2017年02月27日

2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文(5/10)

(5)カント『純粋理性批判』第2版序文 要約B

 前回は、『純粋理性批判』の第2版序文の中間部分の要約を紹介しました。そこでは、形而上学においても、数学や物理学における考え方の革新にならって、我々の認識が対象によって規定されるのではなく、対象が我々の認識に従って規定されなければならないのだ、と想定してみることでこそ、形而上学は学としての確実な道を約束されるのだ、という主張がなされていました。カントによれば、これは、理性は経験が可能である限界をどうしても超えられない(認識できるのは現象だけで物自体は認識できない)ことを明らかにすることにほかなりませんでした。もし理性がこの限界を超えることができるとすると、絶対的なものについて矛盾なしに考えることはできなくなってしまう、ということでした。

 さて、今回は、第2版序文の最後の部分を要約したものを紹介することにしましょう。ここでカントは、思弁的理性が経験の限界を超えないようにする、という本書の効用は、消極的なように見えて、実は、理性の実践的(道徳的)な使用の障害になるものを取り除くという積極的な効用にほかならないのだ、と主張しています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 形而上学の従来の方法を変革しようという試みこそ、しかも幾何学者および自然科学者を模範として形而上学の全面的な革新を企てることによってこうした変革を成し遂げようとする試みこそ、この思弁的純粋理性批判の本旨なのである。純粋理性批判は、方法に関する論究の書であって、純粋理性の学の体系そのものではない。とはいうものの、この批判はこうした学の外的限界と内的構造全体を顧みつつ、この学の概略図を描こうとする。思弁的純粋理性批判の特性は、第一に、思惟の対象を選択する仕方の相違にしたがって自分自身の能力を徹底的に検討し、第二に、自分自身に課題を与える様々な仕方を漏れなく枚挙し、こうして将来建設されるべき形而上学に対する全平面図を描くことができるし、また描かなければならないからである。第一の件についていえば、ア・プリオリな認識においては、思惟する主観が自分自身のうちから取り出したものでない限り、これを客観〔対象〕に付け加えることができないからである。第二の件についていえば、純粋理性は認識原理に関する完全に独立した、それ自体だけで存在するひとつの統一体だからである。つまり、この統一体においては各々の構成要素は、あたかもひとつの有機体におけるように、他の一切の構成要素のために存在し、全体はまた各個のために存在する。どんな原理でも、ひとつの関係のなかに確実に取り入れられるためには、同時に純粋な理性使用全体に対する全般的な関係において吟味されなければならないのである。

 しかしその代わりに、形而上学は、もっぱら対象の研究を事とする他の理性的な学(思惟一般の形式だけを論究する論理学は別として)には、とうてい与えられないような稀有な幸福に恵まれている。それは、もし形而上学がこの批判によってひとつの学として確実な道を歩むようになったあかつきには、この学は自分に必要な認識の全領域をあますところなく包括して自身の事業を完結し、これを将来も増資を必要としない資本として後代の用に供することができる、ということである。この形而上学の旨とするところは、原理と原理の使用に加えられる制限に関する論究に限られているからである。

 本書を読了した人は、思弁的理性をもって経験の限界を超えることをあえてしないというのが本書の効用だとすれば、それは全く消極的な効用にすぎないではないか、と考えるかもしれない。しかし、思弁的理性が自分の限界を超えようとする場合に用いる原理は、我々の理性使用を拡張するように見えて、実は我々の理性使用を狭めるという結果をもたらさずにはおかない。こうした原則は、もともと感性に属するものであるにもかかわらず、実際には感性の限界をどこまでも拡張して、純粋な(実践的)理性使用すらも駆逐しかねないからである。このことを知るならば、消極的効用はたちまち積極的効用に転化する。つまり、我々の批判は、思弁的理性に制限を加えるという点では消極的であるが、理性の実践的使用を制限したり滅却したりしかねないようなものを取り除くものだという点で、積極的な効用を有するのである。

