2017年02月13日

認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想(1/5)

目次

(1)21世紀の新興学問である認識学を学ぶ
(2)認識論の基本を確認する
(3)認識と言語の関係を問う
(4)秀才は像抜きの文字を解釈する
(5)『“夢”講義』は鈍才的に学ばなければならない

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(1)21世紀の新興学問である認識学を学ぶ

 本稿は,南郷継正『なんごうつぐまさが説く 看護学科・心理学科学生への“夢”講義(1)』(現代社,以下,『“夢”講義(1)』とする)にしっかりと学び,その学びの成果を認める論考である。

 年頭言でも書いたように,2017年は『“夢”講義』全6巻をしっかりと学んでいく予定である。具体的には,2か月に1回,本ブログで感想文を書く。そのために,京都弁証法認識論研究会全体で『“夢”講義』を復習しながら,定期的に『“夢”講義』読書会を開催し,1巻ごとに各会員が学んだことを交流したり,疑問点を議論したりして,理解を深める取り組みを行うつもりである。本稿連載に先立って,『“夢”講義(1)』の読書会を行い,その内容を本稿に反映させている。

 南郷継正『“夢”講義(1)』といえば,筆者にとっては非常に懐かしい思いのする書物である。一つには,筆者は1998年に三浦つとむさんや南郷継正先生の著作に邂逅し,その年から『綜合看護』を定期購読するようになったのであるが,翌1999年から本書のもとになった論文が『綜合看護』誌上に連載され始めたのである。まるで,筆者が『綜合看護』を読み始めるのを待っていたかのようなタイミングであった。当時,玄和会の知人は「師範の連載が始まったから,これからは『綜合看護』を2冊ずつ定期購読する」と興奮気味に話しておられた。その頃の筆者自身はあまりよく分かっていなかったが,『武道講義』全4巻が完結して以来の新連載だったから,玄和会の会員のみならず,南郷先生のファンにとっては待望の論文だったのである。筆者自身も,まさか南郷先生の連載論文を読めるようになるとは思ってもおらず,そのタイトルにも惹かれて,夢中で学び出したことである。

 もう一つの思い出は,『“夢”講義(1)』で紹介されている海保静子『育児の認識学』(現代社)の書評に関わる。『育児の認識学』は,これまた1999年に出版された著作であり,われわれは出版と同時に学び始めたのである。当時筆者は,メールを通して,南郷先生に学ぼうとされている方々と交流していた。その中に,この書評を書かれた湯浅俊夫さんがおられたのである。湯浅さんは『育児の認識学』が出版された翌年に,『論座』に書評を書いたとメールを通して知らせてくださった。当時のメール仲間の間ではかなりの話題になったと記憶している。何せ,『育児の認識学』を正式に取り上げた初めての書評だったのだから。さらなる衝撃が走ったのは,その後しばらくしてから,『綜合看護』で南郷継正先生がこの書評を取り上げて,絶賛された時だった。南郷先生は次のように説いておられる。

「『論座』七月号に載った書評は「『認識とは何か』を原点に構築された保育の理論」というタイトルで論じられているのですが,その論文が見事なまでに『論文』となっているのにびっくりさせられました。といいますのは以下のことです。

 『実は,私はかつて三十九歳になったころ,……ある高名な学者に論文の書きかたを教わることにしました』と連載三回目の“夢”講義に書きましたが,そのとき教わった論文の書きかたの全きそのままの書き出しで驚かされ,そして全体としての論の展開も,その内実も『お見事!』そのものであり,私はうなりっぱなしでした。

 筆者は湯浅俊夫さんといい,予備校講師とありましたが,こんな先生に教わっている生徒は幸せだろうな,としみじみ思ったことでした。

 とにかく,その論文の言葉の一つ一つに一言の反論とてなく……,あまりにもの完璧な『育児の認識学』の紹介になっていたのです。一瞬,あたかも自分がその筆者であるかのような錯覚すらおこしたものです。」(pp.166-167)


 要するに,湯浅さんの書評は完璧な『育児の認識学』の紹介になっている見事な論文であり,あたかも自分が書いたものであるかのように感じた,ということである。この南郷先生の絶賛を読んだ後,湯浅さんは「多少は評価していただけたようで,安心した」というようなことをおっしゃっていたと思うが,「多少」どころではない。南郷先生から学ぼうとしている者にとって,「あたかも自分がその筆者であるかのような錯覚すらおこした」などという評価は,これ以上ないものである。この後,筆者は湯浅さんから本格的に論文の書き方を学んでいくことになったのである。

