2016年12月03日

3年間の育児を振り返る(1/5)

〈目次〉
(1)反抗期が始まった
(2)言葉の発達
(3)反抗期の認識
(4)親の認識の変化・発展
(5)反抗期は認識の発展にとっての必然性である

――――――――――――――――――――

(1)反抗期が始まった

 本稿は,これまでの3年間の育児,特に2歳になってから3歳になるまでの育児を振り返り,子どもの認識の変化や親の認識の変化について考察する論考である。同時に,この時期に多発する虐待の問題をいかに解決するかということも,裏のテーマとして扱うことになる。

 この1年間の育児の印象を端的に述べるならば,子どもはかなりしっかりしてきて,手がかからなくなってきた半面,反抗期(いわゆるイヤイヤ期)を迎え,親のいうことを聞かない場面がかなり増えてきたということができる。

 反抗期に関わっては,この時期に関連すると思われる虐待事件が頻繁にくり返されている。たとえば,次のような報道があった。

「父に懲役3年判決,2歳監禁致死で奈良地裁。

 奈良県生駒市で4月,子供2人をプラスチックの収納ケースに押し込め,うち長男(当時2)を死亡させたとして,監禁致死と監禁の罪に問われた会社員,井上祐介被告(40)の裁判員裁判で,奈良地裁は15日,懲役3年(求刑懲役5年)の判決を言い渡した。
 西川篤志裁判長は,判決理由で「身体拘束の程度が非常に強く,常識的に考えて死亡の結果が生じるのは容易に分かる。強い非難に値し悪質だ」と指摘。「子供たちを懲らしめようとしたと考えられるが,配慮に欠け独善的で,真の愛情からの行為ではなく,執行猶予を付けるのは相当ではない」と述べた。弁護側は「やってはいけないことを理解させるための厳しいしつけで,死亡は予見できなかった」と主張し,執行猶予付きの判決を求めていた。」(2016/09/16 日本経済新聞 大阪朝刊)


 また,次のような記事もあった。

「父親に懲役12年を求刑,3歳ケージ監禁死,母親には7年。

 3歳の次男をウサギ飼育用のケージに閉じ込め死なせたとして,監禁致死と死体遺棄の罪に問われた皆川忍被告(31)と妻の朋美被告(29)の裁判員裁判で論告求刑公判が4日,東京地裁(稗田雅洋裁判長)であった。検察側は忍被告に懲役12年,朋美被告に懲役7年を求刑した。判決は11日に言い渡される。
 検察側は忍被告について「次男を劣悪な環境に置き,動物のように扱っていた。言うことを聞かないからという動機も身勝手極まりない」と指摘。朋美被告については「関与は従属的」とした。
 起訴状によると,2人は2012年12月〜13年3月,東京都足立区の当時の自宅で次男の玲空斗(りくと)ちゃんを監禁。口にタオルを巻いて死なせ,遺体を遺棄したとされる。
 忍被告は今月2日の被告人質問で,次男への食事は2〜3日に1回程度,入浴は5日に1回程度だったと説明。13年1月下旬から1日のほとんどをケージで過ごさせていたと明かし,「しつけのつもりだったが,逸脱していたと思う」と話した。」(2016/03/04 日本経済新聞)


 両者とも,2歳児や3歳児を「しつけ」と称して虐待し,死亡させてしまった事件である。このようなことは,決して許されることではないが,こういった事件が繰り返される背景には,子どもの反抗期の問題があると考えられる。

 この時期の反抗期については,心理学の教科書に次のように説かれている。

「2歳を過ぎると,それまで親に従順だった子どもが,なにについても「いやっ」と拒否したり,自分のいうことを無理に通そうとする。これは第一反抗期といわれる。この時期の反抗は,子どもが自分の考えをもてるようになったため,それと親の意向とが衝突することによって起こる。自分の考えがもてるようになったということは,自我の芽生えとして重要な発達である。」(『心理学[第2版]』東京大学出版会,p.251)


 すなわち,これまで親のいうことを素直に聞いていた子どもが,2歳を過ぎたあたりから,突如としていうことを聞かなくなり,「いや!」と拒否したり,親の意向に逆らうような言動を無理にとったりするようになるのである。この時期のこと第一反抗期と呼ぶ,ということである。

 このいわゆる「反抗」の仕方が尋常ではなく,親の心持ち次第では非常にイライラさせられることも多い。何をいってもいうことを聞かず,大人から見ると「悪いこと」を何度も行う,注意してもくり返す,このような状況の中で,親の方が力でねじ伏せ,無理やりこちらに従わすようなことがあって,それが高じに高じて,上記のような事件が起こってしまうのであろう。もちろん,だからといって「反抗」する子どもが悪いなどということは絶対にない。要は,それだけ育児が難しくなる時期だということである。では,どうすれば虐待を防ぐことができるのか。このテーマについても,本稿では考察していく予定である。

 確かにうちの娘も,この間,親から見ると「反抗」と映るような言動を,非常によくとるようにはなった。しかし,私や妻は虐待に至ることはなかった。それは,これも認識論の勉強の材料だと思って,記録をとったり,実験的に介入したりしたためだといえる。結果として,無事3歳の誕生日を迎えることができた。本稿では,その中身をしっかりと振り返っておきたい。

 前稿「2年間の育児を振り返る」の最後では,記録をつけておくことの大切さを強調した。記録を残しておかないと,人間は今の反映が強烈であるだけに,すぐに昔のことを忘れてしまうからである。また,記録を残しておけば,その時は気づかなかったことも,後々になってからある論理と結びつき,大きな認識の発展をもたらしてくれる可能性もある。そのような意味で,記録をとっておくことは大切だと説いたのであった。

 この1年間は,その前の1年間よりもたくさんの記録を書くことができた。また,以前は全く記録のない月もあったのだが,この1年に限ってはそういうことはなかった。しっかり,毎月,何らかの記録を残しておくことができたのである。

 本稿ではそれらの記録をもとに,まず言語面の発達を振り返りたい。当初は2語文がやっとであったが,今では5語以上の文も難なく話せるようになった。どのように話せるようになってきたのか,それは認識のどのような発展を反映しているのか,などについて考察したい。

 次に,反抗期の問題を考えたい。これは,この1年間の最大の問題であったといえるし,先にふれたように,社会的な問題にもつながってくる。海保静子『育児の認識学』(現代社)でも詳しく取り上げられ,認識論的に解明されている問題であるので,そこで説かれている論理と,私が体験した事実をしっかりつなげて,認識ののぼりおりをくり返すことによって,『育児の認識学』の論理を自分のものにしたい。

 最後に,親としてのわれわれの認識の変化について見ていく。個人的な体験を振り返りながらも,反抗期の子どもを持つ親として,自分の認識をどのように整えるべきか,どのように考えれば不幸な虐待を防げるのか,といった点まで,考察できればと考えている。

 なお,この間の実体面の発達・成長に関しても,ここで少しだけ触れておく。食事の時は自分でスプーンをもってご飯を食べることが容易になってきたし,服を脱いだりズボンをはいたりすることも一人である程度はできるようになった。階段の上り下りも,ほとんど危なっかしさがなくなった。体もだいぶ強くなってきたのか,病気になることもなく,熱が出るようなことも非常に少なくなって,保育園を休むことがほとんどなくなった。このように,注目すべき変化も起こっているが,本稿では,主として認識の発展に焦点を当てたいために,今回はこれらは取り上げないこととする。

 では次回以降,言語の発達,反抗期の認識,親の認識の変化・発展という順で考察していきたい。

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 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2