2017年02月17日

認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想(5/5)

(5)『“夢”講義』は鈍才的に学ばなければならない

 本稿は,今年一年間,われわれが京都弁証法認識論研究会全体で南郷継正『“夢”講義』をしっかり復習していく,その第一弾として,『“夢”講義(1)』を取りあげ,学んだことをきちんと言語化していく論考であった。ここで,これまでの内容を振り返っておきたい。

 はじめに,本書で説かれている認識論の基本を確認した。認識論とは,アタマとココロのはたらきを立派にするための学問であった。このように,認識論を客体についての理論と考えるのではなく,あくまでも自分の頭脳活動に活かすためのものとして主体的に捉えることが大切だと説いた。また,認識論は,心理学を学問的に学びとる術・方法であるとも説かれていたので,これはどういうことかを,「学問」とは何かと問うて,考えていった。学問とは,対象の性質を論理として把握して体系化したものであり,学問体系とは,人間の体の体系のように,あるべきところにきちんとあるべきものがあり,それが一貫してつながってひとかたまりになって本質論によって統括されながら活動していけるものということであった。したがって,心理学のバラバラな知見を,認識論で学問的に学びとれば,一貫してつながったものとして活動でき,巨大な力を発揮できるということになるのであった。次に,認識学とは何かを確認した。認識学とは,人間の頭脳活動(アタマの働きとココロの働き)たる認識のすべてを体系的レベルで論じきるものであり,それには三本柱があって,認識をその原点から,それも系統発生的な原点と個体発生的な原点の二つの原点から,一貫して筋を通して説ききるものなのであった。では,その認識論・認識学が対象とするところ認識とは何か。認識とは脳細胞が描く像であるが,これまで,像とは何かを説いた学者はいないと説かれていた。それを初めて説いたのが海保静子先生なのであった。その内容をまとめると,像とは,視覚,聴覚,味覚,嗅覚,皮膚感覚,といった五感のすべてが動員されて形成された五感情像であり,これは人間に特有の個性的感覚像のことであり,このような感情で問いかけて対象を見るのが人間の特徴である,ということであった。このような五感情像である認識を対象として,認識を理論化・体系化したものが21世紀の新興学問とされている認識学なのであった。

 次に連載第3回では,本書で説かれている認識と言語の関係について検討した。看護においては相手の立場に立つことが必要だが,それは非常に困難であることが説かれていた。相手の立場に立つためには,病む人と関わり続けることと,時代の心とか社会の心とか人間の心といったものを,それが描かれたふさわしい小説から学び続けることが必要だと説かれていた。そのうえで,コミュニケーション論が説かれていった。ここでは,コニュニケーションとは心を分かり合うことであり,相手の立場に立っての観念的二重化=自分の観念の相手的観念化であるとして,それが可能となるためには,小説の学びだけではなく,コミュニケーションは何よりもまず言葉を介してなすものであるから,言葉(言語)とは何か分からなければならないと説かれていた。そして,三浦つとむ『認識と言語の理論T』の大事なところが引用され,その中で最も大事なところを要約して,@言葉というものは,人間と人間との精神的な交通を行なうタメのものである,A認識の成立から表現(言葉)にいたる過程的構造の解明が大事である,と二つにまとめられていた。@については,南郷先生は言語の起源から問題にされ,文化と呼べるほどの労働が生まれて,それを次世代に伝えるためにこそ,言語の誕生が促されたのだと説かれていた。このような弁証法的・唯物論的な頭の働かせ方をしっかり学ばないといけないとしておいた。Aに関しては,私たち人間の住んでいる社会の社会的認識が社会性をもって,個々バラバラになろうとする私たちの認識の創造を常に社会的にしようと努力していくということがくり返し説かれていた。これは,人間の認識は,放っておいたのでは,個々バラバラになっていくのであり,そのままでは社会の維持が不可能になってしまうので,個別像を何らかの形で共通像にしていく必要があるということである。このように個別像を共通像にするために,言語が必要であると説かれていた。言語は,社会の成員に共通して必要な文化遺産を次世代に伝えるためにこそ誕生したものであり,言語によって,文化遺産を頭の中に送り込み,共通像を形成していく必要がる,ということであった。さらに,この教育・学習という作業をしっかりと行えるための条件,認識=像の形成がうまくいくための条件として,南郷先生は3つの条件をあげておられた。一つは,実物の外界を反映させることであり,二つは,きちんとした言語とともに認識=像を形成させることであり,三つは,なるべく集団的・小社会的に行なうことであった。

