2017年02月11日

斎藤公子の保育実践とその背景を問う(4/5)

(4)斎藤公子は人間としての自由を追い求めた

 前回までで、自然にふれ合うことを重視した斎藤公子の保育実践の意義を明らかにしてきました。このような斎藤公子の保育実践について、斎藤公子自身は次のように書いています。

人間を奴れいにしてはならない。
人間の自由をうばってはならない。
人間を生きるしかばねにしてはならない。
これが、私の保育の真髄、なのである。
(中略)
私の三十五年の保育所づくりは、私という女、私という人間が、その自由を求めて生きるための長いたたかいであった。
(斎藤公子『子育て=錦を織るしごと』かもがわ出版、1982年、pp.248-p.250)


 非常に強烈な言葉であり、一体どのような人生を歩んできたのだろうという疑問が浮かぶでしょう。そこで今回は斎藤公子自身がどのような過程を経て、自らの保育実践を創り上げてきたのかを見ていきたいと思います。

 斎藤公子が生まれたのは大正時代であり、この頃は男女平等などというものはありませんでした。幼い頃に一緒に学校で学ぶこともなく、恋愛は悪とされ、成人になってからは職業選択の自由や参政権もなく、結婚すれば嫁として夫に仕えるのが当時の女性の生き方でした。これは斎藤公子も例外ではありませんでした。幼稚園主任教諭の辞令を断って託児所で働きたいと訴えた斎藤公子は、危険思想にかぶれたとして両親に呼び戻され、ジャワ島で働く青年との結婚を強制されたのです。こうして「嫁」としての生活を余儀なくされた斎藤は、当時を振り返って「『私』という人間は死んでいた」(同上書、p.243)と表現しています。ジャワ島での数年間の生活の間に子どもが2人生まれ、隠岐の島で疎開をしているときに終戦を迎えます。その後は子ども2人と楽しい生活を送りながら、玩具研究室の一員として初めて働くこととなり、そこで専門家も驚かせるような作品を生み出し、自由、生きる喜び、創造の喜びを感じていたのでした。ところがジャワ島より夫が復員することとなり、再び「嫁」という現実に引き戻されることになります。勇気を出して離婚を宣言したところ、夫は力ずくで2人の子を連れ去ったのでした。この2人の幼い子どもとの別れで、斎藤は滝のような涙を流したということです。こうした体験が斎藤公子の原点になっていると言えるでしょう。

 また、斎藤公子は青年期、キリスト教に傾倒していました。奴隷制によるローマの支配が繰り広げられる中でのイエスの生き様やその信者たちの生涯に深い憧憬を抱いていたのです。しかし、キリスト教を国教とする国々は2度に渡る世界大戦をとめることができなかったことから、斎藤は悩み、より確たる生きる指針を求めるようになります。そこで学んだのが社会科学の本であり、具体的にはエンゲルス『自然弁証法』やマルクス『資本論』などであり、これらを哲学者である柳田謙十郎の指導の下で学んだのでした。こうした社会科学の学習の中で、市川正一という人物が強く自分の心をとらえたと斎藤公子は述べています。市川正一は、治安維持法によって極刑に処せられることを知りながら、堂々と政府の戦争政策の非を、多くの自由なき農民・労働者・婦女子のための要求を述べたのでした。「その知性と、その勇気、弱いものへの限りない献身の愛は、キリストにまさるともおとらないものであり、やはりいつの世にも、悪政が極限に達したときはキリストがあらわれることを物語っている」(同上書、p.262)と書いています。

 このような自らの体験および社会科学の学びをとおして、「すべての子どもたちは国の主人公として行き、決して決して再び奴隷のように、自分の生命を他人の自由にさせてはならない」(同上書、p.268)と考えるに至ったのです。「そしてすべての子どもたちを自由にはばたかせてやりたい、と、懸命に保育所づくりにはげんできた」(同上)のです。

