2017年01月29日

2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』(1/10)

目次

(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント
(2)シュヴェーグラー『西洋哲学史』におけるカント『純粋理性批判』 要約@
(3)シュヴェーグラー『西洋哲学史』におけるカント『純粋理性批判』 要約A
(4)ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』 要約@
(5)ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』 要約A
(6)改めての要約と論点の提示
(7)論点1:カント『純粋理性批判』の構成はどのようなものか
(8)論点2:カントは『純粋理性批判』で何を説いたか
(9)論点3:カント『純粋理性批判』は哲学史上、どのように位置づけられるか
(10)参加者の感想の紹介

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント

 我々京都弁証法認識論研究会は、昨年までの2年間にわたるヘーゲル『哲学史』の学びを踏まえて、今年からはカント『純粋理性批判』に挑戦していきます。哲学の流れの概要を一般教養レベルで押さえた上で、二律背反と物自体論を中心とするカント哲学の構造を明らかにし、自己がこの世界とどのように対峙していくのかをしっかりと押さえていこうというわけです。

 1月例会では、『純粋理性批判』を読み進めていくにあたって、これまでこの例会で扱ったシュヴェーグラー『西洋哲学史』及びヘーゲル『哲学史』において、『純粋理性批判』がどのように取り上げられていたのかを確認しました。今回の例会報告では、まず例会で報告されたレジュメを紹介したあと、扱った範囲の要約を4回に分けて掲載し、ついで、参加者から提起された論点について、どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に、この例会を受けての参加者の感想を紹介します。

 今回はまず、報告担当者から提示されたレジュメ、およびそのレジュメに対してなされた他メンバーからのコメントを紹介することにしましょう。

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京都弁証法認識論研究会 2017年1月例会
カント『純粋理性批判』を読んでいくにあたって

はじめに
 我々がカント『純粋理性批判』を読んでいくのは、いうまでもなく、自分自身の学問的実力(世界の全てを論理的・体系的に把握する力)を創っていくための取り組みの一環として、である。そのためには、「個体発生は系統発生を繰返す」の観点から、哲学の歴史を自分自身が辿り返すために『純粋理性批判』を読んでいくのだ、という姿勢が欠かせない。『純粋理性批判』を、あくまでも哲学の歴史の大きな流れのなかに位置付け、人類の認識の発展史においてどのような問題を解決し、どのような問題を後世に残したのかをつかんでいく必要がある。今回は、カント『純粋理性批判』の哲学上の位置づけを考える上で踏まえるべきものとして、南郷継正の著作における『純粋理性批判』に関する記述を確認しておきたい。

1.「二律背反」「物自体論」とはどういうものか
 南郷継正は、「新版 武道と弁証法の理論」(『全集第十二巻』所収)の「論理学基本用語五十」で、「二律背反」「物自体論」を取り上げて解説している。

「(四七)二律背反とは何か。カントが『純粋理性批判』で空間は無限であると証明できると説いているが、また、空間は有限であるとも証明できる。このように、あることを証明するのに、一方ではAと証明でき、他方では非Aと証明できるといった具合に、正反対のことが同一のことでしっかりと間違いなく証明できることを、二律背反というのである。……
 弁証法ではこれを対立物の統一として解決できるのであるが、カントは背反している二律を統一できるほどの実力の形成が今一歩及ばず、結果として物自体の性質は主観としての認識が決定するのだと「物自体論」でもって、説くことになってしまったのである。」(『武道哲学講義 著作・講義全集 第十二巻』p.112)
「(四八)物自体論とは何か。カントは……二律背反の先にある解決に悩んだあげく、二律が相反するのは、対象の性質のゆえではなく対象に性質がないがゆえとして論理の問題として自分の観念たる認識、すなわち頭脳活動の実力に解決を求めてしまったのである。……」(同、p.113)

 また、『武道哲学講義(第二巻)』の「第二部 『学問としての弁証法の復権』――弁証法の学的復活を願って――」の「第三章 学問としての弁証法の学びに必須の認識論」の「第二説 歴史上の哲学者による認識論の究明」では、カント『純粋理性批判』からヘーゲルへの発展について次のように説いている。