 こうして我々は、純粋理性の絶対に必然的な実践的(道徳的)使用というものがあり、この使用によって純粋理性は必然的に感性の限界を超えて自らを拡張する、ということを確信するに至る。純粋理性は、思弁的理性の影響によって自己矛盾に陥らないよう、安全を保障されていなければならない。批判のこうした任務に存する積極的効用を否定するのは、警察の主要任務が、暴力行為の取締によって国民一人ひとりが各自の業を平静に営めるようにすることであるから、警察は積極的な効力を発揮するものではない、というのと同じである。

 この批判の分析的部門で証明されるのは、空間と時間とは感性的直観の形式にすぎず、現象としての物の存在を成立させる条件にほかならない、また、我々の悟性概念に対応する直観が与えられなければ我々はいかなる悟性概念ももちえず、物を認識するのに必要な要素をひとつももたない、ということである。つまり、我々が認識しうるのは物自体としての現象ではなく感性的直観の対象としての物、換言すれば現象としての物だけである。ここから、およそ理性の可能的な思弁的認識は、全て経験の対象のみに限られるという結論が当然に生じる。

しかし、我々はこの同じ対象を、たとえ物自体として認識することはできなくても、物自体として考えることができねばならない、という考えは依然として留保される。さもなければ、現象として現われる当のものが存在しないのに、現象が存在するという不合理なことになってしまう。経験の対象としての物と、物自体としての物との区別が全く設けられなければ、原因性の原則〔因果律〕と、原因性によって規定されている自然機構とは、作用原因としての一切のもの一般にそのまま通用しなければならなくなるだろう。我々の批判は、客観を二通りの意味に解することを教える。第一には、現象としての客観であり、第二には物自体としての客観である。

 道徳哲学は、自由を我々の意志の性質として必然的に前提している。ところが、思弁的理性が、自由は全く考えられない、という証明をしたとすれば、上記の道徳的前提は、思弁的理性に屈服せざるを得なくなる。自由および道徳は自然機構に席を譲らなければならなくなる。それだから、道徳哲学に必要とされるのは、自由が自己矛盾をふくまないこと、したがってまた自由は少なくとも考えられはするものの、それ以上の理解を必要とするものではないということ、また自由は、同一の行為の自然機構をいささかも妨げるものではない、ということである。そうすれば、道徳に関する学と自然に関する学とは、各々その地歩を確保して互いに相侵すことがない。純粋理性の批判的原則から生じる積極的効用については、神や我々の心の単純性という概念に対しても、全く同様の説明がなされる。要するに、思弁的理性から、経験を超越して認識すると称する越権を奪い去らぬ限り、私は神、自由および不死〔霊魂の〕を、私の理性に必然的な実践的理性使用のために想定することすらできないのである。私は、信仰を容れる場所を確保するために知識を除かなければならなかった。

 理性による純粋認識が学として取り扱われる場合、理性はこの純粋認識を独断的に処理するが、批判が反対するのは理性のこうした独断的処理(およそ学は、ア・プリオリに確立された原理にもとづいて厳密な証明を行わなければならないから、独断的にならざるをえない)ではなく、独断論である。独断論は、原理にしたがう概念的な純粋認識だけをもって成功を収めようとする僭越な主張である。しかも、この場合に独断論は、理性がどんな仕方でまたいかなる権利をもってこの純粋認識に達したかは不問にするのである。つまり、独断論は、理性自身の能力を前もって批判せず、純粋理性によって行われる独断的処理にほかならない。批判による反対は、形而上学全体を簡単に片づけてしまう懐疑論を弁護するものではない。むしろ批判は、学としての根本的な形而上学の成立を促進するのに必要な準備をするのである。この形而上学は、あくまでア・プリオリに、したがってまた思弁的理性を十分に満足させるように、その仕事を遂行することを約している。
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 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む