2017年03月09日

システムズアプローチを弁証法から説く(5/5)

(5)システムズアプローチは弁証法性を踏まえている

 本稿は,天才セラピストと称されている東豊が採用しているシステムズアプローチを俎上に載せ,なぜこの方法でセラピーが奏効するのかを,弁証法の観点から説いていく論考でした。システムズアプローチとは,「システムを念頭に置いた心理・社会的援助の総称」(東豊『セラピスト入門』p.5)のことであり,部分はシステムのあり方に規定され,システムのあり方は部分に規定されているという特徴を活かして介入するセラピーでした。ここで,これまでの流れを振り返っておきたいと思います。

 はじめに,システムズアプローチの前提となっているものの見方考え方について検討しました。それは,円環的思考法と呼ばれており,一方通行の直線的思考法とは違い,「原因は結果であり,結果は原因である。善は悪であり,悪は善である。」などと考える考え方,「事象Aは事象Bの原因でもあり,結果でもある(事象Bは事象Aの原因でもあり,結果でもある)」というように,双方向的な見方をする考え方のことでした。このような円環的思考法は,物事を矛盾として,対立物の統一として捉える見方であり,非常に弁証法的な見方といってよいのでした。システムズアプローチでは,このような対象の弁証法性を的確に捉えられるような見方が採用されているからこそ,対象をきちんととらえられ,その対象に適切に働きかけていくことが可能となっているのだと説きました。もう一つ,コンテンツ(内容)よりもコンテクスト(前後関係,文脈)を重視するというシステムズアプローチの見方も検討しました。これは,コンテンツに囚われることなく,コンテクストに目を向け,悪循環のパターン(コミュニケーションの連鎖)を見出そうとするものの見方のことです。これは,システムの部分同士や部分と全体のつながりを見ようとする見方であり,全体を踏まえることによって部分だけを見ていたのでは見えてこなかった対立する性質を浮き彫りにする見方でもあるという意味で,非常に弁証法的な見方といってよいのでした。このように,システムズアプローチが奏効する背景には,弁証法的なものの見方があるのでした。

 次に,システムズアプローチの代表的・典型的技法の一つである「ジョイニング」を取り上げて,これを弁証法の観点から説きました。ジョイニングとはお仲間に入れていただくということであり,システムに参加する,とけ込むことを意味していました。東豊は,ジョイニングがすべてであり,ジョイニングができないと,他の指導は無意味になるし,ジョイニングのセンスがないと援助者にはなれないと断言するほど,ジョイニングを重視しているのでした。では,どのような操作をすればジョイニングができるのでしょうか。東豊は,ジョイニングを実現するためには,相手のムードや雰囲気,動き,話の内容,ルールに合わせなければならないと説いていました。これらは要するに,言語表現・非言語表現を媒介として,当該のシステムの諸々の社会的認識を見極め,セラピスト自身もその社会的認識を有しているものとしてふるまうことであるといえると説きました。セラピストは,当該システムの多様性・変化性を見抜き,それに合わせてこちらも変化していくという弁証法的な運動・変化が求められるのでした。一般に,ある対象をコントロールしたり思い通りに変化させたりしたい場合,まずはその対象の性質を見抜き,それに合わせてこちらが動いていくことが必要となりますが,システムズアプローチで家族システムを扱う場合も,論理的には全く同様のことがいえるのでした。すなわち,セラピストは,何か悪循環に陥っている家族システムをコントロールし,思い通りに変化させたいわけですが,そのためには,それぞれの家族システムの性質=社会的認識をしっかりと見極め,それに合わせてこちらが動いていく必要があるのでした。ジョイニングがそのまま変化に向けた介入になりうるということを,事例を通して検討したあと,「問題」と思われるようなものでも,システムズアプローチにおいてはそれも「資源」であるととらえて,活用していくという点,および,ジョイニングに際しては,一方に肩入れしないように,非敵対的矛盾を実現するとともに解決するようなポジショニングを常に意識する必要があるという,ジョイニングに関わるあと2つの弁証法的側面にも触れました。

