2016年12月19日

近代教育学の成立過程を概観する(11/13)

(11)ペスタロッチは直観こそ認識の基礎であると主張した

 前回は、シュタンツ孤児院におけるペスタロッチの実践について見てきました。そこでペスタロッチは、「どんな人間も教育によって成長する」というコメニウス以来の人間観・教育観をもっており、現象にまどわされることなく、その子どもがもつ人間としての可能性に目を向けたのでした。そうして愛情をもって関わった結果、子どもたちは自らがもつ人間としての可能性を自覚するにいたったということでした。

 しかし、ペスタロッチはこうした教育は本来は母親がやるべきだと考えていました。そこで、母親であっても教育ができるように教育の方法を明らかにしたいという問題意識を抱いていました。そうした中で出てきたのが「メトーデ」であり、それが手紙の形式でまとめられたのが『ゲルトルート教育法』(『ゲルトルートはいかにしてその子を教えるか』)です。このメトーデの実際については、国の内外から教育関係者が参観に来るような状況だったのでした。

 ペスタロッチと言えば、直観教授という言葉が有名です。例えば、ペスタロッチの解説において「教育補法としては自発性に基づく直観的認識を基礎とする。直観教授においては個体を確実に知覚させ、形の観念を得させ、語によって明瞭に表出させなければならないとした」(森秀夫『教育史 西洋・日本』学芸図書、2005年)とされています。この直観教授をキーワードに、ペスタロッチが教育方法についてどんな問題意識を抱いていたのか、どんなことを主張したのか、それが後世にどうつながったのかをペスタロッチ、前原寿・石橋哲成訳『ゲルトルート教育法・シュタンツ便り』(玉川大学出版部、1987年)を中心にして見ていきましょう(以下、ページ数のみの場合はこの書のページ数を表します)。

 ペスタロッチは、ヨーロッパの民衆教育に関わって、「この大陸はみずからの個々の学術の輝かしい王冠をいただいて、預言者の像のように、雲にそびえてい」るが、「しかしその反面、この黄金の王冠の基礎たるべき民衆教育は、いたるところでこの巨像の足のように、このうえなくみじめで、いたってもろく、ひどくくだらない泥土にもすぎない」と指摘しています。「最上層の優越と最下層の悲惨とのあいだの、人間らしい精神をぶちこわすこの不均衡は、あるいはむしろヨーロッパ大陸の文化のこの衝撃的な不均衡を生みだした発端は、印刷術の発明」である(pp.261-262)とした上で、次のように述べています。

「印刷術がヨーロッパ大陸の人々の五官を限りなくせばめ、とくに直観のいっそう普遍的な道具である目を、新しい認識のための偶像化された宝物である文字と書物とに局限してしまわざるをえなかったがゆえに、印刷術が私たちの認識のこのいっそう普遍的な道具を、たんなる文字の目にしてしまい、私たち自身をたんなる書物の人間にしてしまわざるをえなかった」(p.262)


 つまり、印刷術が流行したことで文字と書物に捉われ、現実の事物・事象を体験しなくなったということです。そうした問題点を踏まえて、ペスタロッチは「直観をあらゆる認識の絶対的な基礎」(p.260)だと主張したのです。

 認識論の観点からいえば、認識は五感情像であり、視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚という5つの感覚器官から対象を反映させることによって成立します。ところが、印刷術が発展したことによって、主に視覚を中心とした像しか描けていないということです。だから、すべての感覚を駆使して対象を反映させなければならないというのです。そのことをペスタロッチは「直観教授」という言葉で表しているのだと言えるでしょう。

 ただし、生の対象をそのまま与えればいいのではないとペスタロッチは主張しています。

「土地を自然にゆだねると、雑草やあざみが茂るし、人類の陶冶を自然にゆだねると、人類の直観は自然によってかみ乱されるほかありません。直観の混乱はあなたの理解力のためにも、あなたの子どもの理解力のためにも、初歩の教授にとって必要な秩序を与えてはくれないのです。だから樹木や野草を学ばせるために、私たちが子どもを連れてゆかねばならない場所は、けっして森や野原ではありません。そこでは樹木や野草は、あらゆる種属の本質を直観させたり、対象の最初の印象によってその部門の一般的な知識をえさせたりするのに、もっともふさわしい順序で並んではいないのです。あなたの子どもを、最短の道をたどって教授の目標である明晰な概念をえさせるためには、あなたはせめて慎重にあらゆる認識部門にわたって、その対象が属している部門のもっとも本質的な特徴をはっきりしかも顕著に備えており、しかもそのためにとりわけ、みずからの本質とその移ろいやすい性質とを区別して子どもに認識させるにふさわしいいろんな対象を、まず最初に子どもに提示してやらねばなりません。」(p.284)


 つまり、森や野原で樹木や野草を学ぼうと思っても、ふさわしい順番に並んでいないため混乱を招いてしまうから、明晰な概念をえさせるためには、本質的な特徴をはっきりしかも顕著に備えていてわかりやすいものを提示すべきだ、ということです。弁証法的にいえば、生の対象であるとともに生の対象ではないもの(意図的に再構成したもの)が必要だということです。

