2016年11月13日

アダム・スミス『国富論』を読む(4/13)

(4)各階層への生産物の分配――賃金、利潤、地代

 前回は、「第1篇 労働の生産力における改善の要因と、生産物が各階級に分配されていく際の自然な秩序について」の前半部分、すなわち、労働の生産力における改善の要因について論じられている部分をみました。ここでスミスは、分業こそ生産力発展の要因であるとことを力説し、分業の発展により商品交換が広く行われるようになったことで貨幣が成立したこと、商品の交換価値の真の尺度は労働であること、商品の価格(交換価値)は労働の賃金、資本の利潤、土地の地代によって構成され、国民の収入の源泉は結局この3つに還元されること、賃金、利潤、地代の自然水準を過不足なく払えるのが商品の自然価格であり、市場価格はこの自然価格を中心にして変動していることなどを論じていました。

 さて、今回は、同じく第1篇の後半部分、すなわち、生産物が各階級に分配されていく際の自然な秩序について論じられている部分についてみていくことにしましょう。ここでは、商品の自然価格を構成する賃金、利潤、地代の自然水準そのものの変動が問題になります。

 第一に、賃金の自然水準の変動の問題です。賃金は労働者と雇用主との契約で決まりますが、賃金をめぐる争議において、労働者は圧倒的に弱い立場にあります。しかし、労働者自身が食べていけることに加えて、子どもを育てることができなければ次の世代の労働者が育ってきませんから、賃金は長期間にわたってこれを保障する最低水準以下になることはありません。このように確認した上で、スミスは、国富が増加し続けている場合、人手不足により雇用主が競って賃金を引き上げて人手を確保しようとするので、労働者の立場は有利になる、といいます。国富が大きくても、長期にわたって停滞を続けている国では、すでに雇用されている労働者だけで人手は充分ですから、雇用主が人手を確保しようと賃上げ競争をする必要はありません。国富が減少している国では、労働者に対する需要が毎年減っていきますから、職をめぐる労働者間の競争が激しくなり、賃金は最低水準にまで下ってしまいます。要するに、人口の最大部分を占める下層労働者がとくに幸せに快適に暮らせるのは、豊かさが頂点に達したときではなく、社会が豊かになる方向へと前進しているときだ、というのがスミスの結論です。スミスは、高い賃金によって下層労働者の生活が向上することは社会にとってよいことだと強調します。大多数の人が貧しく惨めであれば、社会が繁栄しているとか幸せであるとかいえるはずはないし、社会全体に食料や衣服や住居を供給する役割を果たしている人々が、十分な分け前を受け取って、まずまずの食料、衣服、住居を確保するのは当然だ、というわけです。さらに、労働の報酬がよければ、人口の増加が促され、労働者の勤勉さも刺激されることも指摘しています。

 第二に、利潤の自然水準の変動の問題です。スミスは、利潤率の上下も、賃金の上下と同じく国富が増加傾向にあるか減少傾向にあるかによりますが、その影響は全く違う、といいます。例えば、資本の増加(資本家間の競争の激化)は賃金の上昇をもたらす一方、利潤の低下をもたらす要因になります。スミスは、利潤率の動向を正確に把握するのは困難だが、金利の変化をみればある程度まで感じをつかめる、といいます。利潤が大きければ資金の借り手が払える金利も高くなり、利潤が小さければ金利も低くなるからです。スミスは、豊かさに向けて急速に発展している国では、利潤率の低さによって賃金の高さを吸収することが可能だと指摘した上で、実際には高利潤率の方が高賃金よりも商品価格の上昇をもたらす力がはるかに強いのに、資本家は高賃金の悪影響を声高に主張し、利潤率上昇の悪影響については何も語らない、と批判しています。

 賃金および利潤の自然水準について以上のように論じたスミスは、物事の自然な成り行きに任せれば、すなわち、各人が自由に自分の職業を選べるならば、最終的にはどの職業においても賃金や利潤が均等化するはずだ、という前提のもと、実際にはそうなっていないのは何故か、という問題を考察していきます。

 まず指摘されるのは、業種そのものの性格の違いによる賃金や利潤の相違があるので、絶対に均一にはならない、ということです。賃金の差異の要因としては、@快適か不快か、A習得が困難か容易か、習得に要する費用が多いか少ないか、B仕事がいつもあるか不安定か、C信頼が大きいか小さいか、D成功を収められる可能性が大きいか小さいか、という5つが挙げられます。また、以上の5要因のうち、事業の快不快、事業の安全性の2つは、利潤の差異にも影響する、とされます。“自由競争の守護神”のようにいわれるアダム・スミスですが、自由競争が諸々の差異を解消していく作用を重視する一方、本質的に解消されようのない差異があることを具体的に検討していることは注目すべきでしょう。

 次に指摘されるのは、政策の歪みから生じる不均等です。ここで取り上げられる政策は3つ、@特定の業種で競争に加わるものの数を自然状態より少ない数に制限すること、A別の業種で競争に加わるものの数を自然の状態より増やすこと、B労働と資本の自由な移動を業種間と地域間の両方で妨げること、です。@の具体例として、同業組合や徒弟法による参入規制、Aの具体例として、聖職者の育成への多額の助成金が挙げられ、Bでは再び、同業組合や徒弟法による制限が取り上げられています。また、特にイングランドに特有な事情として、救貧法(貧民救済の義務を教会区に負わせる法)の存在が指摘されています。各教会区は貧民の流入をあの手この手で防ごうとして労働の自由な移動が妨げられてしまった、というのです。