 最後に,もう一つの代表的・典型的技法である「リフレーミング」を取り上げて,これを弁証法の観点から論じました。「フレーム」(frame:枠あるいは枠組み)とは,物事の受け止め方,意味づけの仕方のことであり,リフレーミングとはクライエントがすでに所持しているフレームを変える作業であり,面接のゴールに至る第一歩であるとされていました。リフレーミングの中でもよく知られているものに,ポジティブ・リフレーミング(positive reframing:肯定的意味づけ)があり,これは否定的に見えることの中に肯定的側面を発見することであると東豊の本では説かれていたのでした。まず,「母親が口うるさいせいで,子どもが反抗的になった」というフレームを,「子どもが反抗的なせいで,母親が口うるさくなった」とリフレーミングしたり,「夫が家事を何もしないせいで,妻がすべてをやらないといけない」というフレームを,「妻が全部やってしまうせいで,夫は何もしない」とリフレーミングしたりする単純なリフレーミングについて,弁証法の観点から考察しました。これらはすべて,現実のもつ二面性,すなわち矛盾をそれなりに捉えたものであり,これらのリフレーミングが可能な現実的な根拠は,現実のもつ弁証法性にあると指摘しました。弁証法の教科書である『弁証法はどういう科学か』にも,「因果関係の構造」として,原因と結果には直接の統一があることや結果の内部にも原因があることが指摘されていると紹介しました。問題は役に立っているので解決すべきではないとリフレーミングするようなポジティブ・リフレーミングについても検討しました。二つの事例を紹介し,そこでは,問題とされている症状は,対立する性格(=システム内の他の問題を解決する機能)も有していて,弁証法的な存在であるがゆえに,ポジティブ・リフレーミングによって,180度異なった見方をすることが可能になったのだと説きました。また,人間の認識は,受動的であると同時に能動的であるという矛盾した存在であるから,見たいようにものごとを見る傾向があるのであり,ポジティブ・リフレーミングはこのような認識の弁証法性を活用した方法であるとも指摘しました。

 以上要するに,システムズアプローチが前提としているものの見方は非常に弁証法的であり,システムズアプローチが用いる代表的・典型的技法であるジョイニングやリフレーミングも,現実の弁証法性を踏まえたものになっているということです。弁証法的なものの見方が前提となっているために,現実の運動・変化やつながりを的確に捉えることができ,技法が弁証法性を踏まえているために,現実の弁証法性に見合った形で介入でき,思い通りに変化させることができるのだということです。東豊のセラピーが「天才的」と称されるのも,システムズアプローチという方法論を採ることによって,無意識的にではあれ,弁証法的な見立てと介入を行っているからこそ,ということもいえるでしょう。弁証法の教科書には,「現実の世界が弁証法的な性格を持っているのですから,現実ととりくんでそのありかたを正しくつかんだ著述には,多かれ少なかれ弁証法が顔をのぞかせています」(三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』p.244)と説かれていますが,システムズアプローチはその非常に典型的な実例だといってもいいでしょう。

 東豊は,非常に教育熱心なことでも知られています。大学院生に対する指導の一端は東豊『セラピスト誕生』などにも描かれていますが,そこで描かれているように,ロールプレイによる徹底した指導によって,院生はシステムズアプローチを学ぶと直接に,それとは自覚せずに,弁証法をも習得していくのだといえるでしょう。たとえば,物事をつながりで見ること,物事の両面性,矛盾を見ること,相手の変化性に合わせてこちらも変化すること,問いかけを変えればものの見方が変わることなどを,システムズアプローチと直接に,学んでいくのです。そうすることによって,弁証法の基本がある程度身につき,その弁証法の実力でもってセラピーを行うからこそ,面接上手になっていくのだと考えられます。

