2016年12月05日

3年間の育児を振り返る(3/5)

(3)反抗期の認識

 前回は,この1年間の言語の発達について振り返った。物事の共通性を把握できるようになり,言葉の数が増えたこと,3語文以上の長い文も話せるようになったこと,コミュニケーションがかなりとれるようになり,自分の意志をしっかりと表現したり,こちらの意図を理解することが,どんどんできるようになってきたこと,言語の発達は虐待につながる要因になりうること,などを説いた。

 さて今回は,連載第1回でも大きく取り上げた反抗期について取りあげ,海保静子『育児の認識学』に基づいて,その認識論的解明を行っていきたい。

 まず,私の娘の反抗期に関わる事実をあげる。4月頃には,「またイヤイヤが強くなってきた」と記録にあるので,すでにこの頃以前にイヤイヤが始まっていたようだ。この時は,娘が何か,ものを運んでいたが,それにちょっと触れてしまって,運ぶのを邪魔した格好になっただけで泣く。お風呂の時間になったのに,まだアニメを見ていたので,「あがってから見ようね」というと泣く。

 7月には,保育園にお迎えに行っても,帰ろうとしない。その時やっている遊びをそのまま続けようとする。そこで,カバンに入ってあったおもちゃを見せて,「これ,パパがもらうよ!」といっておもちゃを隠すと,静かに泣き出してしまった。別の日には,電車に乗っている時に,バナナがほしいという。いつもは持ち歩いていたが,その日はたまたま持ち合わせていなくて,「今日はないよ」というと,「いやや! バナナ! バナナ!」といって大声で泣く。その後,「バナナ,ほしいんやね。じゃあ,あげるわ。一緒にカバンのなか探そう!」といって,探した後,「ないわ。○○も探してみ」と提案して,娘にも探させる。それでないことが分かると納得したのか,機嫌が直ったのであった。

 10月になると,たくさん柿を食べた後,まだ柿を食べたいといって駄々をこねる。母親が,「もうダメ!」というと,「いやや!」などといって寝転がって大声で泣き始める。しばらく泣くと,もう手が付けられなくなる。仕方なく,柿をあげようとしても,「いらないの!」と反発する。私が抱っこしようとすると,「ママがいい!」と叫ぶ。そこで母親が抱っこしようとすると,「違う!!」などといって激しく抵抗する。

 ごく最近では,朝ご飯を食べた後,おもちゃで遊んで,着替えをしようとしない。「着替えないとだめやで」といっても,「いやや。もうちょっと遊ぶの!」の一点張り。保育園に行く時間になっても,まだ遊んでいる。「もう行かないと,パパ,仕事に遅れちゃうやん」といっても,「いやや」である。結局この時は,「おもちゃで遊びたいね」と共感した後に,「でも,もう3歳やから,遊ぶのは帰ってきてからにしようね。お姉ちゃんやから我慢できるね」とか,「この服,パパは好きやから,着てくれると嬉しいな」などといって,うまくいうことを聞かしたのであった。

 このような「反抗」の事実には,どのような認識論的な意味が隠されているのであろうか。海保静子『育児の認識学』では,「認識は対象の頭脳における反映である」という原理から,反抗期の認識論的解明がなされている。少し紹介してみよう。

 1〜2歳ごろまでは,子どもは外界の反映が新鮮なものだらけであり,自分の認識(個性)も育っていないので,自分で判断することができない。そこで,全ての答えを自分の分身である母親に求めるものである。しかし,2〜3歳ごろになると,自分が反映した認識が,しだいに自分の認識として量質転化を起こし,認識が個性として成長してくるようになる。そうなると答えは自分が出したくなり,母親の答えは不要となるどころか,かえって邪魔になりかねない。「その不要,邪魔と思えるものにたいして実体がかんしゃくをおこし,認識が反抗というかたちをとってくるのです。これがかんしゃくと反抗が成長してくる過程的構造なのです」(p.218)ということである。

 このように説かれた後,事例が紹介されている。保育園のお迎えに来た母親とS子がもめているという場面である。S子は保育園のウサギのぬいぐるみを持って帰ろうとしていたが,母親は「これは保育園のものでしょう」「お家にもっていっちゃいけないの」などといって説得するが,S子は「イヤダ」の一点ばり。そこで海保先生は,「S子ちゃんは,ウサギさんがだいすきなのよね」と問いかけたら,それまでは「イヤダ」といって抵抗していたS子が「ウン」とうなずいたという。そしてその後,次のようにいって働きかけたという。

「S子ちゃんはウサギさんと仲よしこよしだものね」
「でもウサギさんもお家に帰らなくちゃ」
「S子ちゃんもお母さんといっしょにお家に帰るでしょ」
「ウサギさんもお母さんのお家に帰りたいって」
「お家に帰ってごはんたべて,ねんねして,そしたらまたS子ちゃんといっしょにあそぼうね,って」

