2017年02月23日

2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文(1/10)

目次

(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント
(2)カント『純粋理性批判』第1版序文 要約
(3)カント『純粋理性批判』第2版序文 要約@
(4)カント『純粋理性批判』第2版序文 要約A
(5)カント『純粋理性批判』第2版序文 要約B
(6)改めての要約と論点の提示
(7)論点1:カント自身は『純粋理性批判』を哲学史にどのように位置づけたか
(8)論点2:カントが形而上学に採用した考え方の革新とはどういうものか
(9)論点3:カントは自由についてどのように考えているのか
(10)参加者の感想の紹介

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 我々京都弁証法認識論研究会は、今年および来年の2年間を費やして、カント『純粋理性批判』に取り組んでいくことにしています。これは、絶対精神の成長の過程(自己=世界という自覚の成立過程)として哲学の発展の歴史を描いたヘーゲル『哲学史』の学び(2015-2016年)を踏まえつつ、客観(世界)と主観(自己)との関係という問題について徹底的に突き詰めて考え抜いたカント『純粋理性批判』の学び(2017-2018年)を媒介にすることによって、全世界の論理的体系的把握を試みたヘーゲル『エンチュクロペディー』の学び(2019-2020年)に進んでいこうという計画にもとづいたものです。

 2月例会では、『純粋理性批判』の2つの序文、すなわち、1781年の第1版序文と1787年の第2版序文を扱いました。今回の例会報告では、まず例会で報告されたレジュメを紹介したあと、扱った範囲の要約を4回に分けて掲載し、ついで、参加者から提起された論点について、どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に、この例会を受けての参加者の感想を紹介します。

 今回はまず、報告担当者から提示されたレジュメ、およびそのレジュメに対してなされた他メンバーからのコメントを紹介することにしましょう。

 なお、この研究会では、篠田英雄訳の岩波文庫版を基本にしつつ、他の翻訳やドイツ語原文を適宜参照するようにしています(引用文のページ数は、特に断りがない限り、岩波文庫版のものです)。

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京都弁証法認識論研究会  2017年2月例会
カント『純粋理性批判』 序文

【1】形而上学とは何か
 カントは、第一版序文の初めの箇所で、形而上学について論じている。一切の経験の限界を超出していて、経験による吟味を承認しないような理性の原則を扱うのが形而上学であり、かつては形而上学が諸学の女王と称せられていたとカントは述べている。その上でカントは、形而上学の歴史を独断論と懐疑論の闘争として描き、ロックによって紛争が終結されたかに見えたが、それは間違いであり、またしても陳腐な独断論に陥ったために、学問において倦怠と無関心が支配的となってしまったと論じている。このような現状を打破するために、カントは理性能力一般を批判しようとしているのだと説いているのである。カントは理性批判を法廷にたとえており、理性を理性の法則によって批判することを試みようとしている。

〔報告者コメント〕
 カントのいう形而上学は、経験を超えた対象を扱う学問という意味で、われわれが一般に哲学としてイメージするものと同じようなものであると考えてよさそうである。カントはその形而上学の歴史を、基本的には独断論が支配していたが、しばしば懐疑論が闘争を挑んできた歴史として把握している。この闘争は決着がついていないが、理性の法廷で理性能力自体を吟味すれば、この闘争にも決着がつくとカントは考えていたようである。この法廷では、かつての独断論と懐疑論の闘争が論理的にくり返され、それを裁判官の立場に立った理性が、より俯瞰的な視点から判決する、というようなことなのだろうか。このようなこれまでの独断論と懐疑論の闘争を4つの論点にまとめたものが、カントの説く4つの二律背反ということになるのかもしれない。


【2】形而上学に適用された数学・自然科学の革新的着想とは
 カントは第二版序文において、学が学として確実な道を歩むための方法・着想について論じている。これまで確実な道を歩んできた学問領域として、数学と自然科学が挙げられ、その発展を支えた革新的な着想が抽出されている。その着想とは、自分の概念に従って自ら対象の中に入れたもの以外を、この対象に付け加えないというものである。形而上学も確実な道を歩むために、この着想を採用する必要があるとして、適用を試みている。すなわち、これまでは、われわれの認識はすべて対象に従って規定されねばならぬと考えてきたが、この前提ではうまくいかなかったので、今度は、対象がわれわれの認識に従って規定されねばならないというふうに想定してみる、ということである。カントはこの考え方の変換を、コペルニクスの思想になぞらえており、これによってア・プリオリな認識の可能をうまく説明できたとしている。