 リフレーミングのところで紹介したように,問題を問題として捉えずに,かえってそれが役に立っているのであるから,その問題を解消しようとすべきではない,とするリフレーミングは,別の角度から見ると,「逆説的介入(パラドックスの技法)」などと呼ばれることもあります。問題を解決しに来ているクライエントに,問題は解決すべきではないと教示して,それによって,実は問題の解決を図ろうとしているからこそ「逆説(パラドックス)」なのです。これも弁証法的に捉えれば,回り道によって問題解決を図ろうとしているわけであり,「否定の否定の法則」を使ったものだということもできるでしょう。

 また,システムズアプローチでは,家族システムにセラピストがジョイニングして,セラピストをも構成員として加えた「治療システム」の中でセラピストが介入し,従来の相互作用とは違った相互作用をもたらすようにします。すなわち,何らかの悪循環を好循環に変えるわけです。そうして,セラピストが抜けた家族システムにおいても,その好循環が維持するようにするのです。これは弁証法的に捉え返せば,家族システムと治療システムの相互浸透といえるのであり,治療システムの好循環が家族システムに浸透していくことを狙うのがセラピーである,ということがいえるでしょう。

 このように,連載2〜4回で見た以外にも,システムズアプローチは弁証法的な発想がちりばめられており,弁証法的な介入を行って成果を上げているといえるのです。

 本稿では,東豊が何故天才と称されるのかという問題意識のもと,彼が採用しているシステムズアプローチの優れた側面に焦点を当てて,これまで論じてきました。それでは,システムズアプローチを学べば,弁証法もしっかり勉強できて,面接上手になっていうことなしなのかというと,そういうわけでもありません。システムズアプローチには,大きな落とし穴があると筆者は考えています。詳細はまた別の機会に説きたいと思いますが,以下で簡単に触れておきます。

 結論から言いますと,システムズアプローチは観念論的な世界観に立っている点が大きな欠陥だといえます。観念論に陥ってしまっているのは,システムズアプローチが「社会構成主義」に依拠しているからです。東豊は次のように説いています。

「いかに真実のようにみえても,それはひとつのフレームに過ぎない。そして,多くの人が同じフレームを心に描いて言葉にすることで,社会的に存在感をもつフレームができあがる。社会構成主義ですね。だから,リフレーミングとは,脱構築,あるいは物語の書き換えのための作業であるといってもいいのです。」(東豊『リフレーミングの秘訣』p.95)


 ここで説かれていることは,真実なんてものは存在せず,社会的な現象はすべてフレーム(受け止め方,意味づけの仕方)によって創られる,ということです。認識が社会を構成するという主張なので,これは観念論ということになります。現実には無限に多様な性質があるから,現実はフレーム次第で異なって認識される,というのであれば唯物論なのですが,そこから行き過ぎて,フレーム次第で現実はいかようにも創られるとしてしまうと,観念論に転落したことになってしまいます。

 ではなぜ観念論ではだめなのでしょうか。このあたりも別稿で詳細に論じたいところではありますが,簡単に説けば,一つには,観念論では,人間の認識は初めから「ある」とされているので,認識の生成発展の必然性が解けなくなってしまうからです。われわれの行う心理臨床は,端的にいえば相手の認識を変えるための働きかけですから,その認識の生成発展の必然性を掴むことがはじめからできないような世界観に立っていては,限界が来るのは論理的に明らかです。

 もう一つ,観念論は宗教と親近性がありますので,宗教の方に流れてしまう可能性が高いのです。実際,東豊は近年,神様やサムシング・グレートなるものに対する信仰を著作で公表しています。そしてセラピストは「他力本願」であるべきだと力説しているのです(東豊『リフレーミングの秘訣』p.46)。論理的には,神様の力を認めれば認めるほど,人間の力を不当に低く見積もることになりますので,セラピストの努力や実力を不当に低く評価したり,最悪の場合,セラピーで相手を力づけるのではなく,相手を無力なものとして扱う可能性すら生まれてくるといえるでしょう。