 このような内容のことをくり返して伝えているうちに,S子は「ウン」とうなずいてぬいぐるみを渡してくれたと説かれている。

 ここに関して,母親のいう「保育園のもの」「持ち帰ってはいけない」というルールは,S子の頭の中に描かれておらず,母親の言はS子にとっては大好きなウサギさんと離れ離れになる思いとしてしか描かれていなかった(だから「イヤダ!」という表現になった)のに対して,海保先生の言葉は,まさにS子が描いている像と合致するものであり,それによって気持ちがほぐれたのだ,さらに,S子の頭の中でお母さんといっしょにいたい自分の思いをウサギに重ね合わせることができたからこそ,サヨナラしてまた明日遊べる像に結びつけることができた(だからぬいぐるみを手渡してくれた)のだと説かれている。

 以上を踏まえて,次のようにまとめられている。

「以上のことから反抗ということを考えてみると,「自らが主体的に描き出した像の実現化に向けて,行動をおこしたときに,外界からその行為をはばもうとするなんらかのはたらきかけがあり,それにたいしてあくまでも自らの目的を達成しようと,認識と実体を駆使しながら,対象に向けておこす行動である」といえましょう。

(中略)

 反抗期においては,対象とのかかわりのなかで自らをダイナミックに主張しつづける一方で,その欲求が徐々に社会的にととのえられていく,という柔軟性をもった認識であることがわかります。自分と他との関係,そして自らの目的や欲求をどのように描き,達成していこうとするのか,その基礎が創られる時期でもあるのです。

 したがって,この時期のおとなの接し方しだいで,こどもはなにがなんでも自分の思いをとおそうとするわがままな子になるか,それともすこしずつがまんしながら他人の心がわかり,ともだち関係がうまくもてるようになっていくか,という重要な分かれ目でもあるのです」(p.225)


 ここでは,反抗とは,「自らが主体的に描き出した像の実現化に向けて,行動をおこしたときに,外界からその行為をはばもうとするなんらかのはたらきかけがあり,それにたいしてあくまでも自らの目的を達成しようと,認識と実体を駆使しながら,対象に向けておこす行動である」と概念規定がなされ,反抗期の認識には柔軟性があり,大人の接し方次第でいかようにも育つ可能性があることが説かれている。

 筆者の娘の事実で,この反抗の論理について,具体的に考えてみよう。たとえば,7月に電車でバナナがほしいといってきかなかった例では,娘自らが,バナナの像を主体的に描き出して,それを実現化するために「バナナ,ほしい!」といったわけである。このようなときに,娘にとっては外界である私から,そのバナナを食べるという行為をはばもうとする働きかけがあった,つまり,「今日は,バナナ,ないよ」と言われたのである。これに対して,娘は,あくまでも自らの目的(=バナナを食べること)を達成しようとして,認識と実体を駆使しながら,「いやや! バナナ! バナナ!」といって大声で泣いたのである。

 ごく最近の朝ご飯の後でおもちゃで遊んでいて,着替えようともしないし,保育園に行く時間になっても,行こうとしない例でも考えてみよう。この場合,「自らが主体的に描き出した像」とは,自分がおもちゃで遊んでいる像である。その像を描いて,それを実現化するために,実際におもちゃで遊んでいるのである。その時に,外界からその行為をはばもうとするなんらかのはたらきかけがある。すなわち,父親である私が「着替えなさい」とか「もう保育園に行くよ」とかいって,娘を叱りつけるのである。それに対して娘は,あくまでも自らの目的を達成しようと,「いやや」といっておもちゃで遊び続ける。無理に着替えさせようとしたり,保育園に連れて行こうとしたりしたら,「いやや!!」と大声をあげて,泣きじゃくり,激しく抵抗する。これが「認識と実体を駆使しながら,対象に向けておこす行動」であるところの反抗である。

 先に,柿がほしいといってきかず,こじれてしまって,どうにも手が付けられなくなったことがあると紹介したが,今取り上げた二つの例は,それなりにうまく働きかけて,なだめることに成功した。たとえば後者であれば,「この服,パパ好きやな。これ着てくれたらうれしいな」などといってお気に入りの服を見せたり,「もう3歳のお姉ちゃんになるのに,いうこと聞かなかったら,もう一回1歳児さんのクラスからやり直しやな。もうお姉ちゃんやから,おもちゃで遊ぶのは帰ってくるまで我慢できるね」などといい聞かせたりするのである。これが成功して,「服,着る!」となったり,「お姉ちゃんやから我慢する!」となったりするのである。このあたりの事実が,「その欲求が徐々に社会的にととのえられていく,という柔軟性をもった認識である」「すこしずつがまんしながら他人の心がわか」るようになっていくということの一例であるといえるだろう。すなわち,反抗していても,その認識で固定化されるのではなく,周囲の関わり次第で,その認識・欲求が整えられて,我慢できるようになっていくのである。このような柔軟性をも持ち合わせているということが,このくらいの時期の認識の大きな特徴であるといえるだろう。

 以上,今回は,反抗期の子どもの認識に焦点を当てて,事実と論理ののぼりおりを試みた。

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 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言