2017年02月24日

2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文(2/10)

(2)カント『純粋理性批判』第1版序文 要約

 前回は、京都弁証法認識論研究会の2月例会の場において、報告担当者から提示されたレジュメ、およびそのレジュメに対してなされた他メンバーからのコメントを紹介しました。今回から4回にわたって、カント『純粋理性批判』の2つの序文の要約を紹介していくことにします。

 今回は、1781年に書かれた第1版序文です。ここでカントは、形而上学の歴史を簡単に振り返った上で、この純粋理性批判が、理性能力一般の批判によって形而上学が歴史的に抱えてきた難問を解決しようとするものであることを主張しています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

カント『純粋理性批判』要約

第1版序文(1781年)

 人間の理性は、ある種の認識について、理性が退けることもできず答えることもできないような問題に悩まされるという特異な運命を背負っている。退けることができないというのは、これらの問題が理性の自然な本性によって理性に課せられているからであり、答えることができないというのは、こうした問題が人間の理性のあらゆる能力を超えているからである。

 人間の理性がこうした窮地に陥るのは、理性の責任ではない。理性は、経験の過程で必ず使用されねばならず、その使用が経験によって十分に保障されている原則から出発する。理性はこうした原則によって(理性の本性につきものなのだが)、前提そのまた前提へとどこまでも上昇していく。しかし、問題はいつになっても尽きることがないので、理性はこのような方法では自分の仕事がいつまでも不完全なものにならざるをえないことに気づく。そこで理性は、考えられうる一切の経験使用を超えるにもかかわらず、常識とも一致するほど確実に見えるような原則に逃避せざるをえなくなる。ところがそのために理性は混迷と矛盾に陥る。どこかに謬見が隠れているに違いないと推量するものの、それを発見することができない。理性の用いる原則は、一切の経験の限界を超越しているので、経験による吟味をもはや承認しないからである。この果てしない争いを展開する競技場が形而上学と名づけられているところのものである。

 形而上学の統治は、最初は独断論者の支配下にあって専制的であった。ところがその立法は、昔ながらの粗野なものだったので、数次の内乱で次第に全くの無政府状態に堕した。そして、定住を嫌う遊牧民たる懐疑論者が国民の結束をしばしば寸断した。しかし、この懐疑論者たちは数がいたって少なかったので、独断論者たちが絶えず新たに植民を企てるのを防止できなかった。近代になって、一度は(有名なロックの)人間の悟性に関する一種の自然学によって、これら一切の紛争が終わりを告げ、形而上学の要求の合法性に関する問題がついに完全に解決された観があった。女王と自称する形而上学の家柄は経験という下層民に由来するのだから女王というのは僭称だ、と一時いわれたものの、こうした系図は捏造であり、形而上学への誹謗中傷であった。そこで形而上学は依然としてその要求を主張することになり、一切はまたしても陳腐な虫食いだらけの独断論に陥った。現代では、あらゆる道が(通説では)試みられ徒労に終わった挙句、学問において有力な傾向をなすものは倦怠と全くの無関心である。これは、混沌と暗黒の母であるが、同時に、やがて学問を改造し、開明する根源ともなるものである。

 一切の知識のうちで最も愛惜されるはずの学に対する無関心は、注意と熟考に値する現象である。この無関心は、もはや見せかけの知識には釣られない成熟した判断力の結果であり、理性のあらゆる任務のうちで最も困難な技であるところの自己認識に新たに着手し、そのためにひとつの法廷を設けよ、という理性に対する要請なのである。この法廷こそ純粋理性批判そのものにほかならない。

 私がここでいう批判は、理性が一切の経験に関わりなく獲得しようとするあらゆる認識について、理性能力一般を批判することである。

 私は、これまで手をつけられていなかった批判という道をとることで、従来理性がその超経験的使用のために自分自身といわば不和を醸す原因となっていたところの一切の謬見を除去する手立てが発見されたことを喜んでいる。私はこれらの問題を原理に従って漏れなく枚挙し、理性が自分自身について誤解している点を発見した上で、こうした問題を理性に十分満足いくように解決したのである。私は、およそ形而上学の課題にして、この批判において解決されなかったもの、少なくともその手がかりがあたえられなかったものはひとつもないはずである、と明言して憚らない。

