2016年12月07日

3年間の育児を振り返る(5/5)

(5)反抗期は認識の発展にとっての必然性である

 本稿は,反抗期の子どもへの虐待による死亡事件が相次ぐ社会情勢の中で,これまでの育児,特に反抗期を迎えた娘に対するここ1年間の育児を振り返って,言語の発達や反抗期について考察し,また,親の認識の変化やあるべき親の認識のあり方について検討するための論考であった。ここでこれまでの流れをまとめておきたい。

 初めに,言葉の発達について振り返った。まず,この1年間で物の名前をたくさんいえるようになったことを見た。これはたとえば,半円形の穴で,その中に入っていくことができるものは「トンネル」と認識できるようになったことを意味しており,対象の共通性を理解できるようになったのだと説いた。未知の対象に対しては,既に知っている論理でもって問いかけるために,高架橋をトンネルと認識したり,のど飴をお豆さんと認識したりするいき過ぎも生じることを指摘した。この中で,人間の認識は,まずは一般性として反映するのであり,その後に特殊性が分かってくるのだということも確認した。次に,名詞だけではなく,動詞や形容詞・副詞なども使えるようになってきて,長い文を話せるようになったことを見た。数に関しては,4以上は「多い」という認識しか成立しておらず,この「多い」一般を「4」と認識しているのは,先の名詞の場合と同じく,ある既知の特殊性を,一般性を表すものとして認識しているのだと指摘した。「なかなか」という時間経過に関する副詞や「中くらい」という大きさに関わる概念も理解できるようになってきたことを見た。アイスクリーム屋さんごっこをしていて,アイスを落とした際,「落としたら,洗わないとダメです」などといいながら洗いにいったことなど,見立て遊びができるようになったことについては,観念的二重化の実力がついてきた証左であると説いた。さらに,言語の本質的な機能であるコニュニケーション(認識の交通)もかなりできるようになってきたとして,「ウンチ,出る」といって,ほぼ100%,ウンチの前には言葉で伝えてくれるようになったこと,「おめめ,ぎゅー!」とこちらがいえば,目をつぶってくれて,そのおかげでスムーズに寝ることができるようになったことを説いた。このように言語が発達したことは,「いや!」と直接的に表明されることが増えたり,無意識的な要求水準が上がることにより現実とのギャップでイライラが積み重なったりして,虐待につながる要因になりうることにも触れた。

 次に,反抗期の認識について,事実を提示した後,海保静子『育児の認識学』で説かれている認識論的解明を紹介し,私の体験した事実と,説かれている論理とののぼりおりを試みた。私が体験した事実とは,たとえば,電車に乗っている時に,バナナがほしいというが,その日はたまたま持ち合わせていなくて,「今日はないよ」というと,「いやや! バナナ! バナナ!」といって大声で泣いたケースである。この時は,「バナナ,ほしいんやね。じゃあ,あげるわ。一緒にカバンのなか探そう!」といって,探した後,「ないわ。○○も探してみ」と提案して,娘にも探させ,それでないことが分かると納得したのか,機嫌が直ったのであった。他にも,朝ご飯を食べた後,おもちゃで遊んで,着替えをしようとしなかったケースや,たくさん柿を食べた後,まだ柿を食べたいといって駄々をこね,母親が,「もうダメ!」というと,「いやや!」などといって寝転がって大声で泣き始め,手を打つのが遅かったためにどうにもならなくなったケースなどを紹介した。このような「反抗」について,『育児の認識学』では,保育園のぬいぐるみをもって帰ろうとしたS子に対して,母親が「これは保育園のものでしょう」などという説得を試みても「イヤダ」の一点張りであったのに,海保先生が「S子ちゃんは,ウサギさんがだいすきなのよね」「でもウサギさんもお家に帰らなくちゃ」「ウサギさんもお母さんのお家に帰りたいって」などといって働きかけた結果,素直にぬいぐるみを渡してくれたという事例が紹介されていた。こういった反抗について,海保先生は,反抗とは自らが主体的に描き出した像の実現化に向けて,行動をおこしたときに,外界からその行為をはばもうとするなんらかのはたらきかけがあり,それにたいしてあくまでも自らの目的を達成しようと,認識と実体を駆使しながら,対象に向けておこす行動であると概念規定され,反抗期の認識には柔軟性があり,大人の接し方次第でいかようにも育つ可能性があると説かれていたのであった。この論理は,私が体験した事実にも合致するものであるということを確認した。