 システムズアプローチの限界について,もう一つ別の側面を指摘しておくならば,弁証法性を踏まえているとはいえ,文化遺産としての弁証法をしっかりと学んで吸収しているというわけではない点も挙げられます。認識論についても同様のことがいえます。要するに,哲学の遺産である弁証法や認識論といった,人類の文化遺産をしっかりと受け継いで成立したものではないために,運動・変化やつながり,それに人間の認識といったことについて,法則性レベルの把握が弱く,連載第4回の最後にも触れたように,偶然に左右される側面が大きくなってしまうのです。

 では,以上のように観念論に落ち込まずに,しっかりと弁証法的な介入ができるようになるためには,どうすればいいでしょうか。それは,システムズアプローチを学ぶにしても,唯物論的弁証法と科学的認識論の学びを踏まえることです。また,より根本的には,唯物論的弁証法と科学的認識論を心理療法の領域に具体化した新しい理論体系を創っていく必要があるといえるでしょう。それこそ,筆者が目指しているものであり,唯物論的弁証法と科学的認識論をこれまで学んできた臨床心理士である筆者の歴史的な使命であるといます。

 このような使命を全うできるように,これからも弁証法・認識論,および心理療法の研鑽を積んでいくことを決意して,本稿を終えたいと思います。

(了)

posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 弁証法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

>「いかに真実のようにみえても,それはひとつのフレームに過ぎない。そして,多くの人が同じフレームを心に描いて言葉にすることで,社会的に存在感をもつフレームができあがる。社会構成主義ですね。だから,リフレーミングとは,脱構築,あるいは物語の書き換えのための作業であるといってもいいのです。」(東豊『リフレーミングの秘訣』p.95)

ここでは、上記の記述を以下のように理解して「観念論」としています。

>ここで説かれていることは,真実なんてものは存在せず,社会的な現象はすべてフレーム(受け止め方,意味づけの仕方)によって創られる,ということです。認識が社会を構成するという主張なので,これは観念論ということになります。現実には無限に多様な性質があるから,現実はフレーム次第で異なって認識される,というのであれば唯物論なのですが,そこから行き過ぎて,フレーム次第で現実はいかようにも創られるとしてしまうと,観念論に転落したことになってしまいます。

私の理解は以下のようです。

>いかに真実のようにみえても,それはひとつのフレームに過ぎない。
〜いかに事実のようにみえても、それはひとつの捉え方・見型に過ぎない。

>多くの人が同じフレームを心に描いて言葉にすることで,
〜多くの人が同じ見型を心に描いて言葉にすることで、

>社会的に存在感をもつフレームができあがる。
〜社会的に存在感をもつ社会的認識ができあがる。

ここの「存在感をもつフレーム」とは認識であり、それは「現象・事実ではない」のでは…

なので、「社会的な現象はすべてフレーム(受け止め方,意味づけの仕方)によって創られる…」=「観念論」と言い難いのでは?

ここでの「フレーム」とは、認識・観念の事なら、
「フレームによって社会的な現象・事実が創られる」ではなく、
フレームを変え言葉・表現する事で、事実の捉え方が変わり、行動・行為に変化が起こり得る…なのでは?
そして、多くの人間の行動・行為の結果、社会的な現象・事実も変化し得る…かな…

もっとも…ここには、「その心の表現・言葉を心底信じ・信じ続ける」という認識が必要不可欠でしょうが…

私が思うに、これは観念論と言うより、アバウトな弁証法的認識論なのでは?
ここに不足しているのは、弁証法的具体的唯物的な条件なのでは?

ただ、そのフレームが観念的な思いだけで必ず変えられる!
と考え思い込むだけでは、観念論ですかね…



Posted by 自由びと at 2017年03月11日 10:29
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 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて