2016年11月19日

アダム・スミス『国富論』を読む(10/13)

(10)政府のなすべき仕事――公共事業について

 前回および今回は、「自然的自由の体系」を主張するスミスが、それでもなお政府の果たすべき義務が存在する、とするのはどのようなことであるのか、みてきています。前回は、政府の義務として、国防および司法制度の確立が挙げられていることをみました。これらはいずれも、「自然的自由の体系」を成り立たせるための枠組みを維持するためのものであったといえるでしょう。すなわち、国家の外側からの攻撃に抗してこの枠組みを守るためのものが国防であり、国家の内側からの攻撃に抗してこの枠組みを守るためのものが司法制度です。国防と司法制度によって社会の中身がしっかりと守られていてこそ、分業と交換を通じた豊かさの実現が可能になるのだ、という国家観・社会観をスミスが抱いていたことが分かります。

 さて、今回は、スミスが挙げる政府の第三の義務についてみていくことにしましょう。これは端的には、公共土木事業および公共施設の建設・維持です。もう少し詳しくいえば、社会全体にとっては有用でありながら、利益を生み出さないために個人では建設・維持できない機関や施設を建設・維持することです。国防および司法制度が「自然的自由の体系」の枠組みに関わるものであるとすれば、この第三の義務は、その中身に関わっていくものだといえるでしょう。スミスは、政府が建設・維持すべき公共機関として大きく3つ、社会の商業活動を促進するためのもの、青少年教育のためのもの、生涯教育(宗教教育)のためのものを挙げています。

 社会の商業活動を促進するための公的施設・機関は、さらに社会の商業活動全般に関わるものと、特定の部門のみに関わるものとに分けられています。

 商業活動全般に関わるものとしては、道路、橋、運河、港などがありますが、これらの施設の建設・維持の費用は、それを利用する馬車や船から少額の通行料を取れば賄える、とスミスはいいます。通行料は運送業者が支払うものの、最終的には商品の価格に上乗せされて消費者が負担することになります。しかし、運送費はその公共施設のために大幅に低下するので、通行料を払っても商品は公共施設を使わない場合より安く消費者に販売できるだろう、というのがスミスの主張です。また、これら施設の建設・維持費を、それを利用する馬車や船に負担させることは、これらの施設を商業に本当に必要なところだけに建設するようにする効果がある、とも指摘しています。

 商業活動の特定部門に関わる施設や機関としては、未開民族との交易を行う際、現地人の攻撃から商品を守るために倉庫を要塞化することなどが挙げられます。スミスは、こうした特別の経費は、その部門に小幅な税金をかけて賄うべきだと主張しても不当ではないが、商人の会社は、議会を巧みに説得して、政府の義務のうちこの部分を果たす責任とそれに不可欠な権限の全てを引き受けるようになった、と指摘します(東インド会社などが半ば行政機関化していたことをイメージして下さい)。こうした会社は、加入した各人がみずからの資本を使ってみずからのリスクで営業する場合には組合会社と呼ばれ、株主から拠出された資本で営業し、株主が出資比率にしたがって全体の利益か損失を分け合う場合には株式会社と呼ばれました。スミスは、何人かの商人が協力し、自分たちのリスクと経費で、はるか遠方にある未開の国との貿易を切り拓こうとした場合、株式会社の設立を認め、成功した場合にある年数にわたって貿易の独占権を与えるのは不当ではない、と認めます。しかし、決められた期間がたてば独占は必ず終了させるべきだ、と主張します。要塞や守備隊が必要だと判断されれば、政府が引き継ぎ対価を会社に支払いつつ、貿易そのものは全ての国民に開放すべきだ、というのです。独占を恒久化すれば、自由貿易が許されていればはるかに安くなるであろう商品が高い価格で売られ続け、収益性が高い適切な事業から多数の国民が排除されることになるからです。また、スミスは、株式会社が排他的特権なしでも成功を収められるのは、全く決まりきった作業で業務を遂行できるものだけだとして、銀行業、保険業(火災保険、海上保険、戦時拿捕保険)、水路・運河の建設・維持の事業、大都市への給水事業を挙げています。しかし、株式会社で上手く経営できる可能性があるというだけで株式会社を設立するのは適切ではない、とも指摘しています。株式会社が完全に適正だといえるためには、業務の規則と方法を厳密に決められること以外に、@通常の事業の大部分と比べて社会にとって大きく役立つ事業であること、A株式でなければ集められないほど大きな資本を必要とするものであること、の2点の条件を満たさなければならない、というのです(前述の4つの事業は以上の条件を満たす、とされています)。

 政府が建設・維持すべき公共機関の第二は、青少年教育のためのものです。スミスは、青少年教育のための機関も、学生が教師に支払う授業料という自然な収入で十分に経費を賄うことができる、とします。そうしてこそ、教師の努力や能力の向上が促されるのであって、一般財政収入などを投入することは教育機関の目的達成の妨げになりかねない、とスミスは主張します(もっとも、こうしたスミスの主張は、主として、大きな資産をもった上流階級の子弟の教育を念頭に置いたものであることに注意が必要です)。では、政府は国民の教育に関与すべきではないのか、という問題を提起したスミスは、産業が発達した文明社会においては、政府は庶民の教育に対して積極的に関与する必要がある、と主張します。スミスによれば、分業の進展によって労働者の仕事がごく小数の単純作業に限定されるようになると、労働者は仕事の上で難しい問題にぶつかることがなくなり、問題解決のために理解力を活かしたり工夫を凝らしたりする機会を失ってしまいます。その結果、私生活でぶつかるごく普通の義務についてすら適切な判断を下せなくなりますし、ましてや、自国がぶつかっている大きくて複雑な問題については、全く判断できなくなってしまいます。スミスは、人間に本来備わっている知的能力が適切に使われていないのは、人間として基本的な部分を欠いた卑しむべき状態である、といいます。そして、下層階級の教育によって国がたとえ何の利益を得られないとしても、下層階級を全く無教育な状態に放置しないよう、政府は真剣に配慮すべきだ、と主張するのです。こうした主張からは、全ての人間に人間らしいあり方(知的能力の活用)が保障されるべきだ、というスミスの人間観を窺うことができます。もっともスミスは、下層階級の教育が国にとっても利益となるとも指摘しています。民衆が無知な場合、狂信や迷信によって社会が大混乱に陥ることがあるが、教育が進めばこうしたことは起こりにくくなる、というわけです。また、国民が早まった判断や気まぐれな判断を下す傾向を持たなくなることは政府の安定性にも資する、とも述べています。スミスは、全国民に読み書き計算という基礎的教育を義務付けるのに大した費用はかからない、と指摘した上で、教会区や地域ごとに小さな学校をつくり、下層労働者の親でも負担できるほど少額の授業料をとって、教師の報酬に不足する分は政府が支給すればよい、と提言するのです。

 政府が建設・維持すべき公共機関の第三は、生涯教育のためのもの、具体的には宗教教育のための機関です(宗教施設が公共機関だとされることには、現代日本の感覚からは違和感がありますが、政教分離の原則が必ずしも確立されていなかった時代の議論であることを踏まえておく必要があります)。スミスは、宗教上の教師について、信者の寄付のみに頼っている場合の方が、他の収入源がある場合より、はるかに熱心で勤勉である可能性が高い、と指摘します。このため、聖職者が聖職給に安住してしまう国教の教団より、信者の寄付に頼る新興の教団の方が、大衆的な人気を獲得し、改宗者を獲得する力に優れている、というのです。ちなみに、スミスは、新興教団が庶民の間で人気を博する根拠を、階級社会における2種類の道徳観、すなわち、厳格で禁欲的な考え方と自由な考え方ということにも関連させて解いています。下層労働者はわずか1週間、軽率に浪費しただけでも破滅し、自暴自棄になって極悪の犯罪を犯すまでになることがありますが、上流階級は何年にもわたって浮かれ騒いでも破滅するとは限りません。したがって、庶民の間では厳格で禁欲的な考え方が主流になり、上流階級の間では自由な考え方が主流となります。庶民のなかから始まる新興教団は、厳格な道徳観を採用し、それを徹底して純化することで、庶民の敬意を集めるわけです。問題は、国教の教団が必要とする経費をどう賄うか、です。スミスは、国教の教団の収入は、教団の所有地(荘園)から得る部分を除けば、国の一般収入の一部門なのであり、例えば十分の一税(教団の所有地のみならず、あらゆる土地の収穫の10分の1を納めさせるもの)は政府の収入をその分だけ減らして、国家の防衛力を弱体化させてしまう、と指摘します。しかし、スミスは、そもそも教団はそれほど大きな収入は必要ないはずだ、として、スコットランド国教会やスイスのプロテスタント教会が、教会所有地などからのわずかな収入で、牧師にまずまずの生活を保障しながら教会の全経費を賄っている例を紹介しています。スミスは、どのような職務でも、それが立派に遂行されるためには、給与や報酬が職務の性格に見合っている必要がある、といいます。聖職者の収入が多すぎると、雄興と社交と享楽に時間を費やすようになってしまい、聖職者にふさわしい人格ではないと庶民に見られるようになって、義務を果たすのに不可欠な権威や重みがなくなってしまう、とスミスは指摘しています。

 以上、前回と今回の2回にわたって、政府が果たすべき義務についてのスミスの議論の内容を、ごく簡単に紹介してきました。スミスは結論として、国防費のように社会全体の利益のために支出される経費は、社会全体の負担によって、すなわち、全ての国民が各人の能力に応じて負担する形で賄うのが適切であること、司法の経費、道路などの建設・維持費、教育機関・宗教団体の経費など、社会の一部が直接に利益を受けることになる経費は、利益を受ける人が負担する形で賄う方が適切であることを確認しています。もっとも、後者の諸経費にも、社会全体の利益につながる面がある以上、社会全体の負担で賄おうとすることが必ずしも不適切ではないとも指摘されています。

 社会全体の負担によって国の経費を賄うためには、国有の土地あるいは資本からの収入によるか、国民の収入に課税するかしなければなりません。さらに、国防費を中心に国の経費が膨張していくなかで、政府が富裕な商工業者から借り入れを行うようにもなっていきます。第5篇後半の2つの章では、これらの問題が議論されて、『国富論』の全体が締め括られることになります。次回は、スミスの租税論・公債論の要点を紹介することにしましょう。
posted by kyoto.dialectic at 06:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言