2017年02月14日

認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想(2/5)

(2)認識論の基本を確認する

 本稿は,学者になれるよう,自らの頭脳活動を見事にしていくために! という問題意識・目的意識をもって,南郷継正『“夢”講義(1)』に学び,その成果を認めていく論考である。

 今回は,本書の「第1編 看護に必要な認識論入門」の内容を取り上げ,認識論とは何かをしっかりと再確認したい。

 まず,認識論とは何かについて,南郷先生は端的に,次のように説いておられる。

「……認識論とは,ここでは簡単には頭脳活動の理論であり学問です,と答えておきます。端的にはアタマとココロのはたらきを立派にするための学問です。

 ですから,看護を学問的に学びたい人に,それを学びとる術,方法を学ぶ学問の一つなのです。もちろん,心理学を学問的に学びたい人へ向けての,学びとる術であり,方法でもありますので,御心配なくどうぞ! です。」(pp.29-30)


 前半部分は,連載第1回でも触れた内容である。すなわち,認識論はアタマとココロのはたらきを立派にするための学問であるということである。このように,認識論を客体についての理論と考えるのではなく,あくまでも自分の頭脳活動に活かすためのものとして主体的に捉える必要があることを,再度確認しておきたい。

 後半部分は,心理学を学んでいる筆者にとっては特に,非常に重要な内容が説かれているように思う。ここで説かれていることを心理学に限って言い換えるならば,認識論とは,心理学を学問的に学びとる術・方法である,ということになる。逆からいうと,認識論がなければ,心理学を学問的に学びとることはできない,ということになる。

 これは一体どういうことであろうか。これを理解するためには,「学問的に学びとる」という場合の「学問」とは何か,ということが分からなければならない。本書では,学問とは「対象の性質を論理として把握して体系化したもの」であり,「体系とは,自分の専門分野のすべてを一本の筋をとおしきって人間の体の系統のように説く(解く)こと」(p.45)であると解説されている。その上で,瀬江千史先生の『看護学と医学』上巻が引用されている。孫引きになるが,大切な部分を引用したい。

「人間の体はみればわかるように,頭がありその下に体幹があり,体幹から手,足が出ている。そして,全身が頭に存在する脳によって,神経・ホルモンを介して完全に統括されている。

 このようにあるべきところにきちんとあるべきものがあり,それが一貫してつながってひとかたまりになって脳の支配の下に統括されながら活動していけるものが,体系なのである。頭が体幹の下にあっても体系でなく,手の部分に足がついていても体系でなく,さらにそれが脳に統括される神経によってきちんとつながっていて活動することができなければ,また体系ではないのである。

 学問体系は,これにたとえて,本質論が頭,構造論が体幹,現象論が手足であり,全体系を貫く論理性が神経ということになるが,これまた当然に脳,すなわち本質論によって統括されていなければ,つまり本質論につながる構造論でなければ,そしてそれが活動できなければ学問としての体系ではないのである。」(p.46)


 すなわち,学問体系とは,人間の体の体系のように,あるべきところにきちんとあるべきものがあり,それが一貫してつながってひとかたまりになって本質論によって統括されながら活動していけるものということである。

 ここで先の問いに戻ろう。問題は,認識論とは心理学を学問的に学びとる術・方法であるとはどういうことであろうか,であった。今見てきた「学問とは何か」「体系とは何か」の解説を踏まえるならば,それは,心理学をバラバラの知見の集積として学ぶのではなく,一貫してつながったひとかたまりのものとして学びとるためには,そして,それをしっかりと活動させていき機能させていくことができるように学び取るためには,認識論の学びが必要である,ということではないか。

 南郷先生が引用されている『看護学と医学』上巻の文章の中には,事実のいわゆる大系と論理の体系の違いは,「会社とは名ばかりのガランとした大きな建物のなかで,社員千人がただ右往左往している」ことと,「千人の社員が,会社の規範(=法律レベルの)に従って社長―部長―課長―係長―平社員と,会社内のそれぞれの部署に整然と配置され,規範に基づいてくだされるひとつの指揮系統の流れのなかで仕事をしている」こととの違いのようなものであると説かれている。これがいってみれば,心理学と,認識論によって心理学を学問的に学びとったものとの違いということになるだろう。要するに心理学は,たくさん知見があるがバラバラなのであり,一つのまとまりとして活動していくことも機能することもできない。それに対して,認識論で心理学を学問的に学びとれば,一貫してつながったものとして活動でき,巨大な力を発揮できるということであろう。

 では,心理学を学問的に学び取るだけではなく,認識論をしっかりと学問体系として構築した場合の認識学とは,一体どのようなものであろうか。ここに関して,南郷先生は次のように説いておられる。

「認識学とは,読んで字のごとくに認識を問う学問であり,それも部分的にではなく,認識に関わるすべてを説く学問です。

 認識とは端的には,人間の頭脳活動のことであり,簡単には,アタマのはたらきとココロのはたらきです。

(中略)

 認識学とはすなわち,これらの社会的・家庭的・個人的な認識の過去かつ現在,そして未来を学問的レベルで問うて論じること,すなわち体系的レベルで認識のすべてを論じきるものです。

