2017年04月24日

小中一貫教育を問う(2/5)

(2)小学校と中学校の分化は必然である

 本稿は、義務教育学校の成立が法的に認められるほど小中一貫教育が進められている現状において、その是非について問うものです。今回は、そもそもなぜ小学校と中学校という形で学校がわかれているのかについて考えてみたいと思います。

 現在のような6−3制が成立したのは、敗戦後のことです。この6−3制は米国教育使節団報告書の中で望ましい学校体系として記されており、戦後の教育は六・三制であるということが教育改革の標語となるほど大きなものでした。そして、1947年、学校教育法において六・三制が定められたのです。つまり、義務教育として、小学校6年間と中学校3年間が位置づけられたのです。

 なお、同じ中学校といっても、戦前の中学校(旧制中学)とは大きく異なっています。旧制中学は義務教育ではありません。尋常小学校を卒業したのち、一部のもののみが進学するいわばエリートのための学校だったのです。したがって、現在の小学校・中学校というのは、かつての尋常小学校が拡大し、発展したものと位置づけることができるでしょう。

 では、なぜ6−3制となったのでしょうか。米国教育使節団報告の要旨では、以下のように書かれています。

http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317998.htm

「課税で維持し、男女共学制を採り、かつ授業料無徴収の学校における義務教育の引上げをなし、修業年限を九か年に延長、換言すれば生徒が十六歳に達するまで教育を施す年限延長改革案をわれわれは提案する。さらに、生徒は最初の六か年は現在と同様小学校において、次の三か年は、現在小学校の卒業児童を入学資格とする各種の学校の合併改変によって創設されるべき「初級中等学校」において、修学することをわれわれは提案する。」


 結局、6−3制を提案するというのみで、その根拠については書かれていません。したがって、その根拠については論理的に考えていく必要があるでしょう。

 小学生から中学生への過程を考えたときに、思春期という大きな結節点があることがわかります。したがって、思春期とは何かを踏まえて小学生と中学生の違いをおさえておく必要があります。

 思春期に関わって、南郷先生は次のように説いておられます。

「中学生(思春期)の五感器官に関わる論理構造は端的には以下のごとくであった。中学生は思春期とあって子供から大人への脱皮期間であり、準備期間である。それだけに、その実体の成長が子供時代と大きく変ってくる面がある。実体的には大人としての体へと変化することであるが、そのことによって、認識と実体とが相互浸透的な過激的変化をとげながらの大人へ向けての成長が、急速的となっていく。」(『武道と認識の理論U』三一書房、1991年、p.195)


「この思春期は大人へなりにいく最初の重大な時期であり、その個としての人間にとっては初体験期であり、かつ、最初にして最後の重大時期である。体が大人になった高校生では、絶対に味わうべくもない思春期である。これは単に、認識の思春期にとどまらず、実体の思春期であり、実体の思春期にとどまらない認識の思春期である。」(『武道と認識の理論V』三一書房、1995年、p.127)


 つまり、思春期というのは子どもから大人へと脱皮していく期間であるということです。とりわけ中学生の時期は実体と認識の両方の側面においてそうなのだということです。

 認識の側面に焦点を当てて、少しわかりやすく言えば、大人としての自立に向けた本格的な準備期間ということができるでしょう。小学校においてはまだまだ子どもであり、親や教師の指示に従って動いていたのに対して、中学校からは大人として自分で考えて行動するということを行い始めるということです。

 その構造の1つとして、論理能力の向上ということが挙げられます。例えば、中学生ぐらいになると、教師の指導に対して、「先生は言っていることとやっていることが違う」「なんで俺だけ怒られないといけないのか」などの不満を言うようになります。これは「先生の言っていること」と「先生のやっていること」という2つ、あるいは「自分に対する先生の対応」と「他の人に対する先生の対応」という2つをしっかりつなげて理解する能力(論理能力)がついてきたということです。これは別の側面から言えば、教師が言ったことだから従うというのではなく、「有言実行」「人間は平等である」などの価値観に基づいて自分のアタマで判断するようになってきているということでもあります。

 このように小学生というのは子どもであり受動的であるのに対して、中学生というのは大人(の準備段階)であり能動的なのです。ちなみに、学校教育法では小学生は「児童」、中学生からは「生徒」(「徒」とは「弟子」という意味です)と定められていますが、これはなかなか見事な把握だと言えるでしょう。

 すると、次の問題は受動的な子どもの段階であった小学生から、大人の準備段階である中学生への移行はどうあるべきか、ということになります。ここに関わって、現在ではいわゆる中一ギャップと呼ばれる現象が生まれているから段階的である方がよいとして、小中一貫教育が進められているわけですが、端的には、ここは急激な変化でなければならないということになります。つまり、環境を一気に変えてしまって、小学校のときの認識を捨て去ってしまわなければならない、ということです。

 少し具体的に説きましょう。中学校というのは大人として自立するための本格的な準備期間ですから、小学校に比べればそれなりの厳しさというものが当然存在しています。そのときに、小学校のときの認識をひきずっていたのでは、まともに中学校での教育を消化していくことができなくなる、ということです。例えば、「小学校のときはよかった。小学校の先生はいっぱい面倒を見てくれた」などと考えていたのでは、中学校という環境をしっかりと反映することができなくなるでしょう。小学校を思い浮かべて、そこへ逃避しようとする認識を創ってはいけないということです。

 ここはサリバンがヘレン・ケラーを教育するために、つたみどりの家で生活するようにしたことと同一の論理が存在しています。ヘレンはそれまで家庭内において暴君として存在していたのでした。その家庭内の認識のままではまったくサリバンの教育がヘレンに入っていかないため、家庭という環境から切り離して、つたみどりの家で生活することにしたのです。こうしてこれまでの環境から切り離すことで認識をいわば白紙状態にし、これまでとは違う新たな教育が入る余地を生み出していったのです。これは南郷先生が説いておられる”change of the place, change of the brain”ということの1つの具体的なあり方でもあります。

 以上を踏まえれば、小学校と中学校はしっかりと分化していなければならないということになります。小学校と中学校が隣接しているような場合、中学生になった子どもはどうしても自分がそれまでにいた小学校の校舎も、また自分たちと一緒に活動した在校生の子どもも見ることになり、小学校の時の認識を捨てがたくなります。それは中学校という環境としっかり相互浸透をしていく上で、大きなマイナス要因となるのです。以上が小学校と中学校が分離している必然性(の1つ)ということができるでしょう。
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 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言