 「懸命に保育所づくりにはげんできた」とありますが、この過程も大変なものがありました。斎藤公子は深谷市の保育所で働いていましたが、子どもの躾ができないという理由で解雇されることになります。それを聞いた母親たちが斎藤を支援し、1952年、さくら保育園が誕生します。しかし、さくら保育園は非常に狭かったため、子どもが自由に遊ぶ土地を求めて、深谷の東部に移転することにしました。その土地を購入する代金は、大蔵省の長期・低利貸付制度を利用して賄ったのですが、そもそもこの制度は斎藤公子が大蔵省に作らせたものでした。また、深谷市南部で土地を購入し、さくらんぼ保育園を建設しますが、その北裏に一万頭の養豚場ができてしまい、豚害に苦しめられることになります。そこで、同じく豚害に苦しむ方と力を合わせて4年間の反対運動をした結果、引っ越しさせることに成功し、被害を受けていた老夫婦から分けてもらった土地で第二さくら保育園を建設することになったのです。このような努力によって、「広い庭、たくさんの木々、鳥、花、小動物、心地よいヒノキの床の部屋、終日日が当たり、風通しのよい、視界をふさぐことのない青い空の見えるところで、薄着・はだしで、土や水をふんだんに使って遊び」(斎藤公子『生物の進化に学ぶ乳幼児期の子育て』かもがわ出版、2007年、p.119)きれる環境が創られてきたのです。

 このように環境を整えるとともに、孤立した母子をなくすという思いのもと、子育てに困っているお母さんたちの子どもを預かり、その保育に全力を尽くしていきます。そして、母親にも保育園で職員として働かせ、子育ての仕方を教えていきます。子どもたちとどのように関わったのか、その子どもがどのように変わっていったのかは斎藤公子の著作に多数紹介されていますが、どれも感動的で涙無しに読むことはできません。

 しかし、時には保育の方針をめぐって、親や祖父母と対立することがあります。そういうときは、自ら赴いて話をし、自分の考えを納得させていたのでした。ここに関わって、非常に印象的なエピソードがありますので、それを紹介しましょう。

 かつて保育園は年長まで見られず、年長になれば幼稚園に通うのが通常だったようです。斎藤公子の保育園では年長まで見ていたのですが、親の考えで斎藤公子の保育園を離れていった女の子がいました。しかし、同時にその妹が斎藤公子の保育園にやってくることになりました。その妹の家庭訪問でおうちに行くことになったところ、おしめが干してあったというところからの話です。

「上のお子さんはね、私が行ったら恥ずかしそうにしているのです。下の子はへっちゃら。誰のおしめだろうって、私驚いて聞いたら、
『上の子のだよ!』
 どうですか皆さん。年長のお子さんのおしめがズラーッと干してあるのですよ。
 それで私はどうしてなのかねえ、自分でもなぜなんだろうと思うのだけど、突然滝のような涙がポロポロポローってあふれてきて、泣いちゃったんです。
『先生、このくらいの歳になればね、おねしょすれば布団だって濡れるし、畳まで腐っちゃうんだよ。だからしょうがないんだよ!』っていわれました。
『お父さん、子どもさんの心と、布団や畳とどっちが大事なのですか?』って泣きながら訊いたのです。
 そしたらしばらくして、『わかった。』と言ってくれたのです。
 それ以来、おしめは止めたようです。どんなにおねしょをされても子どもの心のほうが大事だって、お父さん気がついてくれたのです。一週間後かな、十日過ぎてからかな、訊ねてみました。すると娘さんのおねしょは、すっかり治ってしまったということです。
 親が、『子どもの心のほうがだいじ。』『布団や畳なんかはいくらでも取替えができる。』と気が付いてくれたんですね。『子どもの心は取替えができない。』と。」(同上書、pp.37-39)


 つまり、家の畳と子どもの心のどちらが重要なのかという問いを投げかけることをとおして、保育者としての強烈な思いを父親に伝えたということです。理屈で理解したということではなく(そういうこともあるでしょうが)、何よりもその思いが伝わったからこそ、父親は「わかった」と答えたのでしょう。

 ここには保育者として常に子どもの立場に立ち続ける確固たる姿勢が現れていると言えるでしょう。自らの体験と社会科学の学びから得た「すべての子どもたちを自由にはばたかせてやりたい」という理念が、このような保育者としての姿勢を形成しているのです。こうした背景があるからこそ、素晴らしい子どもの育ちを保障する斎藤公子の保育実践が存在したのだと言えるでしょう。
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 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言