2016年12月24日

2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ(3/10)

(3)ヘーゲル『哲学史』要約A ギリシャ哲学第1期

 前回は、ヘーゲル『哲学史』の総論部分の要約を紹介しました。ヘーゲルは「哲学とは、普遍的内容として、あらゆる存在であるような思想である」と規定した上で、特殊諸科学や宗教との違いについて論じていたのでした。また哲学史は、思想を理念にまで発展させたギリシャ哲学と、思想を精神として把捉したゲルマン哲学という大きく2つに区分できると主張していたのでした。

 今回はギリシャ哲学の第1期、タレスからアリストテレスまでの要約です。

・・・・・・・・・・・・・・・・

第1部 ギリシャの哲学

 ギリシャ哲学は、3つの主要な時期に区分される。第一はタレスからアリストテレスまで。自然的または感性的形態をもつ全く抽象的な思想から出発し、規定された理念にまで進む。第二はローマの世界におけるギリシャ哲学。具体的な理念が対立の形をとって展開し、一面的な原理が世界観の全体を貫くことになる。第三は新プラトン哲学。対立がひとつの理想世界、思想世界、神的世界のなかに退却する。そこには総体性にまで発展した理念があるが、無限的な対自有としての主観性は欠けている。

1、タレスからアリストテレスまで

(1)タレスからアナクサゴラスまで

 タレスらイオニア派の人々は、根源本質を物質の相(水や空気など)においてみた。これは貧弱な抽象的思想だが、あらゆるもののなかに普遍的実体を把捉したこと、この実体は形態なく感性的表象を伴わないものであるとしたことは功績である。しかし、こうした対象を概念としては示しきれなかった(反省された水や空気は非物質的〔意識の本質〕でもあることを知らなかった)ため、普遍的なものを特殊な形態として表すしかなかったし、運動の原理(絶対者の自己自身への帰還)を探究しきれなかった。
 実在哲学から知性の哲学〔観念の哲学〕への推移の役目をしたのが、ピュタゴラス派である。ピュタゴラス派は、絶対的なものを自然的な形態において立てるのではなく、普遍的で観念的な諸規定たる数一般を原理として掲げた。しかし、それらは全く独断的な方法でのみ確定されたものでしかなく、非弁証法的な静止した諸規定であった。
 自然哲学においては運動が客観的な運動として捉えられ、ピュタゴラス派もまたこれらの概念にほとんど反省を加えることをせず、その本質たる数をただ流動的に使用したにとどまる。ところが、エレア派においては、変化がその抽象の極において無と見られることによって、対象的な運動が主観的なものに移され(意識の側面におかれ)、同時に本質は不動なものとなる。ここに弁証法、即ち概念における思惟の純粋な運動の始まりがある。エレア派の完成者たるゼノンにおいては、単純な思想が単独に自己を主張するのではなく、敵地における闘いを敢行する。しかし、この弁証法の結果は否定的なものであって、対象が矛盾によって空なものになるだけで、肯定的なものはまだ現れてこない。
 主観の運動としてのゼノンの弁証法に対して、ヘラクレイトスは絶対者そのものを弁証法の過程と解し、「有と非有とは同一のものである、すべてのものは有るとともに無い」とした。さらにこの原理の意味を徹底して「万有は流転する」と表現し、さらに「恒常なものはただ一者のみで、この一者から他の全ては形成される」と主張した。この普遍的原理の立ち入った規定は生成にほかならず、運動こそが原理であるとされたのである。
 エレア派は有を立てて非有はないとし、ヘラクレイトスはただ有と非有との転換として生成のみがあるとした。レウキッポスおよびデモクリトスは、両者の各々にそれぞれ固有の位置を与え、肯定的なものとしての原子と否定的なものとしての空虚を立てた。エムペドクレスは、火・風・水・土という4つの自然元素を実在的原理とし、友愛と憎悪を観念的原理としつつ、運動を混合的統一に総合する。
 エムペドクレスの綜合においては、対立はまだ綜合から離れて独立にあったが、アナクサゴラスは、ヌース(理性)こそが世界とあらゆる秩序の原因であるとした。ここでは思想は純粋な、自分自身における自由な過程として、自分自身を規定する普遍的なものとされる。一方でアナクサゴラスは、ヌースに対してホモイオメレー(物質)を立ててしまい、両者を思弁的に統一することができなかった。イオニア出身のアナクサゴラスがアテナイに移り住んだことで、哲学はアテナイに移っていく。