 これは具体的に考えてみればわかるでしょう。例えば、小学校3年生の理科で植物について学びます。植物には根・茎・葉があるということがその学習内容になります。多くの場合、ホウセンカやマリーゴールドの栽培をとおしてそのことを学びます。それは、根・茎・葉があるということがわかりやすいからです。とにかく実際の植物を見せればいいのだと言って、子どもに自由に植物を観察させたのでは、そういう特徴がわかりにくいものを観察し、誤った理解に至ることにもなりかねません。だから、まずはその特徴が典型的に現れているものを提示することになります。

 ペスタロッチに学んだヘルバルトも、同じような内容を「世界の美的表現」という言葉で表現しています。

「彼がほんとうに自由になるか、ならないか、またどの程度まで自由となるかどうか、いいかえれば、彼が何よりもまず利己主義の打算に専心するか、それとも自分を取り巻く世界の美的理解に専心するかどうか、それはこれまで心理的偶然に左右されていた。しかし、この偶然は偶然のままにとどまっていてはならない。教師は、もし自分が正しく適切に着手するなら、心の自由な態度が世知にたけた悪がしこさによってではなく、純粋な実践的思慮によって法則を受け入れるように、世界の美的表現によって、子どもによる世界の美的理解を早い時期から強くじゅうぶんに決定することができる、と前提してかかる勇気をもつべきである。世界のこのような表現―いざというときには、不つごうな環境から与えられる悪い印象をぬぐい去るため、既知の全世界、既知のあらゆる時代の表現―これこそ、当然に、教育の中心任務と呼ぶことができるだろう。」(ヘルバルト「教育の中心任務としての世界の美的表現について」『世界教育学名著選14』明治図書、1973年、p.26)


 ヘルバルトの場合、道徳的な観点から説いている印象が強いですし、この文章も独特の読みにくさがありますが、要するに、自然成長性に任せておいたのでは、正しい理解に至るかどうかは偶然に左右されることになるから、教師が世界を意図的に再構成して子どもに与えなければならないということだと言えるでしょう。これはまさにペスタロッチの考え方を受け継いだものだと言えるでしょう(この論文が『よく吟味され、かつ科学的によく推敲されたペスタロッチーの直観のABCの理念』というヘルバルトの著作の第二版の付録として加えられていることも示唆的です)。

 直観教授によって得た認識がどのように発展していくのかについて、ペスタロッチは次のように述べています。

「ある対象の単位(数)・形ならびに名称(語)を知ることによって、その対象についての私の認識は明確な認識となり、その対象の他のあらゆる特性を認識することによって、私の認識はしだいに私のうちで明瞭な認識となり、さらにその対象のあらゆる特徴の相互関係を知ることによって、私の認識は明晰な認識となる」(p.201)


 図式化すると、以下のようになるでしょう。
(曖昧・混乱)
   ↓ ← 数・形・語の把握
明確な認識
   ↓ ← 特性の把握
明瞭な認識
   ↓ ← 特徴の相互関係の把握
明晰な認識


 このうち、直観と呼ばれるのは「曖昧・混乱」の状態から「明確な認識」に至る過程のことです。例えば、マリーゴールドを見せて、その形を把握し、マリーゴールドだと知るのが明確な認識の段階です。それは植物としての特性として、根・茎・葉をもっているということを理解するのが明瞭な認識の段階です。さらに、根は植物の体を支えて養分を取り入れ蓄えること、一方、葉は光合成によって養分を作ること、茎はその養分をとおすこと、こういったそれぞれの役割やそのつながりを把握するのが明晰な認識ということになるでしょう。

 このように説いてくると、ヘルバルトの「明瞭・連合・系統・方法」という四段階教授説が思い浮かんでくる人もいるはずです。私は以前、「ヘルバルト『一般教育学』を読む」において、この四段階教授説について次のように解説しました。

まずある1つの対象への専心から、その対象を把握することが「明瞭」です。そこから別の対象への専心へと移り変わるとき、先の対象と新しい対象とのつながりが見えてくることになります。これが「連合」です。さらに、これらの把握をより体系的に捉え返し、そこに完全な秩序が得られる場合、それを「系統」と呼びます。その系統の前進が「方法」です。つまり、系統に基づいて対象に働きかけ、新たな知識を系統の中に位置づけるとともに、その系統の一貫性を確認するということです。

 これを小学3年生の理科の学習で見てみましょう。植物についての学習(単元)では、ホウセンカやマリーゴールドなどを育てて、植物には葉・茎・根があることや、芽が出て花が咲き種ができるという過程を理解します。最初はホウセンカやマリーゴールドを育てて、観察をします。これが明瞭です。続いて、両者の共通点について検討をします。これが「連合」です。そうした検討を踏まえて、教師が植物についての一般的な知識を説明することになります。これが「系統」です。これを踏まえて、他の植物ではどうなのかを追求していくことになります。これが「方法」です。

 少し内容的にズレがあるものの、ほぼ同じことを説いており、ここにもペスタロッチからヘルバルトへの継承の跡が見られると言えるでしょう。そして、これは現代の教育方法にも生かされているものです。

 ペスタロッチはおそらく貧民の学力の低い子どもたちを相手にしたからこそ、どのように教えればいいのかを強烈な問題意識として抱くようになり、その認識の発展過程について究明するようになったのでしょう。こうして浮き彫りにされた方法論がヘルバルトに受け継がれ、現代の教育課程でも生かされているのです。
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 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言