 最後に,親の認識の変化・発展を振り返り,加えて,反抗期の子どもを持つ親として,自分の認識をどのように整えるべきか,どのように考えれば不幸な虐待を防げるのかというテーマについても検討した。親の認識としては,一年前と比べても,かなり余裕が出てきたと指摘した。反抗期を迎え,手におえない場面もできたのであるが,それ以上に,一人でできることが増え,ある程度放っておいても大丈夫になってきたので,その分,親としては楽になってきて,余裕が生まれてきたのであり,その証拠に,妻が朝の世話を一手に引き受けてくれたことも紹介した。そのうえで,娘の成長を見るのは親としては非常にうれしく,言葉によるコミュニケーションがよりとれるようになったのは,楽しい体験であったとして,いくつかのエピソードを紹介した。できるようになってこととしては,おむつではなく,トイレで排泄できるようになったこと,一人でそれなりにこぼさずにご飯を食べられるようになったこと,一人で服を脱ぎ,一人で服を少しは着られるようになったことなどを紹介した。コミュニケーションということでいうと,「おおっ,そんなことがいえるのか」と驚いたり,感心したりしたことがいろいろあったとして,娘とのコミュニケーションを通して,プラスの・ポジティブな感情を何度も何度も体験したことを紹介した。たとえば,冗談で娘のことを「ポニョさん」とか「メイちゃん」とか,アニメのキャラクターの名前で呼びかけてみると,「ちがう! ○○(娘の名前)」といって,否定・訂正した後,ニコニコした顔をしながら,私のことを「ママ」と呼んで仕返ししてきたこと,仕事に行ったと思ったパパが現れて,「あれ? パパ,いる。仕事かと思ってたわ」といったため,妻も私も大笑いしたこと,おじいちゃんの車に乗っているときに,自分がおじいちゃんの車に乗っていると認識していたことや,おもちゃの数を正確に認識できたことなどを紹介した。こういったポジティブな感情を体験したことが,余裕が出てきた一因であること,このようなプラスの交流が増えれば,多少の反抗は許せて,虐待は予防できる可能性が高まることを説いた。また,より重要なこととして,親の認識を子どもに押し付けるのではなく,いったん自分の認識を否定して,子どもの認識を描きそれを表現することが「反抗」を静めるのに効果的であることを説いた。

 このように見てくると,2歳から3歳への1年間は,言語の発達にみられるように,自分なりの認識,すなわち問いかけ的認識が量質転化してしっかりしてきたために,対象の共通性をしっかり把握できるようになり,その共通性を把握した論理でもって,対象に問いかけることができるようになった一方で,いわゆる自我が芽生え,自分なりに主体的に判断して答えを出せるようになったため,親の要求と合致しなくなり,「反抗」という現象を呈するようになった1年であったといえるだろう。しかし,成長も著しい1年であったため,親として,その成長を喜び,うれしく思うという認識が育ってきて,反抗期の認識をしっかりと踏まえれば,適切な介入を行うことができ,こちらがそれほどイライラせずに余裕をもって対応できるということが分かった1年でもあったといえるだろう。

 以上を踏まえて,反抗期の子どもを持つ親のために,虐待を予防するための処方箋を考えてみたい。今まで説いたことも含めて説き直すならば,次のような処方箋が考えられるだろう。

 まずは,言語が著しく発達したとしても,まだ所詮は2年と少ししか人生経験のない幼児だということを,しっかりと自覚することである。まだ,たった2年しか生きていないのである。言葉も,ようやく話せるようになり,こちらのいうことも理解できるようになってきたばかりである。そのような子どもに対して,こちらのいうことを100%聞かそうとすること自体が間違っている。半分どころか,20%も聞いてくれれば御の字である。また,まだまだ正確な言葉を使える段階ではないので,子どもが使った言葉を字義通りに受け取って,こちらが怒りを覚えるなどは,単にこちらの間違った解釈による怒りに過ぎない。「いや!」とか「嫌い!」とかいう言葉も,それに近い何らかの思いを,その言葉で代表させて表現しているだけである。「親に嫌いとは何事か!」となどといって怒りを爆発させるなどは,愚の骨頂であると知るべきである。要は,子どもに対する要求水準(期待)を思い切って下げて,言葉も不十分にしか使えていないと自覚しておく必要があるということである。無意識的な要求水準(期待)をしっかり意識化して,それを下げておくことは,不必要にイライラしたり怒ったりしないための有効な手法である。

