2017年04月22日

重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想(5/5)

(5)弁証法・労働論・技術論は重層構造をなしている

 本稿は,『“夢”講義(2)』から重層的な弁証法をしっかりと学び取ることを第一の目的として,その他,本書で説かれている労働と疎外,それに技術論も取り上げて,理解を深めていくために認めてきた。ここで,これまでの内容を振り返っておきたい。

 まず,「プロローグ――まえがきに代えて――」を引用しながら,本書で説かれている内容を確認した。本書ではアタマとココロの見事な使いかたの基本となる学び=弁証法の学びを中心にすえて説いてあった。また,三浦つとむさんの弁証法は単層レベルなので,学問の問題を解くためには不十分であり,重層構造で成り立っている学問の対象を説くための重層的な弁証法をしっかりと説いているのが本書であるとも説かれていた。

 連載の第2回では,本稿の第一の目的たる弁証法そのものを取り上げた。本書の第1編では,初めに,「弁証法とは,自然・社会・精神の一般的な運動とか発展の法則」であるとして,弁証法でいう自然とは何か,社会とは何か,精神とは何かが説かれていた。弁証法でいう自然とは,地球上の人間社会を除いた全歴史の実体のことであり,小さくは地球全体の発展過程を含んでの,大きくは宇宙そのものの発展を内に秘めての自然としての流れそのものとされていた。筆者は,弁証法でいう自然というとらえ方に驚き,その壮大さに感心したのであった。また,弁証法でいう自然概念には,当然ながら,変化・発展が内に含まれているのであった。弁証法でいう社会とは,サルが人間に進化してからの時代的流れのすべてをうちに含んで発展してきている社会の歴史性そのものであり,弁証法で説く精神とは,人類の歴史を創造するのに寄与してきたモロモロの先達たちの英知の集大成をアウフヘーベンしたものであり,人類の時代として生成発展するモノだとされていた。特に,精神に関わっては,「個々の誰かのモノをいうのではなく,「英知のすべての集大成の昇華」したモノ」と捉えられており,ここは重要だと感じた。南郷先生は全学問を網羅したからこそ,このような弁証法で説く自然・社会・精神の概念化が可能であったのだし,われわれも弁証法を学ぶ際にはせめて中学の全教科の内容を自分の実力とする努力とともにやっていかねばならないことも確認した。もう一つ,弁証法と弁証術の違いが説かれていることも重要だと感じた。弁証法の対象は世界全体(森羅万象)であり,古代ギリシャの学者たちは全学的研究を行っていたと説かれていた。そして,古代ギリシャの学問形成過程にこそ,弁証法の起源があると説かれていたのである。古代ギリシャの学問形成過程で,個々人の限界を突破するために,他人の認識との相互浸透を図ること,すなわち交流かつ議論することがなされ,「この一連の議論の,討論の,論争の過程を一つの流れの過程として,すなわち過程的構造としてとらえかえしたものが「ディアレクティク」,すなわち弁証法といわれるものだった」ということである。ここから,方法としての弁証術も,法則としての弁証法も,ともに世界全体に関わるものであり,前者があってこその後者の誕生ということができるであるから,われわれも個体発生においてこの過程を辿り返す必要があると説いておいた。

