2017年04月20日

重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想(3/5)

(3)労働と疎外の関係を問う

 前回は,南郷継正『“夢”講義(2)』で初学者向けに説かれている弁証法の内容を確認した。南郷先生は,自身の恩師である三浦つとむさんの弁証法に不足しているところを「重層弁証法」として説かれていたのであるが,そこで重要なのは,弁証法でいう自然・社会・精神の概念化と古代ギリシャの弁証術の意義であるとして,その中身を紹介したのであった。

 今回は,本書で夢に関わって説かれている「労働」概念について,特に労働と疎外の関係について見ていきたい。

 南郷先生は,人間が夢を見ることができるようになっていった過程を説く流れのなかで,看護学科学生から出された「労働」というイメージがつかめないという質問に答える形で,労働についてやさしく説いていかれる。まずは学問レベルで説かれる「労働とは」の部分を引用する。 

「労働とは,人間が目的的に対象に観念的・実体的にはたらきかけて,対象を目的的に人間化するべく創りかえることであり,かつ,そのことによって目的とした対象が目的的に人間化することによって,人間が目的のレベルで創りかえられることにある」(p.80)


 ここで大切なポイントは,第一に,労働とは目的をもって対象に働きかける行為である,という点である。あとの部分でも,人間の行為の中で「なにか目的をもってなんらかの対象にはたらきかけて,なんらかのモノ(このモノは実体のみならず,認識をも含みます)を創りだしていく,いける行為を学問的・理論的には「労働」と称するのです」(p.88)と説かれている。

 第二に大切だと思われるポイントは,「『弁証法はどういう科学か』(前出)では,ここを簡単に「自然の人間化・人間の自然化」として説いてあります」(p.80)とあるように,労働とは「自然の人間化・人間の自然化」のことであるという点である。先に見たように,労働とは目的をもって対象に働きかける行為であるから,働きかけられた対象が変化する,すなわち自然が目的に見合ったものとして人間化する,ということはイメージできる。しかし,労働が「人間の自然化」でもあるといわれると,ピンとこない読者もいるのではないか。先の引用文でも「人間が目的のレベルで創りかえられる」とあるが,このことが,特に弁証法の初学者はよく分からないのではないかと思われる。それでも,労働という目的を持った働きかけによって,働きかけた側も変化するというのである。

 これは,非常に弁証法的な労働の捉え方だと思う。働かきかけられた側の変化と,働きかけた側の変化を統一して捉えているからであるし,自然の人間化と人間の自然化というように,人間と自然の相互浸透をきちんと捉えているからである。

 この労働の人間の自然化の側面をより広く捉えた捉え方が「疎外」ではないか。南郷先生は,疎外について次のように規定しておられる。

「疎外とは,(学問レベルから説けば)人間が労働を対象化すると,その人間自らが労働を対象化したモノによって,その人間自体が規定されてしまうこと」(p.81)


 すなわち,疎外とは,労働にともなって,働きかけた対象によってその人間自体が規定されることである。働きかける対象が自然であれば,これは人間の自然化ということになるであろう。ともかく,労働することによって労働した側の人間にも変化が生じるのであり,この側面をとらえて「疎外」というわけである。

 ここで注意を要するのは,南郷先生が「ここでいう人間とは人類一般からなる人間一般であり,簡単には,社会的存在としての人間そのもののこと」を指しており,「ここでまちがってはならないことは,必ず人間一般であって,個としての人ではない」(p.81)と指摘されている点であろう。ここでいう人間とは人間一般のことであるとは,どういうことか。

 まずいえそうなことは,大きな視点で人間をとらえるべきであり,もう少し具体的にいうと,サルから人間への発展の流れを踏まえるべきである,ということであろう。すなわち,生命の歴史を踏まえたうえで,人間の労働=疎外を問題にしない限り,労働=疎外とは何かということは明らかにならない,ということではないか。実際,本書でも,生命の歴史から夢を見る実力への過程が説かれた後で,「労働とは何か」が問われている。個としての人間という,目の前に存在する一人の人間を問題にするのではなく,もっと広い視野から,人間に至る過程をも射程に入れて,弁証法的に,サルまでの生命の歴史をも内に秘めた存在として,人間を見ていくべきであり,そうしてこそ,労働=疎外の謎も解ける,ということではないか。