 第三に、地代の自然水準の変動の問題です。スミスはまず、地代を地主による土地改良(原野の開拓、排水設備の整備など)投資の報酬だとする見方に対して、地主が改良していない土地(例えば有用な海草が自生する土地)についても地代を要求することを指摘し、地代は土地の独占によって生じるものにほかならないことを明らかにします。スミスは、地代は、その土地の生産物のうち、市場に供給するために必要な資本を回収し、通常の利潤を控除してなおかつ残った部分のことだ、といいます。賃金や利潤が価格の高低の原因になるのに対して、地代の高低は価格の高低の結果なのだ、というわけです。

 その上でスミスは、土地の生産物について、常に地代を生じる部分と、地代を生じる場合と生じない場合がある部分とに分けた上で、両者の比率が社会の発達段階に応じてどのように変化してきたかを考察しています。

 まず、常に地代を生じる部分についてです。これは、端的には食料のことです。食料への需要は多かれ少なかれ常にある(需要が常に供給を上回る)から、食料を生産すれば、資本の利潤を回収した上に地主が地代として確保できる部分が必ず残るだろう、というわけです。何を生産する場合でも、主食たる穀物の畑よりも地代が低ければ、すぐに穀物生産のために転用されてしまうので、主食となる食料を生産する耕地の地代によって、他の目的に使われる耕地の大部分の地代が決まることになります。

 続いて、土地の生産物のうち、地代を生じる場合と生じない場合がある部分についてです。これは、食料以外の生産物(衣、住の材料)のことであり、地代を払える価格になるほど需要があるかどうかが問題になります。特に重要なのは、石炭、金属です。石炭は、炭鉱の立地に制約されますが、金属は輸送が容易なため、操業中の鉱山のうち世界で最も豊かな鉱山での価格に左右されます。このため、大部分の鉱山では、操業の経費を賄うのがやっとであり、地主に高い地代を支払えることはめったにありません。

 両者の比率については、まず、一般的な傾向として、土地の改良と耕作が進んで食料(必ず地代を生じる部分)が豊富になると、衣服や住宅の材料、化石燃料や鉱物、貴金属や宝石(地代を生じる場合と生じない場合がある部分)に対する需要が増加し、それらの価格が上昇していくことが指摘されます。これらを流通させるため、銀の需要が増えますが、需要の増加に見合って供給が増えなければ、穀物価格に対する銀価格の比率が上昇(穀物の平均貨幣価格が下落)していくことになります。逆に、銀の供給の増加が需要の増加を上まわっていれば、銀価格は次第に低下(穀物の平均貨幣価格が上昇)していくでしょう。銀の供給が需要とほぼ同率で増加していれば、一定の銀で購入できる穀物の量はほぼ変わらない(穀物の平均貨幣価格は横ばい)はずです。この観点から、スミスは「過去400年の銀の価値の変動に関する余論」として、豊富な歴史的資料を踏まえた考察を展開しています。

 以上のように地代について論じた上でスミスは、結論的に、国民の収入(一国の富)が、結局は、賃金、利潤、地代の3つの部分に分かれることを改めて確認した上で、労働者の利害、資本家の利害、地主の利害が社会全体の利害とどう関係するかを考察しています。いうまでもなく、賃金の上昇が労働者の利益、利潤の上昇が資本家の利益、地代の上昇が地主の利益です。社会の発展、換言すれば、分業の発展による社会全体の富の増大と一致して増えていくのは、スミスによれば、賃金と地代です。賃金は、社会が発展しつつあるとき(生産が増大しつつあるとき)、最も高くなります。一方の地代は、土地が改良されれば増えますし、工業製品が安くなっても相対的に増えます。これに対して、利潤は、豊かな国(資本が過剰な国)では低く、貧しい国(資本が過小な国)では高く、急速に衰退している国(資本が急速に減少しつつある国)では特に高くなるので、資本家階級の利害は社会全体の利害と食い違う、といいます。このように説いた上でスミスは、資本家階級が商業に対する新しい法律や規則を提案した場合には、必ず十分に注意すべきだ、なぜなら「こうした提案は、その利害が社会全体の利害と決して正確には一致しない人々、しかも一般に社会全体をあざむき、抑圧することを利益にしており、これまで多くの場合に社会をあざむき抑圧もしてきたような階級から出てくるものだから」、とまでいうのです。

 地主の利害が社会全体の利害と一致する、という主張については、マルクスが『経済学・哲学草稿』で「馬鹿げたこと」として厳しく批判しています(マルクスは借地農と地主の対立関係を指摘しつつ、地主は結局のところ、社会全体の富を収奪するのだ、と論じます)が、ここでのスミスの主張の力点は、資本家階級への批判にあります。自由競争の主唱者として資本主義の守護神のような扱いをされることもあるスミスですが、彼自身は労働者階級に同情的で高賃金の効用を力説していたのであり、資本家階級に対しては極めて辛辣な視線を投げかけていたわけです。
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 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言