(2)ソフィスト派からソクラテス派まで

 アナクサゴラスのヌースは、全く形式的な、それ自身を規定する働きでしかなく、抽象的、無内容なものであり、一切の存在者と個物をおのが内へ沈み込ませるような絶対的な力(単一な否定者)である。単純な概念を思想として一般に世間的諸対象に当てはめ、その単純な概念をあらゆる人間的な状況に浸透させたのが、ソフィスト派である。絶対的かつ唯一の本質として自覚した概念が、その否定的な力をあらゆる真理、諸法則、諸原則に向け、普通の観念にとって固定したものが思想のなかで融解させられる。ソフィスト派は、自由な思惟的な反省の必然的な歩みによって、現に行われている習俗と宗教への信頼と素朴な信仰をのりこえさせずにはいなかった。他方しかし、思惟のうちにまだどのような確固たる原理も見出されていなかったのであり、無規定のままに残ったところは恣意によってのみ満たされることができた。
 ソクラテスにおいて思惟の主観性はもっと詳しく規定され、もっと突っ込んだ形で意識されるに至った。ソクラテスが意識において展開したところの肯定的なものは、意識から知によってもたらし出されるかぎりでの善にほかならず、イデアと呼ばれる永遠な、客観的に普遍的なものにほかならず、目的であるからこそ同時に善でもあるところの真なるものにほかならない。この点でソクラテスは、人間は万物の尺度という命題に特殊な諸目的を含めたソフィスト派に対立している。しかし、ソクラテスにはまだ、常に目的そのものとして根底に横たわるところの善の発明はなされていない。ソクラテスの善は、アナクサゴラスのヌースほど抽象的ではないが、まだ具体的に展開された形で描き出されてはいないのである。
 ソクラテスの原理が不明確で抽象的であったことから、ソクラテスの哲学の特殊な側面のひとつを完成し固持する形で、種々様々な学派と原理が登場した。こうしたなかで、本質に対する自覚的思惟の関係についての問いが登場する。本質は単純な即自的存在であり、真なるものは思惟された本質である。本質は、生成、原子、ヌース、尺度などといわれている場合、対象的なあり方(対象的なものと思惟との単純な一体性)であるが、知において自己意識は一方に自らを対自的存在として立て、もう一方に存在を立てて、この区別を意識してそこから両者の一体性へと戻りこむ。成果であるこの一体性が知られたものが真なるものである。この時期から、思惟の存在への関係、または普遍的なものの個的なものへの関係が定立され、哲学の対象としての意識の矛盾というものが意識されるようになるのがみられる。

(3)プラトンとアリストテレス

 プラトンは、本質は意識のうちにあるというソクラテスの原理を、絶対的なものは思想のうちにあり、一切の実在性は思想である、という本当の意味でつかんだ。プラトン哲学の特有の使命は、人間のうちなる感性的世界の表象を超感性的世界の意識から区別することである。プラトンのいわゆるイデアとは、絶対的客観的に存在するものとして、本質として、唯一の真実在として理解されるような普遍のことである。人間の精神は、それ自身、本質的なものを内に蔵するのであって、神的なものを知るためにはそれを自己自身から展開し、意識へもたらせねばならない。プラトンは、こうした認識への形成は、単なる学びではなく想起にほかならぬ、といった。これは、個的意識が即自的にその内容を既に所有していたという見方であり、学知の出現を個的なもの、表象と混同するものではあるが、感性的意識を通じて真なるものが与えられるという考え方に反対し、内容はただ思想によってのみ満たされるとしたのは、プラトンの偉大な教説である。内容とは、思惟の働きによってのみつかまれうる普遍的なものであり、絶対的イデアの分化したものである。それによって絶対的イデアは、それ自身の内でひとつの学問的体系に組織化される。この内容は、プラトンにおいて、論理哲学、自然哲学、精神哲学という3つの部分に分かれ始める。プラトンの偉大さは、イデアを立ち入って規定したことである。しかし、プラトンにおいては、被規定性と普遍性(正、美、善、真)とが別のものとされてしまう。規定されたイデアが弁証法的な運動の成果として登場するのではなく、直接に受け入れられた前提として現われるのである。
 プラトンの理念には生き生きとした活動の原理、主体性の原理が欠けていたが、アリストテレスは、理念の諸契機の関係を詳細に捉え、これら諸規定相互の関係を主体的な活動一般として把握しようとする。アリストテレスでは、可能態(デュナミス)は抽象的な普遍的なもの一般であり、現実態(エネルゲイア)つまり形式がはじめて活動であり、実現するものであって、自己を自己と関係づける否定性である。質料はたんに可能性であり、形相がそれに現実性を与えるが、形相も質料ないし可能性なしにはありえない。現実態が具体的な主体性であり、可能性が客観的なものである。また、真に主体的なものは可能態をうちに含み、真に客観的なものは活動性を自己の内に含む。プラトンの場合、肯定的原理である理念(イデア)はたんに抽象的に自己自身と等しいものであったが、アリストテレスの場合、それは否定性の契機(他在、すなわち対立を揚棄するものであり、対立を自己の内に連れもどすもの)である。この否定性は変化としてでも無としてでもなく、区別し規定する働きとして現われるのである。アリストテレスは実在する宇宙の全領域と全側面に深く突きすすみ、それらの豊かさと多様さとを概念的に把捉した。だが、彼の哲学は、概念によって体系化されていく全体ではなく、諸部分は経験的にとり上げられ同列に置き並べられているにすぎない。アリストテレスにとって大事なのは、様々な規定を対立の統一に還元することではなく、むしろ反対にそれぞれのものをそれの規定においてしっかりと捉えることであった。アリストテレス哲学の欠点は、論理の諸形式によって多様な現象が概念にまで高められてはいるが、その後一連の特定された概念がばらばらになっていて、統一つまりそれらを絶対的に合一する概念が表明されていないという点にある。それは後世の人がしなければならない仕事である。なくてはならないのは概念の統一(絶対的な本質)である。それは何よりもまず自己意識と意識との統一として、純粋な思考としてあらわれる。
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 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言