 もう一ついえそうなこととしては,ある特定の人間が行った労働によって,その労働を行った人間自体が規定されるというのではなく,もっと大きな観点から,人類一般としての人間が行った労働が,結局は人類一般としての人間を規定することになるのだ,というような含意があるのではないか,ということである。どうしてそのように考えられるのかというと,南郷先生は次のように説かれているからである。

「もう一度くり返しておきますが,疎外とは結果として人間が(あるいは人間性=精神が)規定ないし規制されることであり,端的にいえば,人間が人間として社会的に労働した(させられた)結果,自分たち人間の精神が創出した(させられた)資本なり工場なり原爆なりによって,人間のありかた,育ちかた,はたらきかた,生活のしかた,教育のされかたが規定=規制されてくることをいうのです。」(p.85)


 ここで説かれている原爆の例が分かりやすい。原爆を開発した人間と,原爆で被害を受けた広島や長崎の人間は別人である。しかし,大きな観点から見れば,人間が創ったモノによって,人間自体が規定=規制されたということができるのである。こういう捉え方が「人間一般」ということではないか。

 また,「幼児の遊びも,目的を持った両親とか保育士の教育の一環としてあるのなら,しっかりとした労働となります」(pp.88-89)とも説かれている。これも,両親・保育士と幼児を別々の人間として区別するような観点ではなく,もっと大きな観点から,双方を人間一般として捉えるならば,目的をもってある行為を行うことによって,人間一般が学習して,変化・発展していく,ということもできるように思う。先の引用文に,「人間が人間として社会的に労働した(させられた)結果,自分たち人間の精神が創出した(させられた)」と,「させられた」という言葉がカッコ書きで挿入されているが,これはたとえば,個々の具体的な幼児が労働=遊びをさせられたといっても,それは,人間一般という観点から見れば,自分が教育的な目的をもって労働したのであり,その労働によって人間が人間となっていくための社会的な学習を行った,というようなことを意味しているのではないか。

 このような人間の捉え方は,非常に弁証法的であるといえる。なぜなら,前回見たように,弁証法でいう「精神とは個々の誰かのモノをいうのではなく,「英知のすべての集大成の昇華」したモノ」であると説かれていたように,個々の人間を問題にするのではなく,個々の人間をひっくるめて一括りにして,人間一般として捉えることこそが,弁証法的な人間の捉え方だからである。今問題にしている労働とか疎外とかいうことも,個々の人間を問題にするというよりも,そういった個々の人間をひっくるめて一括りにしたところの,人間一般を問題にしている概念なのである。

 以上見てきたように,人間一般のなす目的を持った行為が労働であり,疎外なのであるが,この両者の関係は,端的に次のようにまとめられている。 

「労働も疎外も,人間一般の同じ行為のことを説明しているからです。ただ,労働はその行為の目的性・過程性に重点を置いて説いてあるのにたいし,疎外は結果に重点を置いた言葉なのです。したがって,双方の言葉を直接的同一性レベルで用いることが可能になる努力をしてください。」(p.86)


 ここも非常に弁証法的である。というのは,人間一般の同じ行為を,目的性・過程性と結果という対立物の統一として捉えているからである。すなわち,人間の目的的な行為を,その目的性・過程性に重点を置いて捉えると「労働」となり,その結果に重点を置いて捉えると「疎外」となる,ということである。さらに,マルクス主義の影響で,「疎外」といえば,悪い側面のみが強調されてきたが,ヘーゲルが説くように,よい側面も当然にあるとして,疎外のよい側面と悪い側面を統一して説いておられるのも,非常に弁証法的であると感じた。

 以上,今回は,本書で説かれている労働と疎外について見てきた。

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 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う