2017年05月05日

ヘーゲル『哲学史』を読む(7/13)

(7)新プラトン派――感覚世界の滅却と理念の観念世界としての形成

 前回は、ヘーゲルのいわゆるギリシャ哲学の第2期について概観しました。この第2期の課題は、ギリシャ哲学の第1期(イオニアの自然哲学から、ピュタゴラス派、エレア派、ヘラクレイトス、原子論、アナクサゴラス、ソフィスト派、ソクラテスを経てプラトン、アリストテレスまで)の終わりで提示された普遍的だが抽象的な理念(プラトンのイデアやアリストテレスの能動的ヌース)が具体的で特殊的な事物を捉えていくことでした。普遍的なものの特殊的なものへの適用は、真理とは何かという問題を論じる形をとりました。特殊的なものが普遍的なものと結合することがすなわち真理だとされたわけです。この課題に対して、概念的(普遍的)でありながら感性的(特殊的)なあり方をも保持している表象レベルのイメージこそ真理であると決めつけて、その課題が果たされたことにしてしまったのが独断論です。その際、思考の側に主導権を認めたのがストア派であり、感覚の側に主導権を認めたのがエピクロス派でした。こうした独断論による安直な解決のウソ臭さを鋭く突いたものの、逆の極端にまで走って一切の客観的真理を否定し去ったのが、懐疑論でした。抽象的な理念が具体的な事物を捉えるにはどうしたらよいか、という共通の課題に挑みながらも、思考を重視するか、感覚を重視するか、何れも正しくないとするか、それぞれに一面的な主張が分立していくことになるのが、第2期の特徴であったということができます。

 ヘーゲルは、この第2期の終わり(懐疑論の登場)について、自己意識が自分の内面に返り、無限の主観性によって、思考する自己意識が自己を絶対者だと自覚する段階に至ったのだとしています。しかし、懐疑論における全世界の取り込みは、あらゆる区別、具体的な内容を否定する形で(したがってまた一切の真理を否定する形で)行われたので、ここに自己の内部の世界(抽象的で無内容な主観的世界)に諸々の差異を捉えて、具体的に規定された世界――叡智的世界――として構成していくことが課題として浮上してくることになります。この課題に挑んでいくことになるのが、ヘーゲルのいわゆるギリシャ哲学の第3期です。

 ヘーゲルは、ギリシャ哲学の第3期は、キリスト教に密接に関連するものであることを指摘しています。キリスト教においては、ユダヤ教の神(世界を創造した唯一神)とイエスという現実的人間が結び付けられることで、神=人間という直観が得られます。イエス・キリストという存在のイメージを通じて、自己意識こそが絶対の実在であるという考えが芽生えてくるのですが、それは直観されるにすぎず、絶対的な実在(=神)が概念的に把握されているわけではありません。絶対的な実在(=神)を概念的に把握するという課題を担わされたのが、ギリシャ哲学の第3期であったわけです。懐疑論を通じて絶対者であるとの自覚に到達した自己意識が、自己の内部に諸々の差異を捉えて叡智的世界を建設していくという課題は、絶対的な実在たる神を概念的に把握していくという課題と直接に重なるものであったわけです。結論的にいえば、この叡智的世界の建設は、客観を否定して主観に閉じこもるという懐疑論的なあり方を否定し、客観もまた主観と同じく精神的な存在であると割り切ることで、客観の具体的で豊かな内容を自分のものにしていく過程にほかなりませんでした。全ては一者(=神)からの流出なのであって、自己(個としての人間の意識)は直観的にその真理(自己=一者)を把握することができる、としたわけです。

