前回までは4回にわたって、2017年3月例会で扱ったカント『純粋理性批判』緒言の要約を掲載してきました。ここで改めて、大切なポイントを振り返っておきたいと思います。
カントはまず、純粋認識(ア・プリオリな認識)と経験的認識をしっかりと区別していました。カントがいうア・プリオリな認識とは、個々の経験にかかわりのない認識というのではなくて、一切の経験に絶対にかかわりなく成立する認識のことでした。またカントは、経験的なものをいっさい含まない認識を純粋認識とも呼んでいました。このような純粋認識(ア・プリオリな認識)に対立するのが経験的認識です。
次にカントは、純粋認識と経験的認識とを確実に区別しうる標徴を問題にし、それを必然性と厳密な普遍性であると説いていました。そして、そのような必然性と厳密な普遍性を有するア・プリオリな認識の可能、原理及び範囲を規定するような学を哲学は必要とすると説いていました。
さらにカントは、分析的判断と綜合的判断の区別を考察していきます。主語と述語との関係を含む一切の関係において、述語Bが主語Aの概念のうちにすでに(隠れて)含まれているものとして主語Aに属しているか、述語Bは主語Aと結びついてはいるが、しかしまったくAという概念のそとにあるかの2つがあるとして、前者を分析的判断、後者を綜合的判断と規定したのでした。分析的判断は解明的判断とも呼ばれ、綜合的判断は拡張的判断とも呼ばれていました。カントは、経験判断は全て綜合的であるとしたうえで、ア・プリオリな総合判断ということを問題にしていきました。
カントは、数学や自然科学、それに形而上学などの、理性に基づく一切の理論的な学には、ア・プリオリな綜合的判断が原理として含まれていると説ていました。そうすると、純粋理性の本来の課題は、「ア・プリオリな綜合的判断はどうして可能であるか」という形の問いにまとめられるとしていました。そして、この課題の解決に最も近づいたのがヒュームであると指摘されていました。
最後にカントは、純粋理性批判の構想と区分についても説明していました。
以上のような内容について、会員から事前にいくつもの論点が提出されました。それをチューターが3つにまとめました。その3つの論点が以下です。
1.ア・プリオリな認識とはどういうものか?
カントは、ア・プリオリな認識とはどのようなものであると説いているのか。通常言われているところのア・プリオリな認識なるものと、カントが明確に規定したところのア・プリオリな認識とはどのように異なっていると主張しているのか。カントは、ア・ポステリオリ、経験的認識、純粋認識という言葉も挙げているが、これらの区別と連関もしっかり確認したい。ここに関わって、純粋認識と経験的認識とを区別する標徴はどのようなものか。
2.分析的判断と綜合的判断とはどういうものか?
カントは、分析的判断と綜合的判断とを区別しているが、それぞれどのようなものだと説いているか。綜合的判断は、経験判断、あるいはア・プリオリに確立している判断とどのように関係しているのか。また、理性にもとづく一切の理論的な学、すなわち、数学や自然科学、形而上学にはア・プリオリな綜合判断が原理として含まれていると主張しているが、これはどういうことか。
3.純粋理性批判とはどういうものか?
カントは純粋理性批判の本来の課題は「ア・プリオリな綜合的判断はどうして可能であるか」という形の問いに含まれている、と述べているが、このような問いの提起の意義を、哲学史上にどのように位置づけているのか。このような問いの提起に関わって、カントは、デイヴィッド・ヒュームの議論の意義と限界をどのように見ているのか。また、人間の認識の2つの根幹であるとされている感性と悟性とはどのようなものだとされているか。
これら3つの論点について、例会1週間前までに会員はそれぞれの見解を作成し、メールで相互に送り合いました。そしてチューターはそれらの見解を例会当日までにまとめました。例会当日は、それらの見解を踏まえて、議論をしていきました。
次回以降、これらの論点についてどのような議論・討論がなされ、どのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していくことにします。