2016年12月13日

近代教育学の成立過程を概観する(5/13)

(5)ロックは紳士と貧民ともに教育を与えることを主張した

 前回は、コメニウスがどのような問題意識を抱いて『大教授学』を執筆したのか、またそこではどのような内容を説いたのかということを見てきました。ルター派(新教)とカトリック(旧教)の対立の中心地において、ルター派の牧師として生きたコメニウスは、この世界に平和が訪れることを願って教育の重要性を主張したのでした。さらに、性別、能力の有無、障害の有無などに関係なく、本当にすべての人間が教育によって成長する可能性があるのだとした上で、どのように教育すればよいのかという方法を『大教授学』で書いたのだということでした。そこで述べられている方法は教育以外の様々な分野で見られる事実から導き出したものであるということ、これは科学的な考え方であり、さらに言えば自分のアタマを働かせて生きていこうとするものだということでした。このように、コメニウスの人間観・教育観、さらにはその生き方は、ルターの主張を受け継いだものだということでした。

 では、このようなコメニウスの成果はロックにおいてどのように受け継がれることになったのでしょうか。今回はこの点について見ていきましょう。

 まずロックが生きた17世紀のイギリスがどのような社会であったのかを確認しましょう。この時代は、ピューリタン革命(1640)、名誉革命(1688)という二度の革命が起こった時期であり、まさに中世から近代へと移り変わる時代でした。生産力の向上に伴い商品交換が発達すると、地方地主であったジェントリ(郷紳)が大きな経済力をもつようになりました。また、領地に縛られていた農民の中にも、経済力を蓄えて領主の支配から逃れ、独立自営農民(ヨーマン)として農業を経営するようになりました。彼等は土地を囲い込んで毛織物工業にも力を注ぐようになり、経済的に大きな力をもつとともに、さらに議会派を構成し、政治的な発言力も強めていきました。やがて、議会を無視して税を課したり、営利や蓄財を認めるカルヴァン派を抑圧して国教を押しつけたりする国王と対立するようになり、2度の革命が起こったのです。こうして、新政府において政治活動を担った裕福な人々はジェントルマン(紳士)と呼ばれます。

 ジェントリ階級の人間として生まれたロックは、反体制派であったシャフツベリ伯爵の秘書兼侍医として日々を過ごし、新政府の樹立後は政治や経済にかかわる政策についての相談役として見解を述べるようになります。このように、ロックは新政府を担う人物として、いかにしてイギリス社会を維持・発展させていくべきかという問題に取り組むこととなったのです。そうした問題意識のもと教育のあり方についても言及し、ジェントルマン(紳士)の教育に関しては『教育に関する考察』で、貧民の教育に関しては、救貧法改正についての提案(1697年に貿易植民委員会が政府へ提出した報告書(ロックによる原案作成)に含まれるもの)にその思想が現れています。

 では、ロックはどのようなことを主張しているのでしょうか。『教育に関する考察』の冒頭において、ロックは次のように述べています。

「自分の生まれつきの才能で、ゆりかごのいる幼児の時代から、まっ直ぐに、いわゆる卓抜な人物になって行き、この彼等の仕合わせな素質の特権によって、世人を驚かすことを行なうことができるということを、わたくしは認めます。しかし、こんな人たちの例はほんのわずかで、われわれが出逢う万人の中で、十人の中九人までは、良くも悪くも、有用にも無用にも、教育によってなるものだと言って差し支えないと思われます。教育こそ、人間の間に大きな相違をもたらすものです。われわれの敏感な幼年時代に与えられた、わずかの、言いかえればほとんど感じられないくらいの印象が、非常に重大な、また長続きする影響を与えるのです。」(ロック、服部知文訳『教育に関する考察』岩波書店、1967年、p.14)


 つまり、人間の様々な違いは基本的には教育によってもたらされるということです。したがって、どのような教育を与えるかがその後に非常に大きな影響を与えるのだと主張しています。そもそも人間の精神はもともと何の観念ももっていないのだとロックは考えていました(精神白紙説)。もともと人間に違いはないのであり、その違いを生み出すのが教育だということです。

 このように教育の及ぼす力を主張し、人間の可能性(および危険性)に目を向けている点は、コメニウスの人間観・教育観を受け継いだものだと言えるでしょう。その教育によって、理性的な人間(自らの欲望を抑えて、正しいことを判断して行動できる存在)へと育てることが紳士の教育だと主張したのです。

 さらに、そのような人間を育てる上で教師自身が理性的な存在でなければならないと主張しています。

「家庭教師が自分の感情を放任しておいて、感情の抑制を語ることは、まったく無駄であるし、また自分自身には容認しておいて、どんなに悪癖、不作法をも、自分の生徒に改めさせようと努力しても無駄です。悪い手本はかならず、良い規則よりもっとよく従われるものです。」(同上書、p.123)


 つまり、教師が感情的であれば、いかに感情の抑制を子どもに語ったところで無駄だということです。そういう悪い手本は必ず真似されてしまうということです。これは逆に言うと、教師自身が理性的であるからこそ、それをモデルとして、子どもは自分の感情をコントロールするようになるのだということでもあります。
 もう少し言えば、教師自身が子どもの理性となって、子どもをコントロールするようにしなければならないのだということが言えるでしょう。まだまだ理性が育っていない子どもに代わって、教師が理性の役割を果たさなければならないということです。これは、教師の言うことを子どもがしっかり聞くように関係を創らなければならないということでもあります。そのためには、教師の愛情を子どもに感じさせなければならないと主張しています。それができれば子どもは教師を信頼するけれども、逆に教師からの評判を失ったと感じれば、一切教師の言うことを聞かなくなるというのです。

 一方、貧民に関しては、能力的に働けない者や、働けるけれども働く場所がない者、働けるのに怠けて働かない者がいることを踏まえて、働けない者は養老院などに入れて生活の面倒をみる一方、働けるものには働く場所を与えたり、技術の訓練をしたりして働かせることを提案しています。そうすれば、救貧のための負担が軽くなるだけでなく、貧民を働かせることによって国が豊かになるから一石二鳥だと考えられたのです。また、貧民の子どもについても、労働学校に入れて教育すれば、自分の生活費と教育費ぐらいは自分でかせぐことができるようになると主張しています。

 このように見てみると、紳士に対する教育と貧民に対する教育は明らかに性質が異なっており、人間は平等だというコメニウスの人間観から後退したようにも感じられます。しかし、当時の社会では、経済的な格差が明確に存在しており、それぞれがどのような人生を過ごしていくかが明確に異なっていたのでした。そのような社会において、すべての人間に教育を与えなければならないというコメニウスが掲げた理念を現実化した場合には、このような形をとらざるを得なかったのだと言えるでしょう。しかし、その前提として貧民も教育によって成長していくのであり、貧民に教育を与えることが社会の維持・発展につながるのだという人間観・教育観・社会観が存在していることを見逃すわけにはいきません。つまり、コメニウスの掲げたいわば理念としての人間観・教育観を国家の統治者として現実化を試みた点にロックの意義があるのです。
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 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
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 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言