 端的には,認識学とは人間の頭脳活動である認識を,歴史的・具体的に探究して,それらを論理化し,理論として学問的に体系づけてできあがるものです。」(pp.49-50)


 すなわち,認識学とは,人間の頭脳活動(アタマの働きとココロの働き)たる認識のすべてを体系的レベルで論じきるものである,ということである。

 そして,その認識学の三本柱について,南郷先生は次のように説かれていく。

「一つは,人間はどのようにして発展してきて現在の人間になったのかを,認識からとらえ返した人類の認識としての発展過程の論理構造を説くこと。

 二つは,人間は一般的にいかなる認識の発展過程をもっているか,かつ,いかなる発展過程をもたせるべきかの論理構造を説くこと。

 三つは,人間の認識の一般的発展ではなく,個としての人間,社会的個人としての人間の認識の発展過程の論理を説くこと。」(p.50)


 少し補足すると,一番目は,文化史として存在するものの学問的レベルにおける論理化であり,哲学の生生発展の論理構造を人類の認識の頂点形態の発展として説くことになるという。二番目については,ここを簡単に分かるためには,保育園・幼稚園を含んだ日本の教育の流れを,その教科書を一列に並べて見渡すことであるとされている。三番目は,現代までの歴史上の精神医学・心理学の集大成だということである。

 ここは非常に難解なところであるが,ごく表面的ではあっても理解できることが二つある。一つは,心理学を学問的に学び取った内容は,せいぜい認識学の三本柱の一部にすぎないことである。

 もう一つがより肝心な点であるが,認識学とは,認識の原点から,それも系統発生的な原点と個体発生的な原点の二つの原点から,一貫して筋を通して説ききるものである,ということである。原点からの生成発展を説くという意味では,非常に弁証法的であるといえるし,精神は物質から誕生したのであり,その起源から説くという意味では非常に唯物論的であるともいえると思う。

 では,認識学が説くところの認識とは,そもそも何であるのか。南郷先生は,認識とは脳細胞が描く像であるという。しかし,この文言自体は,これまでの認識論の書物にも説かれていたが,その中身は説かれたことはなかったと指摘されている。すなわち,書物には認識は像であるとの言葉はあるが,その内容は何もないというのである。そのうえで,次のように説かれている。

「「そんなバカな!」と思われる読者が多分にいるはずです。

 でもこれは本当なのです。というのも,この認識の内容,つまり,像の内実を含めての像とはなんなのかを,その形成プロセスとともに,説(解)いたのは私の弟子である海保静子さんが初めて! といってもよいものだからです。これは今を去ること,二十五年ほど前のことでした。」(p.60)


 すなわち,認識とは像であるという場合の「像」とは何か,その内実を説いたのは,海保静子先生が初めてである,ということである。この認識学史上の偉大な発見は,本書によると1981年頃ということになっている。その約10年後に,南郷先生がこの大発見を記念して講義された講義録が本書には掲載されている。その中で,像とは何かについて説かれている部分を3箇所,引用する。

「ならば,その像,とはそもそもなにか,といえば五感情像である,ということになる。すなわち視覚だけではない。聴覚がそこに加わっているだけでもない。味覚,嗅覚,皮膚感覚,といった五感のすべてが動員されて「像」が形成されている。そして杉の木をみたときに,その像が頭のなかに結ばれることを反映といい,この像のことを認識という。」(p.63)


「もし動物だとしたら感覚像でしかないから,猫なら猫としてすべて同じ反映となる。ところが人間には個性があるからけっして同じ反映にはならない。つまりわかりやすくいうならば,「個性的感覚像」のことを「五感情像」という。」(pp.65-66)


「このように杉の木をみたときも,ただ単に杉の木をみるんじゃなく自分の感情で杉の木をみる。杉の木のそのままではなく,自分のアタマのなかにできあがっている杉の木の像でもって,その人の感情で対象に問いかけている。

 ……人間はその人の感情で杉の木の像が描かれる。それが感情像ということである。」(pp.66-67)


 ここでは,像とは,視覚,聴覚,味覚,嗅覚,皮膚感覚,といった五感のすべてが動員されて形成された五感情像であり,これは人間に特有の個性的感覚像のことであり,このような感情で問いかけて対象を見るのが人間の特徴であると説かれている。

 したがって,認識学とは,このような五感情像である認識が系統発生的にどのようにして誕生したのか,また個体発生としてもどのように誕生するのか,そして系統発生としてはどのように発展してきたのか,個体発生としてはどのように発展させていくべきなのかを解明し,それを踏まえて,社会的個人としての認識の発展過程の論理を説ききることであるといえるだろう。

 これ以上にないくらいな壮大なスケールであり,まさにかつてない,21世紀の新興学問というのにふさわしいような内容であると思う。

 これから一年間に渡って『“夢”講義』をしっかり学び直していくわけであるが,『“夢”講義』で説かれる認識学はこのようなものであるということを常に念頭に置きながら,一貫してつながったひとかたまりのものとして学んでいく必要があると痛感した。

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 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言