 連載第4回では,本書の最後に紹介されている2つの手紙を比較することによって,受験秀才と鈍才の違いを明確にした。さらにそれを踏まえて,『“夢”講義』はどのように学んでいかなければならないのかを考えた。まず,受験秀才について,南郷先生は,事実からの反映よりも書物からの反映を大事にするので,現実を見る実力が大きく低下して,感性が豊かに育っていかない,と説かれていた。だから南郷先生は,この受験秀才的な看護学生に対して,「もっともっと事実に関わって,現実と格闘しながら感性を育てていく場を自分で努力しながらもってほしい」(p.193)と助言されていたのであった。ここに関わって非常に重要なことが説かれていた。それは,弁証法の基本書を受験国語のレベルで読破するだけではなく,現実に存在する自分の専門に関わる事実という事実と格闘することによって初めて,弁証法が息をし,動きはじめることになるという指摘であった。看護に関わる弁証法の学びの実例として,病室の廊下の歩き方,病室のドアの開け方,患者さんへの声のかけ方などが紹介されていた。鈍才の手紙については,「全文,これ弁証法性のカタマリ」と評価されていた。一読して筆者は,全てが実物の外界を反映して描かれた像の表現になっており,自分の体験した事実に基づいて全てが説かれていると感じたのであった。そして,この鈍才のように事実と格闘するための前提として,「〜したい」という大志が必須であることも説いた。この鈍才の手紙を媒介として先の受験秀才の手紙を眺めてみると,受験秀才の手紙には,自分が体験した事実が少ない,ほとんどないということが分かると説いておいた。像抜きで,文字(言葉)を解釈しているだけであり,像がないのに文字を書き綴っているという印象を受けるのであった。しかし,われわれとしては,この看護学生を馬鹿にしていればそれですむというような問題ではなく,われわれも,ともすればこの受験秀才のような文章を書いてしまうものであり,そのことを明確に自覚して,少しでも,鈍才である心理学科の学生のような文章を書けるように研鑽していかなければならないのだと強調しておいた。そのためにはどうすればいいか,さらに『“夢”講義』はどのように学んでいけばいいのか。その答えはともに,「〜」したいという強烈な思い(大志)を前提として,認識=像の形成がうまくいくための三条件を満たすべく,学習していくということであった。『“夢”講義』を学んでいく際には,実物の外界をしっかりと反映して,事実からしっかり学んで,自らの体験像を豊かにしていくと同時に,また本書に帰ってきて,その意味するところ=論理を言語でしっかりと学び,なおかつ,研究会内で討論するなどして,小社会的に学んでいかなければならないのであった。

 このように本稿で説いたことをまとめてみると,結局,『“夢”講義(1)』で一番大切なのは,認識=像の形成がうまくいくための三条件ということになるのではないか。南郷先生が本書で説かれたことはこれに尽きるのではないか,という気がしてくる。

 もう一度,この三条件を引用しておく。

「一つは,外界を反映させる作業(教育・学習)を可能なかぎり,実物の外界を反映させることです。たとえば,船を反映させようと試みるときに,なるべく模型やビデオなどではなく,実際の船をしっかりとみせることです。

 二つは,ここを行なうときにきちんとした言語とともに,つまり文字と発音をしっかりと覚えさせながら船を反映させて,認識=像を形成させることです。

 三つは,なるべく集団的・小社会的に(つまり,個人的にではなく)行なうことです。」(p.159)


 この条件は,連載第2回で説いたような認識論を踏まえて説かれたものである。すなわち,そもそも認識とは五感情像であり,5つの感覚器官を通して反映したものの合成像である。だから,認識=像の形成がうまくいくためには,しっかりと5つの感覚器官を通して実物を反映する必要がある。書物からの学びでは,視覚のみの一感覚像になってしまう。そして,連載第3回で説いたように,言語は文化遺産を伝えるためにこそ誕生したものであり,言語によって個別像が共通像になっていくのであるから,人間としての認識をきちんと形成していくためには,言語とともに認識=像を形成していくことが大切なのである。これによって個々バラバラな認識が社会的認識として育っていき,社会の維持が可能となる。さらに連載第4回で説いた受験秀才は,このような条件を満たさずに学習した者であるから,現実を反映する力が低下して,感性が豊かに育っていかなかったのである。逆に鈍才の心理学科学生は,この三条件を満たす形で学習したために,弁証法・認識論の実力をきちんと養成できたのである。このように,三条件を核として,それぞれの回で説いたことをまとめることができると思う。

 このように見てくると,われわれはたしかに秀才のたぐいの集まりではあるものの,それなりにこの三条件を満たす学習を積み重ねてきたことも分かる。たとえば,『育児の認識学』を学ぶに際しては,保育士でもない限り,実物の育児がどうしても必要となるが,われわれは自分自身の子どもを育てるにあたって,『育児の認識学』を読み込み,実際の育児の像をしっかりと形成しながら,『育児の認識学』で説かれている言語=論理と重ね合わせ,事実と論理の昇り降りをくり返すような学習を,研究会として小集団的に,行なってきているといってよい。もちろん,まだまだその量が不足しているために,われわれの書く文章が受験秀才的なものとなってしまっているのは否めない。しかし,われわれの歩みを全否定する必要はなく,本稿で説いたような学び方を常に意識して,目的意識的な学習をこれまで以上に必死に積み重ねていくしかないのである。そうすれば,おぼろげながらも学問への道が拓かれていくと確信している。

 今後,『“夢”講義(2)』以降の学びも,認識=像がうまくいくための三条件を常に忘れずに,それを念頭に置きながら,くり返しの上にくり返して学んでいく必要があるだろう。このことを確認して,本稿を閉じたい。

(了)

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 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言