 このように,『“夢”講義(1)』は,非常に思い出深い著作であり,筆者が弁証法や認識論を学び始めた当初の懐かしい記憶を想起させてくれる著作なのである。

 ではなぜ『“夢”講義』を研究会をあげて集中的に学び直すことにしたのか。その問題意識・目的意識をここで明確にしておきたい。

 端的には,われわれは学者を目指しているからである。学者となるためには,当然に,論理能力を養成しなければならない。簡単にいえば,アタマをよくしなければならないのである。そのためにこそ,すなわち,アタマ(とココロ)の働きを見事にするためにこそ,われわれは「看護と武道の認識論」という副題のついた『“夢”講義』に認識論を学ぶのである。

 ここに関わって,南郷先生は「まえがき」で次のように説かれている。

「そこで,私が青春時代に悩みに悩んだアタマとココロの問題を理論的・体系的(ただしやさしく)に説くことにより,若い世代のみなさんが自分たちの人生問題,社会問題で,あまり悩むことなく問題を解決して生きていけるような能力(頭脳活動)を育てていってほしいと願っての本書の出版です。」(pp.3-4)


 また,副題がなぜ「看護と武道の認識論」なのかを説く流れの中で,次のように説かれている。

「それだけに本書の読者,特に看護学科の学生・心理学専攻の学生には時代を先取りした心理学以上の実力をもっている認識論の中身を,すなわち二十一世紀の新興学問となるであろう認識学の内実! を,看護の世界に大きくからめて説くことにしたのです。」(p.25)


 さらに,認識論とは何かに関わって,次のように説かれている。

「……認識論とは,ここでは簡単には頭脳活動の理論であり学問です,と答えておきます。端的にはアタマとココロのはたらきを立派にするための学問です。」(p.29)


 以上の3つの引用をまとめてみると,どうなるであろうか。それは,『“夢”講義』では,アタマとココロの問題が理論的・体系的に説かれている,つまり,二十一世紀の新興学問たる認識学が説かれているのであり,これを学べば,アタマとココロが立派になって,自分たちが遭遇する問題を解決していけるような頭脳活動を育てることが可能となる,ということである。「二十一世紀の新興学問」という言葉には非常に感銘を受ける。時代の最先端の学問的成果を学ぶわけである。また,これを学べばアタマとココロのはたらきが立派になるというのであるから,必死に学んでいこうということにもなる。

 このように,認識論,あるいは認識学を主体的に捉えておられるところが『“夢”講義』の大きな特徴の一つだと思う。どういうことかというと,「認識」という対象を,あくまでも客体として,客観的に研究しようというのではなく,自分自身の問題として,自分のアタマをよくするための学問として,認識論・認識学が把握されている,ということである。昨年までの2年間,ヘーゲル『哲学史』を学んできたわけであるが,哲学の大きな柱としての認識論を,このように主体的に捉えていた哲学者は歴史上いなかったのではないか。もちろん,われわれも南郷先生に倣って,認識論を主体的に捉えるというスタンスで学んでいこうとしているのである。

 要するに,われわれが『“夢”講義』を学んでいく問題意識・目的意識を端的にまとめるならば,学者になれるよう,自らの頭脳活動を見事にしていくためにこそ! ということである。

 今回,改めて『“夢”講義(1)』を学び直してみて感じたのは,『綜合看護』に南郷継正先生が初めて連載された論文が元になっているだけに,初めての読者にも分かるように,基本から丁寧に説かれているということである。したがって本稿でも,基本的なところからしっかり確認して,学んだ内容を分かりやすく説いていきたいと思う。

