2016年11月18日

アダム・スミス『国富論』を読む(9/13)

(9)政府のなすべき仕事――国防と司法制度の確立について

 本稿は、“経済学の祖”と呼ばれるアダム・スミスの主著『国富論』を、彼の哲学体系の全体像を念頭に置きながら、概観していこうとするものです。

 前回までの3回にわたっては、「第3篇 国によって豊かさへの道筋が異なることについて」および「第4篇 政治経済学の諸体系(systems)について」をみてきました。第3篇では、ローマ帝国崩壊後のヨーロッパの歴史において豊かさへの自然な道筋がなぜ歪められてしまったのか、という問題が論じられ、第4篇では、自然な道筋を歪めるような政策の根拠となった政治経済学の諸体系、より具体的には、重商主義と重農主義とが、批判的に検討されていたのでした。ある種の産業を特別に奨励したり抑制したりしようとして、資本と労働の自然な配分を歪めてしまうならば、年間生産物の真の価値は多かれ少なかれ減ってしまうことになる――これが第4篇におけるスミスの結論でした。

 この第4篇の最後の部分で、スミスは以下のように述べています。

それゆえに、〔特定産業を〕優遇したりあるいは抑制したりする一切の制度が完全に廃止されたならば、明瞭で簡潔な自然的自由の体系(system of natural liberty)がおのずからできあがってくることになる。どんな人でも、正義の法を犯さないかぎり、自分の利益を自分のやり方で追求する完全な自由をもつようになり、自分の勤労(industry)と資本の双方をもって、他のどんな人や他のどんな階級とでも競争(competition)する完全な自由をもつようになるのである。(第4篇、第9章)


 ここで注目しなければならないのは、このような「自然的自由の体系」が実現された社会においてもなお政府の果たすべき役割が存在する、とされていることです。スミスは、政府が配慮すべき義務として、3つのことを挙げています。第一は、自国を他国の暴力と侵略から守ること、第二は、社会の各成員を他の成員の不正や抑圧から守ること、第三は、公共土木事業を行ったり公共施設を建設・維持したりすることです。政府がこうした義務を果すためには必ず一定の経費が必要になり、それをどうやって賄うかが問題になります。この問題を扱うのが、「第5篇 主権者あるいは公共社会(the Sovereign or Commonwealth)の収入について」にほかなりません(sovereign は「主権者」と訳されることが多いですが、統治者とも訳しうるものであり、ここでは基本的に政府〔行政のみならず立法、司法をも含む広義の政府〕と同義と見なしても問題ありませんから、以下、基本的には「政府」とします)。この第5篇では、政府のなすべき仕事について(経費論)、政府の仕事に必要な財源の調達について(租税論・公債論)、市場の自然で自由な動きとの関連を意識した財政論として議論されていくことになります。今回と次回は、このうち、政府のなすべき仕事について論じられている部分についてみていくことにしましょう(*)。

 スミスが挙げる政府の第一の義務は、他国の暴力と侵略から自国を守ること、端的には国防です。この義務を果たすためには軍事力が不可欠となるわけですが、そのための経費のあり方は、社会の発展段階によって大きく異なってきた、とスミスは説いています。

 狩猟民族や遊牧民族の場合は、戦闘の場面が日常生活から切り離されていませんでしたから、兵士を育成するための独自の取り組みも、戦場で戦う兵士の生活を支えるための経費の負担も、とりたてて必要ではありませんでした。農業中心の社会においても、戦闘が農閑期に集中して行われる以上は、兵士たちは自分で自分の生活を支えることができましたから、社会が特別の経費を負担する必要はありませんでした。

 しかし、より発展した社会においては、大きく2つの要因によって、戦場で戦う兵士が自分で生活を支えることができなくなった、とスミスはいいます。第一の要因は製造業の発達です。手工業者は仕事場を離れれば収入を失ってしまいますから、もし兵士として戦場に行くのであれば、その間の生活を国に維持してもらうほかなくなります。第二の要因は、戦争技術の発展です。戦争技術が高度化すると、戦争は1回の戦闘で決着をつけるようなものではなくなり、ほとんど1年の全体を覆ってしまうほど長期にわたるものになってしまいました。こうなると、たとえ農民出身の兵士であっても、自分の生活は自分で支えられます、というわけにはいかなくなります。加えて、戦争技術をいっそう発展させるためには、分業が不可欠であり、軍務を他の職業から分離し独立した職業にしなければならなくなった、という事情もありました。スミスは以上のように常備軍の起源を解いています。