 この第3期の哲学は、新プラトン派と呼ばれており、代表的な人物として、プロティノスとプロクロスの2人が取り上げられています。

 ヘーゲルは、プロティノスのやり方について、特殊的な概念を常に全くの一般的な概念へ還元してしまうものである、といいます。その一般的な概念こそ「一者」と呼ばれるものにほかなりません。プロティノスのいわゆる一者とは、純粋の有であり、あらゆる存在の究極の本質であって、端的には神のことです。あたかも太陽から日光が溢れ出るように、神からの「流出」によって諸々のものが形成されて行くのだとされるわけです。プロティノスは、一者とそこから流出したものとが別個のものではないことを力説して、一者から流出したものは方向を転じて再び一者(流出の源)へと向かって還帰するのだ、といいます。こうして一者は自己を直観します。プロティノスは、知性とはこの円環運動のことにほかならない、と説くのですが、ヘーゲルはこのことに注目し、高い評価を与えています。知性は自己自身(一者)を対象として、自己を展開し自己を規定されたもの(区別を含んだもの)としていくことにより、叡智的世界を成立させていくことになるわけです。

 ところで、ある事物(A)を他の事物(B)から区別するのは両者の差異であり、負の存在(Bではない、ということ)であると考えることができます。プロティノスはこの負の存在を物質だと位置づけました。プロティノスは、物質は現実に存在するものではなく、可能性として存在するものであって、非存在こそ物質の性質を表わす言葉である、としたのです。永遠不変のものとされる純粋の有(一者=神)に対して、変化しやがて消滅していくものが物質と呼ばれることになった、ということでしょう。プロティノスは、感覚的世界の原理は物質である、とします。叡智的世界は区別をうちに含みつつも一者(永遠不滅の絶対善)として完全に統一されているのですが、その叡智的世界の迂遠な模像としての感覚的世界は、物質こそが原理となっているので、非常に不安定で悪にも満ちています。

 こうしたプロティノス(新プラトン派)の哲学をプラトンの哲学と比較するならば、どのようなことがいえるでしょうか。プラトンは、世界を大きく2つ――イデア界(叡智的世界)と感覚的世界とに分けてみせたものの、両者の関係がどのようになっているのかという問題については、充分に論究することができませんでした。これに対してプロティノス(新プラトン派)は、絶対善たる一者からの流出という発想によって、叡智的世界の成立から感覚的世界の成立まで、それなりに筋を通して説明することができるようになったのだ、ということができるでしょう。しかしながら、ヘーゲルは、プロティノスの哲学(とりわけその知性論)について、的を射たものであり高度な観念論である、と高い評価を与えつつも、神からの流出のイメージが感覚的なもの(太陽から光が溢れ出るようなたとえ)にとどまって概念的な把握がなされていないために、完全な観念論とはいえない、という批判も加えています。

 ヘーゲルは、プロクロスの哲学については、プロティノスと同様の内容を含みつつ、体系的な秩序を整えて形式的に完成させたものである、と述べています。体系的な秩序、形式的な完成といった際に重要なポイントとなるのが、プロクロスが徹底して三位一体という展開にこだわったことです。一に対して無限(多)という対立物が立てられ、限界によって両者が統一される、といった具合の三位一体です。プロクロスには、この基本的な三位一体のそれぞれの項(一、無限、限界)がまた三位一体をなしている、という発想があったようです。要するに、ある契機に対立する契機が立てられた上で両者が統一される、という法則的な発展過程が繰り返されることで、世界全体の重層的な構造が出来上がっているのだ、というような捉え方がプロクロスにはあったのです。これは、世界全体の体系的な把握という哲学の重要な要素を含んだものといえ、こうした点に着目したからこそ、ヘーゲルはプロクロスを高く評価することになったものと思われます。

 以上、今回は、ヘーゲルのいわゆるギリシャ哲学の第3期(新プラトン派の哲学)について概観しました。人間(精神)は、新プラトン派において、自己の内部にある抽象的で無内容な主観的世界(第2期の終わり、懐疑論によって得られたもの)を、具体的に規定された世界――叡智的世界――として構成しなおそうとしました。そのために、世界の全ては一者(=神)からの流出なのであり、あらゆる存在は精神的なものであるとされたのです。しかしながら、その代償として、具体的な個人としての人間(精神)は、一者としての神のなかに没入させられてしまうことになりました。人間と神とは同じものであるという啓示は、イエス・キリストの降臨と受難というによって与えられていたのですが、これはイエス・キリストという特殊な人間についてのものと捉えられ、人間一般というレベルではまだ把握されなかったのです。
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 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言