 次回以降の構成は以下のようになる。まず,「第1編 看護に必要な認識論入門」の内容を取り上げ,認識論とは何かをしっかりと再確認したい。ここでは,認識論ならぬ認識学とは何か,そもそも認識とは何か,といった問題についても触れることとする。次に,「第2編 看護に必要な「認識と言語の理論」」と「第3編 学問的に説く「認識と言語の理論」」で説かれている認識と言語の関係について検討する。その際,「言語は精神的な交通を行うためのものである」ということと,「認識の成立から表現にいたる過程的構造の解明が大事」ということの2つをポイントとして,それらがどういうことなのかをしっかり理解したい。最後に,「第5編 看護に必要な弁証法入門」で紹介されている2つの手紙を俎上にのせ,受験秀才と鈍才を比較することを通して,『“夢”講義』はどのように学んでいかなければならないのかを考えたい。

 最後に,『“夢”講義(1)』の目次を引用しておく。



なんごうつぐまさが説く
看護学科・心理学科学生への“夢”講義(1)


【 第1編 】 看護に必要な認識論入門

第1章 「看護と武道の認識論」の関係を説く

 第1節 読者への挨拶
 第2節 看護学科・心理学科学生からの質問
 第3節 なぜ「看護と武道の認識論」なのか
 第4節 認識論とはなにか,心理学との関係
 第5節 看護に関わる四つの質問・相談

第2章 認識論と認識学の違いを説く

 第1節 認識論から説く「思う」と「わかる」の違い
 第2節 認識論と認識学はどう違うのか
 第3節 認識学とはなにか,その三大柱を説く

第3章 認識論の基本を説く

 第1節 「夢」と認識論はどう関わるか
 第2節 認識とは脳細胞が描く像である
 第3節 講義録「認識は五感情像である」

第4章 看護を学ぶのに必要な覚悟を説く

 第1節 三十九歳からの論文の書きかたの学び
 第2節 憧れた看護と大学での学びの落差
 第3節 看護を専門として学ぶために必要な覚悟

【 第2編 】 看護に必要な「認識と言語の理論」

第1章 看護における観念的二重化を説く

 第1節 看護に認識論は必須である
 第2節 相手の立場にたつことの必要性
 第3節 相手の立場にたつことの困難性
 第4節 看護はなぜ相手の立場にたたなければならないか
 第5節 看護でなぜ相手の立場にたつことが難しいか
 第6節 心理学は看護には役にたたない
 第7節 「看護とは」がわかって初めて相手の立場にたてる
 第8節 「人間とはなにか」をわかるための学び
 第9節 看護における観念的二重化の実力

第2章 看護におけるコミュニケーションを説く

 第1節 コミュニケーションとはなにか
 第2節 看護におけるコミュニケーションの特殊性
 第3節 そもそも言語とはなにか
 第4節 言語は人類の労働が誕生させた

【 第3編 】 学問的に説く「認識と言語の理論」

第1章 人間の認識の生生・生成発展を説く

 第1節 認識から言語への過程の解明が大事である
 第2節 人間の認識と動物の認識との違い
 第3節 人間の認識は社会的に創られる
 第4節 人間の認識の生生・生成発展

第2章 認識から言語への過程を説く

 第1節 無限の認識を一つの言語に集約する
 第2節 言語は社会関係のなかで教育される
 第3節 「わかる」ことと「言葉にする」ことは別である
 第4節 認識=像の成立過程
 第5節 認識=像はすべて個性的に生生・生成する
 第6節 個性像を共通像にするために言語は必要である
 第7節 「わかる」ために必要な観念的二重化の実力
 第8節 言語化できる像を描くための実力
 特別節 『育児の認識学』の書評と「『十七歳』の心は分からない」(朝日新聞)

【 第4編 】 看護に関わっての「夢とはなにか」

第1章 「夢とはなにか」の導入部分を説く

 第1節 夢にうなされる事例
 第2節 夢は唯物論的認識論からしか解けない
 第3節 夢は人間の認識の生生かつ生成発展からしか説(解)けない
 第4節 人間が夢をみることの原点は労働にあり

【 第5編 】 看護に必要な弁証法入門

第1章 弁証法を学ばない学生の実力を説く

 第1節 秀才の受験国語的実力
 第2節 看護学科学生からの手紙
 第3節 弁証法の実力がないと“夢”講義は理解できない
 第4節 弁証法は看護の事実で学ばなければならない

第2章 弁証法を学んだ学生の実力を説く

 第1節 鈍才の弁証法の学びによる実力
 第2節 心理学科学生からの手紙
 第3節 弁証法の基本の学びの実際

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 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う