 当時(18世紀後半)、軍隊は民兵組織(いざというとき国民一般が武器を取って戦うもの)であるべきで、常備軍は自由を抑圧する危険なものだ、と警戒される傾向もありました。しかし、分業の効用という観点から常備軍成立の必然性を説いたスミスは、軍指導部と政府の意志(利害関心)が一致している限りは、常備軍が自由を抑圧する危険はない、と述べます。それどころか、規律の保たれた常備軍によって政府(統治者)の安全が確保されてこそ、国民に放埓ともいえるほどの自由を許容することができるのであるから、常備軍は自由を確立する上で有利な条件となるのだ、とまで述べています。政府は常備軍の圧倒的な武力を背景にしてこそ、制定した法律を国内の隅々にまで適用することができるのであり、常備軍がなければありえなかった正規の統治を維持できるようになるのだ、というわけです。

 以上のように、スミスは、国防のために政府(統治者)が負担しなければならない経費が、社会の発展とともに増大してきたことを説いています。具体的には、高価な武器弾薬の購入、職業軍人を訓練し生活を維持するための経費などですが、近代の戦争においては、こうした経費を負担できる国の方が明らかに有利ですから、貧しい未開国よりも豊かな文明国の方が優位に立つようになりました。古代では豊かな文明国が貧しい未開の国の攻撃から自国を防衛するのが難しかったが近代では逆になった、とするスミスは、このことが文明の永続と拡大にとって明らかに有利な条件となっている、とも述べています。いかにも啓蒙の時代(文明の進歩が素直に信じられていた時代)たる18世紀らしい主張だとはいえるでしょう。

 さて、スミスが挙げる政府の第二の義務は、社会の他の構成員による不正と抑圧から社会の全構成員を守ること、つまり厳正な司法制度の確立です。国防が、国家の外側からの攻撃に対して国民生活を守ろうとするものであるのに対して、司法は国家の内側からの攻撃に対して国民生活を守ろうとするものである、ということができるでしょう。スミスは、この司法のための経費も、社会の発展段階によって大きく異なることを説いています。

 狩猟民族には、財産というものがありませんから、司法制度はそもそも必要ありませんでした。しかし、遊牧民族の段階で富の不平等が現われると、貧乏人の妬みによる攻撃から金持ちの財産を守るために、政府および司法制度が必要とされるようになったのだ、とスミスは説きます(こうしたスミスの論は、私有財産と階級の発生と関わらせて国家権力の生成を解いたマルクス主義の先駆ともいえそうです)。

 ここで問題になるのは、こうした司法制度を支える経費です。スミスは、政府(統治者)にとって司法制度は、その経費が負担になるどころか、有利な判決を得ようとする当事者たちの贈り物などによって、重要な収入源となってきたことを指摘します。しかし、収入の確保を優先するような仕組みでは、裁判の腐敗は避けられません。そのため、やがて贈り物の授受が禁止され、判事には決まった収入が保証されるようになってきました。とはいえ、司法制度の運用に必要な経費は、全ての判事への給与の支払いを含めても、政府の全経費のごく小さな部分を占めるにすぎません。したがって、司法の全費用を裁判手数料で賄うことも容易であろう、とスミスはいいます。

 同時にスミスは、他の財源から判事に固定給を支払う場合も含めて、行政権を任された人たちが、そうした財源を管理する責任を負うべきではない、とも指摘しています。スミスは、司法権と行政権の分離が、単に社会の発展によって業務が増えたことに対応するためのものだったのはなく、政治的な思惑によって裁判が捻じ曲げられることを避けるためであったことに注意を促すのです。公平な裁判こそが個人の自由の基礎であり、個人が安全だと実感できる根拠である、と力説するスミスは、全ての国民が自分の権利を完全に保障されていると感じられるようにするには、司法は行政から分離するだけでなく、行政から最大限に独立していることが必要である、と力説するのです。スミスによれば、判事は行政当局の気まぐれによって解任できるようになっていてはなりませんし、判事に定期的に支払われる給与は、行政当局の好意によってはもちろん、行政当局の財政手腕によってすら左右されてはならないのです。行政と司法の分離、司法の行政からの独立という問題について、スミスが非常に厳格に考えていたことが分かります。「自然的自由の体系」を成り立たせるための大前提として、正義の法による支配が決定的に重視されていたのだ、ということができるでしょう。

(*)この第5篇の第1章は、政府のなすべき仕事を経費という観点から論じようとするものですが、例えば、国防費を論じるにあたっては国防のあり方そのものが社会の歴史的な発展段階のなかで問題にされる、という形で展開されています。論の展開を追うことを優先して本稿では省きましたが、古代ギリシャ・ローマにおける学問・教育のあり方、中世における学問・教育(大学)のあり方、キリスト教会の歴史について等々、非常に面白い議論が展開されています。その面白さは、ぜひ直接に『国富論』の文章に触れて味わってみて下さい。『国富論』の第5篇は脱線が非常に多いともいえますが、現実世界においては諸々の要素が絡み合って存在しているわけで、財政論としてスッキリと整理(純化)されきっていないからこその含み(味わい深さ)がある――リカード以降の経済学では削ぎ落されてしまう豊かさがある――ともいえるでしょう。
posted by kyoto.dialectic at 06:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言