2017年03月12日

一会員による『学城』第14号の感想(3/14)

(3)発展のためには基礎をおろそかにしてはならない

 今回は北條翔鷹先生の実戦部隊飛翔隊の修業過程に関わっての論文を取り上げる。武道空手技を修得するための鍛錬とは如何なるものかが説かれていく論文となっている。

 本論文の著者名・タイトル・目次は以下である。

北條翔鷹
実戦部隊飛翔隊修業の総括小論(4)
―1983年〜1988年3月の実戦部隊飛翔隊合宿修業小論―

 《目 次》
一、武道空手体力養成のために学んだ柔道の「木立への打ち込み」
二、武道空手体力養成のために学んだ薩摩示現流を超える鍛錬
三、達人としての武技体得における姿形を覚えるとは

 本論文ではまず、立木蹴りと立木打ちの鍛錬が、武道空手体力養成のための基本であることが説かれ、これが講道館柔道の達人木村政彦の修行に由来すること、骨体力・筋体力鍛錬の重要な養成課程であり、かつ一撃必倒の武技創りとなっていったことが説かれる。さらに、この鍛錬が薩摩示現流の太刀斬り鍛錬(立木を木刀で叩く鍛錬)の武道空手版であるとして、薩摩示現流の立木打ちが説明され、その修練方法の意義や示現流の見事さが南郷先生の著作を引用しつつ明らかにされていく。そして、そうした他の武道に学ぶ場合、現象的にそれらを真似て取り入れるのではなくて、見事な重層的な構造を持った大発展レベルでの変革をなして学ぶ必要があることが説かれ、女子武道家の卵の実践が紹介される。すなわち、骨体力の強靭化や神経体力の自由自在な動きへ向けての発達、内臓体力の強靭化を目指して、炊事、洗濯、水汲み、薪割り、田畑の耕し、リヤカーの押し引きなどを行ったというのである。合わせて、武道空手基本武技の再措定をすべく日課として、武技の姿形を覚えこみ、覚えた姿形を自分のものにする鍛錬を繰り返し実践していったことが紹介され、その中で単なる現象的な姿形をとるということが問題なのではなく、武技としての構造をともなった上で姿形をとっていることが重要だということが思い知らされたと説かれるのである。

 『学城』第14号全体と貫くテーマである「発展の論理構造」に関して本論文で取り上げたいことは、「一撃必倒の武道空手技を修得するための鍛錬」(p.48)とは如何なる過程を持ったものであるのかということについてである。ここに関しては以下のように説かれている。

「我々飛翔体が目指す一撃必倒の武道空手技を修得するための鍛錬であったはずの“立木打ち、蹴り込み”や武道居合技斬り下ろしの鍛錬は、さらにその鍛錬がまともにできるようになるための“丸太土手打ち”がまともにできる必要があり、さらにそれがまともにできるようになるための修練の1つにもっと強烈な鍛錬があったのである。」(同上)

 すなわち、「一撃必倒の武道空手技を修得するための鍛錬」にはそれなりの段階があり、いきなり武道空手技を修練するものではないということである。ここで「強烈な鍛錬」とあるのは、明示はされていないものの、おそらくは「炊事、洗濯、水汲み、薪割り、田畑の耕し、以上のそれが実力をもつための、材木を積んでのリヤカーを押し引きしながらを、坂道の傍らの道なき道での坂道の上り下り」(pp.45-46)であり、「海岸では何時間もの砂浜での鍬の打ちこみであり、流木の引き回し等々であり、海のなかでは泳ぐのではなく、波に逆らっての四方八方への強烈な歩き(走り!)」(p.46)などのことであろう。こうした「通常の武道修練の若者が行う内容とはおそらくは大きく異なった」(p.45)鍛錬は、筋肉鍛錬などの皮相なことではなくて、骨体力の強靭化や神経体力の自由自在な動きへ向けての発達、内臓体力の強靭化を図るために実践されるものだと説かれている。

 ここで注意しなければならないことは、こうした鍛錬を行う武道修練の若者が、こんなものは武道でもなんでもないとして、ここを避けて通ろうとすることはあってはならないということである。こうした「強烈な鍛錬」を踏まえることなしには、決して武道の道を歩むことができないということである。このことは、学問の世界でも当てはまる論理である。すなわち、例えば言語学を志して出立したとしても、弁証法や認識論の基本的な用語や概念に関しては、繰り返し繰り返し学んでいく必要があるのであって、このことをおろそかにしては決して言語学の創出など不可能なのだということを肝に銘じておく必要があるのである。武道空手技の修得過程における「発展の論理構造」は、そのまま自らの学問構築過程の「発展の論理構造」であるとして、自らの問題としてしっかりと受け止める必要がある。

 さて、ではこうした基本的な鍛錬を積んだ後、諸々の鍛錬を経て、武道空手技の鍛錬に入ったとして、そこでも注意すべき点があると本論文では説かれている。それはまず、基本技の厳格なチェックや型修練を行っていく必要があるということである。そしてこうした鍛錬は、達人レベルに到達すればもはや「モデルチェンジは不可能なものであるから、最高の姿形で学ばなければならないからである」(p.47)と説かれているのである。つまり、歪んた形で基本技を覚えてしまっては、それを修正することが不可能であるから、基本技の型を常に正しいものとして創っていく努力が必要だということである。先の学問の世界の観点でいえば、基本的な用語や概念に関する学びを一応終え、本格的に言語学の学びを行っていく際にも、常に合わせて基本技の確認をしていく必要があるということであろう。

 そしてさらに注意すべき点として、「武道においては現象的な姿形をとるということが問題なのではなく、武技としての構造をともなった上で姿形をとっていることが重要だ」(同上)と述べられているのである。ではここでいう「武技としての構造をともなった上で姿形をとっている」とは一体どういうことであろうか。その後の展開を踏まえて考えると、それは実践を想定した練習を行う必要があるということだと思われる。ではこの「実戦を想定した練習」と「現象的な姿形をとる」練習とはどこがどう違うのであろうか。これも明確には説かれていないが、おそらくは認識が違うということではないかと思う。つまり、単に現象的な形をきちんと取れるように基本技の学びを行っていけばそれでいいというのではなくて、その修練を行う際には、常に実践を意識して、実戦さながらの緊張感や気合でもって修練を行う必要があるということだと思う。人間は認識的実在であるから、単なる実体的な動きということはあり得ないのであって、常に認識のあり方に規定された実体の運動であるから、実体と認識とを統一的に鍛えておく必要があるという指摘だと思われる。これも学問の世界ではどういうことになるのかを考えると、単に本から文字を暗記レベルで学ぶというのではなくて、そこに生き生きとした像を伴いながらの学び、例えば認識論の学びであれば、自分の頭脳活動を立派にするためにこその学びが必要だということであろう。

 以上、武道空手の上達過程に重ねる形で、学問の構築過程における認識の発展過程の論理構造を考察してきた。端的には、基本技は当初はもちろん、学びの一定の段階に至った後でも繰り返し確認していく必要があるし、単なる文字の暗記レベルの学びではなく、その文字から生き生きとした像を描きながらの学びが発展のためには必須であるということであった。
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 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言