 次に,反抗期の必然性を勉強しておくことも大切だろう。『育児の認識学』で説かれているように,反抗期というのは子どもの正常な発達・成長にとっては必然性であり,むしろこれがない方が異常なのである。反抗期は,親をはじめとする周囲の人間の言動をしっかりと反映して,まねをすることができるほどの認識の発展がもたらされた結果であり,さらに,対象の反映をくり返すことによって,事物の共通性を把握できるようになり,それに伴って言語が発展してきたために,自分の意志をしっかりと言語表現できるようになっていった結果であるともいえるだろう。また,母親の答えに依存するのではなく,自分で答えを出したくなってきたことの現われである。いずれにしても,人間の成長としては,非常に歓迎すべきことである。このように反抗期の必然性をしっかりと勉強しておけば,「来るべきものが来たな」ということで,多少なりとも余裕を持って,子どものかんしゃくや反抗に巻き込まれてしまうのではなく,冷静に距離をとって眺められるようにもなるであろう。

 さらに,自分たち親の認識を意図的に整えていく,コントロールしていくことも大切である。そのための代表的な方法が,子どもとのポジティブな体験に目を向け,できればそれを日記として記録していくことである。いくら反抗期といっても,子どもは反抗ばかりしているわけではない。親にとっては,反抗ばかりしているように映るかもしれないが,それはこちらの問いかけがなせる業であり,実際はポジティブな出来事も起こっているはずである。連載第2回で説いたように,言葉が発達して,いろいろな言葉が話せるようになったり,こちらのいうことが理解できるようになったりするのがこの時期である。こういった成長が何よりのポジティブな出来事である。また,連載第4回で紹介したように,もっともっと些細なことであっても,ポジティブな出来事は探そうと思えばいくらでも出てくる。そのような喜びを感じた体験,楽しかった体験,親として達成感を得られたような体験など,ポジティブなことだけを日記に記していくのである。そうして,折を見て読み返す。それだけで心が明るくなり,心に余裕が出てくるものである。実際,筆者はカウンセリングでこの方法を指導して,育児に疲れてうつ状態になり,入院までしていた母親を,短期間に回復にまで導いた経験がある。

 親が自分の認識をコントロールする最たるものは,自分の認識を否定して,子どもの立場に立ち,子どもの認識を追体験する,というものである。そして,その認識を言葉で表現するのである。これがいわゆる共感するということである。まず,共感を示すことによって,子どもの反抗やかんしゃくがエスカレートしていくことを止めることが可能となる。なぜなら,『育児の認識学』で説かれていたように,反抗やかんしゃくというのは,「外界からその行為をはばもうとするなんらかのはたらきかけ」があることが要件となっているからである。ある像の実現化に向けて子どもが動いており,親もその子どもの認識=像を追体験して,同じように実現化に向けて動く。こうなると,子どもは何ら反抗することはなくなるはずである。反抗する対象がなくなってしまうのである。加えて,共感を示せば,子どもの認識がはっきり把握できるようになり,自分たち親の思いと両立可能な形態を創出できる可能性が出てくる。逆に,子どもの認識をしっかりと掴まなければ,親の認識の一方的な押し付けに終わってしまい,その押しつけに対して子どもは反抗してしまうのである。そうならずに,しっかりと子どもの認識と親の思いが両立するような形を提案するには,まずは子どもの認識を正確に掴むことが前提となるのである。

 以上,本稿では,筆者自身の反抗期の子どもの育児を振り返り,反抗期の子どもとその親の認識を整理しながら,この時期に起こりうる虐待をどのように防ぐのかというテーマについても考察してきた。本稿が,反抗期の子どもの育児に悩む親の,より適切な育児のためのヒントとなれば,幸いである。

(了)
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 認識論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

>無意識的な要求水準(期待)をしっかり意識化して,それを下げておくことは,不必要にイライラしたり怒ったりしないための有効な手法である。

同感の痛感です。

現在の私は、市立小学校の特別支援学級の指導補助員をしています。
そんな中で、ニコニコしながら私の顔を見て「ジジイ!」という女子児童や、
すれ違いざま、突然に私を叩いて(彼なりの手加減で)くる男子児童…

女子には、「○○ちゃんのニコニコ顔大好き!でも…ジジイなしでお願い!」とか、
男子には、「面白い!私と勝負するか?!」
と本気と冗談半々で真顔で言っている、今の私です。

これが現役教員時代だったら、きっと
「先生にジジイと何だ!」、「先生を叩くとは何だ!」でしょうね〜

彼らの言動は、ジャレて噛みついたり引っかいてくる猫レベルです。

過去に犬を、現在は猫を飼っている私は、
それら動物と関わって学んでいる事も大いに役立っています。

Posted by 自由びと at 2016年12月11日 10:17

>自分たち親の認識を意図的に整えていく,コントロールしていくことも大切である。
>…そのための代表的な方法が,子どもとのポジティブな体験に目を向け,できればそれを日記として記録していくことである。


自らのネガティブ感情とポジティブ感情の統一〜
目的達成の為の建設的な対立物の統一ですね!

Posted by 自由びと at 2016年12月11日 10:25
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 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む