「カントの学問的な評価として本当に存在するものは、「二律背反」と、「物自体論」なのだと、諸氏が私の読者であるなら分かってほしいものである。ここをしっかりと分かることが、カントの真髄を理解できるかどうかの分かれ道となるからである。
 諸氏には『純粋理性批判』の学習はとても難解だと思うが、これは本書で説いている弁証法の成立過程に諸氏がしっかりと学んでいれば、次第にカントの理論の中身が分かってくることになっていく。
 カント以上の大哲学者たるヘーゲルは、カントのここをしっかりと弁証法的レベルで学びとって理解しきれたからこそ、彼ヘーゲルは学問上の実力が見事に培えたのだと断言しておこう。……
また、ここを単なる「理論上の」二律背反としただけで、そこを理解する能力のなかった人は、二律背反を学問的哲学的、弁証法的に説明しきれず、ましてやこの二律背反と物自体論の含む立体構造を体系として解ききることはなかったのである。でもさすがにヘーゲルはそれを成し遂げたのだともいえるのであるが、肝心の点で大失策をしてしまったと、ここでは説いておこう。」(『武道哲学講義(第二巻)』、p.179)

2.ヘーゲルの「大失策」とは何か
 この「大失策」については、「ヘーゲル」の「物自体論」理解、およびそれをふまえた「三浦つとむ」の「物自体論」解説が引用された上で、次のように述べられている。

「学的レベルで説けば、カントの「物自体論」なるものは、本質論レベルでの概念であることを、お二方は分かることがなかったということである。それだけに、お二方はここを現象レベルで捉え返して、このような解説をなしてしまうとの愚を犯すことになったのである。
 「論理学」の本質論と「論理学」の現象論とはレベルが大きく異なるのであり、「現象論」は「構造論」を経てようやくに「本質論」へと転成していけるのであり、「現象論レベル」への物自体と二律背反は、「構造論レベル」の物自体と二律背反でないことくらい、お二方には分かるべきだったのである。
 まして本質論レベルでは、二律背反は存在しない(できない)し、物自体の本質論というものを概念化することなしには、本当の二律背反の概念も成立できないのである。」(『武道哲学講義(第二巻)』p.185)

 さらに、このことに関わって『全集第二巻』の「あとがき」では、次のように述べられている。

「カントの『物自体』論、『二律背反』論は本当はその成立過程の論理構造こそが大事であるのに、すなわちここは学問レベル、論理学レベル、哲学レベルでその構造の成立過程をとらえ返さなければならないのに、『物自体』論を事実レベルにおとしめて批判したヘーゲル(『大論理学』〔先験的観念論の物自体論〕)も含めて、そこをなすことをしなかったばかりに、多くの学者たちは哲学者カントの実力をずいぶんと低くみてしまったものだなあ」(『武道哲学講義 著作・講義全集 第二巻』、p.366)

 また、『全集第十二巻』では次のように述べられている。

「カントの「物自体」論は、これは本質論であり、けっして構造論でもなければましてや現象論や実体論でもない。なのにどうしてヘーゲルほどの人物が、事実的批判! レベルなのであろうか。これはまったくもって現象論がようやくである。では、ヘーゲルはどうすべきだったのか。解答は簡単である。カントの「物自体」はカントにとっての本質論なのであるから、ヘーゲルは自らの本質論である「絶対精神」の過程的構造ないし構造の過程を把持して、そのレベルで批判すべきだったのである」(『武道哲学講義 著作・講義全集 第十二巻』、p.87)

3.報告者からの若干のコメント
 カントにおいて学問的に重要なのは「二律背反」と「物自体論」であり、ここが分かっていなければカントの真髄は理解できない、という指摘を、『純粋理性批判』を読み進めていく上での大前提として、改めてしっかりと確認しておくべきであろう。また、カントの理論の中身を分かるためには、『武道哲学講義(第二巻)』などで説かれている「弁証法の成立過程」をしっかりと学んでおかなければならない、という指摘もしっかりと受け止めておかなければならない。古代ギリシャ以来の弁証法の生成発展の歴史の流れのなかで、カントの「二律背反」「物自体論」がどのような位置を占めるのか、その立体構造の成立過程をしっかりとつかむことが必要であろう。そのようにしてこそ、「現象論レベル」の物自体と二律背反と「構造論レベル」の物自体と二律背反とはどういうものか、また、カントの「物自体」はカントにとっての本質論であるとはどういうことか、などの問題が解けてくるのではないだろうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 以上の報告に対しては、概ね肯定的な評価が述べられました。南郷先生がカント哲学に関わって説いておられる部分を引用してあるので、今後の学びの指針とすることができるとか、もう一度南郷先生著作をしっかりと読み返してみることで、カントがどのようなことを哲学史上で成し遂げ、何が課題として残ったのかを把握しておく必要があるとか、南郷先生の指摘に従って、『純粋理性批判』を理解するために弁証法の歴史を徹底して学ぶ必要があるとかいったコメントがありました。
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 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する