 連載の第3回では,本書で夢に関わって説かれている「労働」概念について,特に労働と疎外の関係について検討した。南郷先生は,労働とは,人間が目的的に対象に観念的・実体的にはたらきかけて,対象を目的的に人間化するべく創りかえることであり,かつ,そのことによって目的とした対象が目的的に人間化することによって,人間が目的のレベルで創りかえられることにあると規定されていた。ここで大切なポイントは,労働とは目的をもって対象にはたらきかける行為であるという点と,労働とは「自然の人間化・人間の自然化」のことであるという点であると指摘した。二つ目の点は,働かきかけられた側の変化と,働きかけた側の変化を統一して捉えており,人間と自然の相互浸透をきちんと捉えているからして,非常に弁証法的な捉え方であろう。また,南郷先生は,疎外とは,(学問レベルから説けば)人間が労働を対象化すると,その人間自らが労働を対象化したモノによって,その人間自体が規定されてしまうことと規定されていた。労働することによって労働した側の人間にも変化が生じるのであり,この側面をとらえて「疎外」というのであった。南郷先生は「ここでいう人間とは人類一般からなる人間一般であり,簡単には,社会的存在としての人間そのもののこと」を指しており,「ここでまちがってはならないことは,必ず人間一般であって,個としての人ではない」と指摘されていた。これは,大きな視点で,サルから人間への発展の流れをふまえた上で人間をとらえるべきであるという指摘であろう。さらに,人類一般としての人間が行った労働が,結局は人類一般としての人間を規定することになるのだ,というような含意があるのではないかとも指摘しておいた。たとえば,原爆を開発した人間と,原爆で被害を受けた広島や長崎の人間は別人であるが,大きな観点から見れば,人間が創ったモノによって,人間自体が規定=規制されたということができるのである。こういう捉え方が「人間一般」ということではないかということであった。また,幼児の遊びを労働として捉えておられるのも,両親・保育士と幼児を別々の人間として区別するような観点ではなく,双方を人間一般として捉えているからこそではないかと説いておいた。これは,弁証法でいう「精神とは個々の誰かのモノをいうのではなく,「英知のすべての集大成の昇華」したモノ」であると説かれていたのを髣髴とさせる弁証法的な捉え方であると感じた。最後に,同じ人間一般の目的的な行為を,その目的性・過程性に重点を置いて捉えると「労働」となり,その結果に重点を置いて捉えると「疎外」となるという解説について,対立物を統一した弁証法的な捉え方であるとしておいた。

 連載の第4回では,本書で説かれている技術論を取り上げて考察した。技とは動物が関わるモノではなく,本来は人間のみが関わるモノ,関われるモノであるとしたうえで,技とは人間の認識のなせるワザであり,認識が関わって技となると説かれていた。ここから,認識のない動物は,全てを本能が統括しているのであり,技などなくても問題なく生きていくことが可能であるが,本能が薄れた人間の場合は,認識が技を創出していくのであり,この技こそ,薄れた本能を補うようなものであると位置づけられるのかもしれないと指摘しておいた。その後,「始めチョロチョロ,中パッパ」という歌の文句で有名なご飯の炊き方も技であると指摘され,「物のこと」が技になるのは,それに関わった認識のオカゲであることが強調され,認識が「物のこと」を技化すると説かれていた。また,「技化」については,認識がなにかに関わって対象を自家薬籠中のものと化すものであるとされていた。たとえば包丁の使いかたを技化する場合,食材の押さえ方や包丁のおろし方などをしっかり認識したうえで,手を駆使できるようにならないといけないし,正しい使いかたをくり返すことによって,意識せずともきちんと切れるようになる=技化する,ということだと説いておいた。この後,南郷先生は,「物のこと」ばかりではなく,「認識のこと」も認識が関わって初めて技化されると説かれていた。「認識のこと」とはたとえば,相手の心を読む術(技)とか,心を教育する術(技)とかのことである。看護師や心理士は,経験のないことでも分かる能力をもつことが必要なのであり,それは努力・訓練で培うものであり,そのような,相手の心を読みとる術,相手の心を動かせる術,相手の心を変えてやれる術なども技というのであると説かれていた。たとえば,うつ状態のクライエントの心を読みとる術も一つの技であり,鬱々としたクライエントの認識を治療的な方向へと運動・変化させるのも,心理士としての重要な介入技法なのであると指摘しておいた。このように,相手の心というような「認識のこと」についても,技化ということが可能なのであり,特に看護師や心理士にとっては,「認識のこと」についての技というものが非常に重要になってくるとまとめておいた。

