはできない」(三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』p.109に引用されているディーツゲンの言)と考えなければならない。端的には、外的対象と認識とはつながっているのであって、二律が背反するのは、対象の性質が認識されるからにほかならない、ということになるだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 このレジュメに対しては、(1)の報告者コメントにある「唯物論の立場からの空間の規定は、物質は一般性として空間という性質を持っている、などとは主張していないわけである」というのが、どういうことかがよくわからないという疑問が出されました。これについては、唯物論の立場からは空間という観念が対象の反映を土台として成立するといっても、空間というものが客観的に存在してそれを頭の中に反映させるという単純なものではないということを言いたかったということでした。

 また、(3)では、要約の部分に「カントは、我々がア・プリオリに認識しうるのは空間および時間だけであって」とあるが、これは間違いではないか、例えば幾何学的認識などもア・プリオリな認識なのではないのかという指摘がなされました。これについて、別のメンバーからは、そもそも空間と時間は対象を知覚する形式で、感覚は質料であるという文脈の中での話だということを押さえておく必要があるのではないか、という意見も出されました。
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 ・2014年1月例会報告:学問(哲学)の歴史の全体像について
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 ・新大学生へ説く「大学で何をどのように学んでいくべきか」
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 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
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 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
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 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
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 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
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 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
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 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言