2017年01月17日

一会員による『学城』第4号の感想(2/13)

(2)全ての学びを一般論に収斂させ、全ての事実を一般論から説く

 今回から、『学城』第4号に掲載されている各論文について、順次その感想を述べていきたい。

 初めに取り上げるのは、加納哲邦先生の国家論論文である。この論文では、滝村隆一の国家とは何かの論理的把握が概観され、加納先生の国家の概念規定が述べられる。

 本論文の著者名・タイトル・リード文・目次は以下である。なお、『学城』誌上では、目次はなく、本文に項番のみ振られているため、その項番に私なりにタイトルを付して目次とした。

加納哲邦
学的国家論への序章(最終回)
―国家とは何かを問う―

 「序章」の最後として、滝村隆一氏『マルクス主義国家論』における国家の把握のおよその全貌と国家の本質を簡潔にまとめ、ヘーゲルの国家とは何かにふれてから、最後に筆者の国家の概念規定について解説する。

 〈目 次〉
 (1) マルクス主義国家論者は誰もヘーゲルの「絶対精神」の構造を理解できなかった
 (2) 滝村の説く広義の国家の2つの見方
 (3) 滝村は国家の本質を政治的支配だと捉えた
 (4) ヘーゲル『法の哲学』は国家論を説いたものではない
 (5) 「国家とは社会の実存形態である」とはどういうことか

 本論文ではまず、マルクス主義国家論を論じる誰もが、ヘーゲルから大きな影響を受けているにもかかわらず、ヘーゲルの学問の中身を受け継いでいないと説かれる。具体的には、「絶対精神」の運動形態、学問レベルでの弁証法性を誰も理解できなかったというのである。このことを踏まえて、滝村隆一の国家の把握が広義の国家を中心に詳述される。滝村は広義の国家を2つの見方で構成されたもの、つまり内部体制的な政治的諸関係と他国との関係における対外的な側面との2つの見方で構成されたものだとしたというのである。さらに滝村が国家の本質について、政治的支配であり政治の実存形態だとしたことが紹介される。そして、こうした滝村の規定に対して、国家の本質を述べたものだといえるのかという疑問が呈されるのである。続いてヘーゲル『法の哲学』における国家に関する記述が取り上げられ、これは国家を説いたものではなくて、国法学を説いたものであることが述べられる。そして最後に、筆者の国家の概念規定である「国家とは社会の実存形態である」に関して説明されていく。すなわち、人類は共同体としてしか生存できないこと、その共同体=社会は国家としてのみ実存できることが、国家が国家内でも他国家との関係でも社会の治安・秩序を守り続けている実態を踏まえて説かれていくのである。

 この論文に関してまず取り上げたいのは、本稿のテーマである「一般論を掲げての学びの重要性」へと至る道筋についてである。どういうことかというと、一般論を措定し、それを掲げて学んでいくということは確かに重要かもしれないが、まずは一般論を掲げることができるだけの実力をつけるための学びの過程が必要であって、この流れ、道筋がどのようなものかをしっかりと確認しておく必要があるのではないかということである。

 この観点で本論文を読んでみると、次のようなことが明らかになるのではないかと思う。すなわち、まずは自らの対象とする専門分野の先学の個々の業績を自分の実力と化すよう研鑽する過程が必要であって、この過程を経た上で、その対象とする個別科学が如何なる過程で発展してきているのか、その必然性を論理的に把握するとともに、現時点での最高峰の成果について、「一」から全てを説き切れているのかを考察しつつ、その「一」を措定すべく対象と格闘するレベルで関わっていくことである。この論文でいえば、国家の一般論を措定するためには、ヘーゲルから滝村までの国家論の内実を深く研鑽するとともに、それぞれの論者の国家論において何が解明され何が課題として残されたのかを大きな流れとして把握し、その上で、それぞれの国家の規定が国家の本質から説き切られたものかどうかを検討しつつ、現実の国家に関わるあらゆる問題に取り組みながら国家の一般論を措定すべく研究を重ねていくということである。この論文を読んでいくと、加納先生がこうした学びの道筋を辿ってこられたことがよく分かるような展開になっていることに気づくはずである。

 さらに重要なことは、こうした研鑽過程が可能となるためには、ヘーゲルの著作を中心とした哲学一般の学びの過程を重ねておく必要があり、加えて哲学一般の学びのためには、一般教養レベルの学びが必須であるということである。全ての個別科学は、哲学から分離独立したものである以上、全体を把握することなしには部分は正しく掴みとれないものであるし、世界全体の理解のためには、一般教養レベルの学びが必要不可欠だからである。

 我々京都弁証法認識論研究会は、以上の観点に立って、ヘーゲル『歴史哲学』、『哲学史』を共通の課題として学んできたし、今年からはカント『純粋理性批判』にも挑戦していくことになっている。部分たる個別科学を確立するためには、全体たる哲学の学びが必須であるとの観点に立って、経済学、認識論、教育学、言語学と、それぞれの専門分野は異なるものの、哲学的研鑽については共同作業での学びを実践してきているのである。さらに、それぞれの個別科学において、先学がどのような業績を残してきたのかについて、個別科学史として、論理的に個別科学の発展過程を辿っていく努力も合わせて行ってきているところである。このような学びを経て、それなりに個別科学における一般論が措定できていくのである。

 さて、ここまで述べた「一般論を掲げての学びの重要性」へと至る道筋での学びを押さえた上で、では一旦一般論を掲げることができたなら、その後如何なる学びを行っていく必要があるだろうか。この答えに関しても、本論文では実践的に解答が与えられているのである。

 加納先生は、国家の概念規定である「国家とは社会の実存形態である」という一般論を提示した後で、p.18で「我々は、なぜ安全に社会生活を送ることができるのだろうか」と問い、その答えとして、それは「社会が国家によって、社会の治安・秩序が守られているからこそなのである」と説かれているのである。より具体的には、「例えば、家にいきなり暴漢が襲ってきて、家財を略奪されたり、大切な家族を殺されたり、暴行されたりすることがない」、「道で強盗に会わない」、「店で売っている食べ物に毒が入っていないだろうという前提で暮らせる」、こうしたことは、「社会がまさに国家として実存しているからに他ならない」のであって、「具体的には、国家の法に従わない者は警察に捕まり裁かれるからこそ、我々は安全に社会の中で暮らしていけるのである」と説かれているのである。

 ここから学ぶべきことは、自らの専門分野の対象について一般論を掲げたならば、あらゆる具体的事実がこの一般論から説けるかどうかしっかりと吟味してみるということである。諸々の学びを経て措定した一般論であっても、対象とする専門分野の事実が偏っていたために、あらゆる事実を説くことができないような一般論の規定になってしまっている可能性もあるから、一度掲げた一般論からあらゆる事実が本当に説けるのかという検証過程を持つ必要があるのである。こうした事実と論理(一般論)の「のぼりおり」の過程を通じて、先に掲げた一般論を精査していくのである。あるいは加納先生のように、一般論の確かさを論述において実証していくのである。

 以上、本論文からは、一般論を掲げる実力を把持するための学びの過程と、一般論を掲げての学びの過程とが如何なるものかを学ぶ必要があることを説いた。端的には、事実から一般論へ、一般論から事実への「のぼりおり」が学問構築において非常に重要だということであった。
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 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言