 私の言い分は、心の単一性だの世界の始まりが必然的であることなどを証明する、と謳う形而上学の綱要書の著者の主張よりも、くらべものにならぬほど穏やかなものである。こうした著者は、人間の認識を可能的経験の一切の限界を超えて拡張しようとするが、私の方は、そんなことは全く私の手に負えない、と慎ましく告白するからである。

 個々の目的を達するには完全にして欠けることなきを期し、また全ての目的を合わせ達するには全体として周到を期するという2つのことを我々に課すのは、実に我々の批判的研究の素材としての認識そのものの本性なのである。

 さらにまた確実と明晰という2つの特性は認識の形式に関するものであり、はなはだ手に終えない企てを敢てする著者に、当然課せられるべき本質的要求と見なされてよい。

 この確実ということについて、私は自分自身に、どんなことがあっても臆見を立てることは許されない、という判決を下した。いやしくもア・プリオリに確立されるほどの認識ならば、絶対に必然的と認められることを欲する、と自ら宣言するものだからである。ア・プリオリな純粋認識を規定することは、あらゆる必然的(哲学的)確実性の基準となり、したがってまたこうした確実性の実例にもなるのである。

 我々が悟性と呼んでいる能力を究明し、またそれと同時に悟性使用の規則と限界とを規定するには、私が本書の「先験的分析論」第2章「純粋悟性概念の演繹」で行った研究ほど重要なものを私は知らない。この考察は深い根底をもつもので、次のような2つの面を備えている。第一は、純粋悟性の対象に関係するものであり、ア・プリオリな純粋悟性概念の客観的妥当性を説明し理解させようとする意図をもち、したがってまた私が本質的目的と見なすところの面である。第二は、純粋悟性そのものを、その可能とまた悟性の基礎にある認識能力とに関して考察する、したがって悟性を主観的関係において考察するわけである。しかし、このような究明は、私の主要目的に関して非常に重要だとはいえ、本来の目的にとって本質的であるとはいえない。主要な問題はなんといっても「悟性および理性は、一切の経験に関わりなしに何を認識し得るか、またどれだけのことを認識できるか」という問題であって、「思惟する能力そのものはどうして可能か」ではないからである。

 最後に明晰ということについていえば、読者は第一に概念による論証的明晰を、第二に直観による――換言すれば、実例あるいはその他の具体的説明による直観的(感性的)明晰を要求する権利がある。論証的明晰に対して私は十分な配慮をしたが、それがまた第二の要求を満足させえなかったことの原因にもなった。通俗的な目的にこそ必要な実例や説明によって、本書をこれ以上膨れ上がらせない方がよいと思った。こういう批判的な研究は、通俗的な用途には向かないし、学問を事とする人たちは、こうして平易にすることをさほど必要としないし、平易ということは、かえって当面の目的に反する結果を招きかねない。明晰を求める手段は、なるほど部分部分の理解を助けはするが、しかし全体の纏まりを損なうのである。つまり、こういう補助手段は、読者が全体を直下に見通すことを妨げ、明るい色彩で体系の組み立てや構成を塗りつぶし、その構成要素を識別できなくしてしまう。

 私がここでその概念を与えようとしている形而上学は、一致した協力によって短期間で完成すると期待してよい唯一の学であり、しかも完成した暁には、後世の人々にとっては、全てを教示的な方法で自分たちの目的に従って整える以外にはやることがなく、内容を少しも増やせるものではない。なぜならそれは、純粋理性による我々全ての所有物の、体系的に整理された財産目録だからである。

 私はこのような純粋(思弁的)理性の体系を『自然の形而上学』と題して出版したいと思っている。これは分量からすればこの批判の半分にも満たないが、しかしそれにもかかわらず批判とはくらべものにならないほど豊富な内容をもつはずである。批判はまず自然の形而上学を可能にする源泉と条件を説明しなければならなかったし、凹凸の激しくなった地盤を平坦に整備する必要があった。この批判においては、私は読者に対して裁判官としての忍耐と公平さを期待する。一方、理性の体系である『自然の形而上学』においては、協力者としての好意と支援を期待する。
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 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
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 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む