〔報告者コメント〕
 数学や自然科学が確実な発展を遂げた、その根底にある着想とはどのようなものであろうか。カントの説明では、分かったような気もするが、具体的にはどういうことなのか、明確ではない。ここに関して、黒崎政男は『カント『純粋理性批判』入門』において、「私たちが何か他のもの認識した、と考えているとき、そこで認識されているのは、他のもののうちにある自分自身である、ということ」(p.93)と説いている。対象から導き出した論理を頭の中で整序して、そしてその整序された論理でしっかりと現実が説明できるかどうかを、再び対象に戻って検証する、こうしたプロセスにおいて、頭の中で整序した論理のみで現実を説明しようとするのが、「そこで認識されているのは、他のもののうちにある自分自身である」ということになるのだろうか。
 カントが自身が採用した着想の転換をコペルニクスの業績にたとえているのは、この転換によって、従来の複雑な理論なしに、シンプルに対象のあり方を説明できたと考えているからであろう。コペルニクス以前は、天体の見かけの運動について、さまざまな円運動を組み合わせたような複雑な理論で説明されていた。しかし、天動説を捨てて地動説を採れば、太陽を中心にして惑星がその周囲を円運動していると想定するだけで、地球上からの見かけの運動がほぼ説明できたのである。このように前提を変えるだけで、複雑に見えたものが実はシンプルなものであったことが明らかになる。カントは形而上学の歴史で、このコペルニクスに匹敵する業績を遺したという自信があったのであろう。


【3】物自体と現象の区別はなぜ必要か
 カントは、第二版序文の後半部分で、物自体と現象の区別の大切さ・必要性について論じている。結局、物自体と現象を区別しなければ、矛盾に陥ってしまう、と論じているようである。具体的に取りあげられている矛盾は、無条件者(p.36)と意志の自由(p.41)である。逆にいうと、物自体と現象をきちんと区別すれば、無条件者についての矛盾は解消する(無条件者について矛盾なく考えることができる)し、意志の自由についても自然必然性と矛盾なく両立しうるということである。カントは自由の問題については、実践理性の領域だとして、純粋理性を批判する本書とは別に論じることを示唆している。

〔報告者コメント〕
 この第二版の序文を読むと、やはりカントは、南郷継正先生が言うように、何らかの矛盾=二律背反に悩んだ挙句、それを解消するために物自体論(物自体と現象とを区別する論)に辿り着いたのだということは間違いなさそうである。
 問題となるのは、哲学の歴史で、二律背反がどのように問題にされてきたのか、それをカントは物自体論として一応の解決に導いたとされているが、それはどのような点で優れており、どのような点で限界があったのか、さらに後の哲学の歴史では、この問題が最終的にどのように解決されていったのか、ということだろう。ここでその正解を出すことは難しいと考えられるが、少なくともこのような問題意識を持ってカントを学んでいく必要があるだろう。それは、すべての哲学はカントに流れ入り、カントから再び流れ出すといわれているからである。
 カントにおいては、物自体というのは、世界の本質的な存在として考えられている点も押さえておく必要があるだろう。認識できる現象と区別することによって、認識はできないけれども考えることができる存在として、世界の本質が成立し得る領域を残しておいた、ということなのかもしれない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 この報告をめぐっては、「これまでの独断論と懐疑論の闘争を4つの論点にまとめたものが、カントの説く4つの二律背反」という捉え方について、疑問が呈されました。このような書き方だと、テーゼ(世界の無限性を主張する)が独断論でアンチテーゼ(世界の有限性を主張する)が懐疑論だ、というようにも読めるがそれでよいのか、世界の有限性を独断的に主張する、という立場もありうるのではないか、という疑問です。

 この疑問を受けて議論するなかで、カントが「形而上学の統治は、最初は独断論者の執政下にあって専制的であった。ところが……数字の内乱によって次第しだいに、まったくの無政府状態に堕した。そしておよそ定住を嫌う一種の遊牧民であるところの懐疑論者は、しばしば国民の結束を寸断した」(p.14)と述べていることが指摘されました。つまり、形而上学は内部に独断論どうしの争いを抱えつつ、外部からは懐疑論者の攻撃に晒されていた、という構造があったのだ、というわけです。

 このことを踏まえるならば、テーゼが独断論の立場でアンチテーゼが懐疑論の立場である、というような単純な区分けはできないのではないか、ということになりました。とはいえ、カントは、独断論内部での闘争(内乱)、および独断論と懐疑論の闘争の歴史を踏まえつ、それ4つのアンチノミーとしてまとめ上げたのだ、ということはいえるだろう、ということに落ち着きました。
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 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
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 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
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 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む