 以上,本稿で取り上げた弁証法,労働・疎外論,技術論について振り返った。これらはすべて,南郷先生が現在までの学問の発展の流れを一身にくり返したうえで,独自に発展させられた分野であると思う。南郷先生は,三浦つとむさんの弁証法は単層弁証法であると批判されていた。これは,主として自然を対象として引き出された弁証法であり,自然から生まれた社会,そして社会の中に誕生した精神をも含む重層構造を把持する世界全体を解明するには不十分だということであった。南郷先生は,自然・社会・精神が重層構造をなし,相互浸透しながら相互に規定しあっている世界の全体を解明され,その重層構造を踏まえた弁証法を創出されたのである。すなわち,自然の弁証法を解明され,社会の弁証法を解明され,精神の弁証法を解明された上で,これらを統一的に捉え返されたのであろう。これが重層弁証法ということになるのだと思う。。

 以上を踏まえて,本稿で取り上げた弁証法,労働・疎外論,技術論の関係を眺めてみると,次のようなことがいえるのではないか。すなわち,弁証法よりも労働・疎外論,労働・疎外論よりも技術論の方が特殊で狭い領域になっており,労働・疎外論は弁証法の基盤の上に創られ,技術論は労働・疎外論の基盤の上に創られているということである。もう少し詳しく説いてみたい。

 弁証法とは,先にも再確認したように,自然・社会・精神の一般的な運動とか発展の法則のことである。その中で,自然の弁証法といえば,端的にいうと「生命の歴史」のことであろう。それは,地球とそこから誕生した生命体の相互浸透的発展の流れを論理化したものといえる。その相互浸透のあり方が,生命体が人間に至ると,特殊性を帯びるようになる,つまり,それまで生命体は環境に対して受動的だったのに,人間の段階に至ると環境に対して能動的に働きかけるようになる。それが労働・疎外ということである。すなわち,生命体と地球の相互浸透の中で,人間と地球との関わりに関して取り上げたものが労働・疎外論ということになるであろう。換言すれば,全世界の一般的な運動・発展の中から,人間が自然や他の人間などに働きかける,その働きかけに領域を絞ってみて,その中で働きかけられた対象がどのように運動・発展するのか,働きかけた人間はどのように運動・発展するのかということを概念化すると,労働・疎外ということになるのではないか。

 さらに,技化というのは,疎外の特殊なあり方ということができるように思う。どういうことか。疎外とは人間自らが労働を対象化したモノによって,その人間自体が規定されてしまうことであったが,その疎外の中で,認識が何かに関わって対象を自家薬籠中のものと化した場合,それを「技化」というのではないだろうか。目的を持った人間の行為が労働であったが,その労働の結果,人間は何らかの規定を受ける。それが疎外である。この疎外を,人間の上達という観点から捉えた場合,それを技化というのではないだろうか。

 要するに,自然・社会・精神の一般的な運動の特殊性として労働とか疎外とか呼ばれるものがあり,その疎外の特殊性として技化と呼ばれるものがあるのではないか。そうして,技というものを考えるに際して,単に技自体から考えるのではなく,もう少し広く,人間の労働・疎外一般から考えるのでもなく,もっと広く,自然・社会・精神の一般的な運動・発展の法則である弁証法レベルから考えていくということが,南郷継正先生の真骨頂なのではないか。このような三層構造=重層構造をしっかりと捉えられる実力こそ,南郷先生の説かれる重層弁証法の実力ということなのではないかと,今回,本稿を執筆する過程で思わされたことであった。

 いずれにせよ,夢を説くに際して,世界全体の一般的な運動の法則を当然に前提にしたうえで,人間の目的的な行為である労働=疎外をも踏まえて説かれていくのである。このように,より大きな視点から,その生成発展をしっかり把握したうえでそのものを説いていくという説き方こそ,弁証法的な説き方であり,本書で典型的に示されている説き方であろうと思う。こういった説き方からも弁証法をしっかりと学んでいきたいと考えている。

(了)
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 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言