2016年11月12日

アダム・スミス『国富論』を読む(3/13)

(3)分業による生産力の発展について

 本稿は、“経済学の祖”と呼ばれるアダム・スミスの主著『国富論』を、彼の哲学体系の全体像を念頭に置きながら、概観していこうとするものです。

 今回は、「第1篇 労働の生産力における改善の要因と、生産物が各階級に分配されていく際の自然な秩序について」の前半部分、すなわち、労働の生産力における改善の要因について論じられている部分をみていくことにしましょう。

 スミスが労働の生産力改善の要因としてあげているものは、ズバリ、分業(division of labor)です。『国富論』の冒頭に出てくるピン工場のエピソードは非常に有名なものですので、聞いたことのある読者も多いことでしょう。スミスは、ピン(裁縫用待ち針)の製造は、1人目が針金を伸ばし、2人目が真っ直ぐにし、3人目が切り、4人目が先を尖らせ……等々、18ほどの作業に分かれていることを指摘しつつ、自分が見たことのある小さな製造所では、10人が働き、1人がときに2、3の作業をこなしていたものの、1日に4万8000本(1人当たり4,800本)以上も製造できていたことを報告しています。そして、もし10人がそれぞれ1人で働くとしたら、そしてピン製造の技能を身に着けていないとしたら、1日におそらく1本も作ることができないだろう、と述べるのです。スミスは、このような印象的なエピソードを交えながら、労働を細かく分割することこそ生産力発展の要因であり、政府によるまともな統治が行われている社会で国民の最下層まで豊かさが行き渡るようになるのは分業のおかげなのだ、と力説します(*)。

 それでは、このように大きな利益をもたらす分業は、どのようにして進められてきたのでしょうか。それは、決して計画的なものではなく、モノを交換し合うという人間の性質(交換性向)の必然的な結果であった、というのがスミスの答えです。スミスは、人間の生活のあり方と動物の生活のあり方(動物は交換ということを行わない!)とを比較しながら、人間の交換性向が、理性と言語という人間の能力と関係があることを示唆しています(**)。交換性向という把握の妥当性はさておいて、分業ということを人間の本質的なあり方というレベルにまで掘り下げて基礎付けようとするスミスのアタマの働かせ方、しかも、その際にきちんと動物との比較を行ってみるというアタマの働かせ方は、非常に見事なものだといえるでしょう。また、ここで注目されるのは、スミスが、人間の能力や性質の差異は生まれつきのものではなく、分業の結果として、習慣や教育の違いから生じるものである(能力差は分業の原因ではなく結果である)、という考察を行っていることです。こうした考察からも、スミスの人間観の堅実さを確認することができるでしょう。

 スミスは続いて、分業がどの程度まで発展するかは市場の大きさに規定されることを論じます。特定の商品の生産に特化して生産性を上げたとしても、市場が小さければ、すなわち、商品を買ってくれる人が少なければ、食べていけるだけの儲けを確保することはできないでしょう。分業が発展するためには、市場が大きくなければならないわけです。市場の拡大には、交通関係の発展が大きな役割を果たします。スミスは、水上輸送を利用すれば、それだけ大きな市場を確保できるようになるので、大河川や地中海の沿岸で最初に文明が発展することになったのだ、という考察も行っています。

 さて、分業が確立すると、各人は自分の生産物を他者と交換することによって、自分が必要とするモノを入手するようになります。しかし、ある生産物を手放そうとする人が必要とするモノを、その生産物を手に入れたいと思う人がたまたま持っていなければ、交換は成立しません。こうした事態を避けるために、賢明な人々は、自分で生産したモノ以外に、誰もが自身の生産物と交換するのを断らないであろう商品をある程度持っておく方法をとったのだ、とスミスはいいます。この目的のために最終的に選ばれたのは金属でした。金属ほど腐りにくいものはありませんし、分割することも溶解して再びまとめることも容易ですから、交換したい商品の量に合わせて分量を適当に調整することもできます。当初、交換手段としての金属は地金(塊)の形で使われていましたが、重さを測ったり純度を調べたりすることが厄介であったために、やがて、金属の決まった重さのものに公的な刻印が押されるようになりました。これが硬貨の起源です。硬貨の名称は当初、それに含まれる金属の重さを示していたのですが、国王の貪欲のために、質の悪い硬貨が造られるようになっていきます。例えば、1ポンドより軽い金しか含まれていない「1ポンド」金貨を鋳造すれば、本来のものより少ない量の金で、外見上、債務を返済してしまうことが可能になるのです。スミスは、こうした貨幣の改鋳は、債務者に有利で債権者に不利となる詐欺的行為だとして厳しく批判しています。

 このように、商品交換の便宜のために貨幣が成立したことを確認したスミスは、続いて、商品が売買され交換されるときに、自然に守られる法則がどのようなものであるか検討していきます。そのための前提として、使用価値と交換価値という基本的な概念が確認されています。あるモノがどこまで役立つかを意味するのが使用価値であり、他のモノをどれだけ買えるかを意味するのが交換価値です。スミスは、使用価値がとても高いのに交換価値はほとんどないモノもあれば、交換価値がとても高いのに使用価値はほとんどないモノもある、として、前者の例として水を、後者の例としてダイヤモンドをあげています(これは「水とダイヤモンドの逆説」としてよく知られています)。

 スミスは、商品の交換価値を決める要因を探るために、いくつかの点を検討しています。第一に検討されるのは、交換価値の真の尺度は何か、そして、商品の真の価格とは何なのか、という問題です。スミスは、自分がもっている商品の価値はそれでもって支配(購入)できる労働の量に等しい、といいます(このような考え方は、経済学史上、「支配労働価値説」と呼ばれています)。自分がもっているある商品と交換することで別の商品を入手するということは、その別の商品を自分で生産する手間・労苦を省いて、他人に負担してもらうことにほかならない、というわけです。したがって、労働こそが全ての商品の交換価値を測る真の尺度となるはずなのですが、商品の交換価値は、それによって支配できる労働の量より、それと交換できる他の商品の量によって考える方が理解しやすいですし、さらに他の商品の量によるよりも貨幣によるほうが理解しやすいですから、結局、貨幣によって商品交換が媒介されるようになります。とはいえ、貨幣材料となる金や銀の価値も変動しますし、貨幣そのものの価値も摩滅や改鋳によって変動しますから、真の尺度となるのはやはり労働しかありえません。スミスは、労働で測られる真の価格と、貨幣で測られる名目価格との関係を歴史的な資料を踏まえつつ考察していますが、そのなかでは、真の価格を近似的に知るためには、穀物価格の中長期的な平均に着目した方がよい、とも指摘しています(よく知られている商品の価格のなかでは、労働の価格との正確な比例に最も近いためです)。

 スミスが交換価値を決定する要因として第二に検討するのは、真の価格を構成する要素は何なのか、という問題です。社会の未開段階、つまり、資本が蓄積され土地が占有される以前は、各種のモノを獲得するのに必要な労働の量の比率が、モノとモノを交換する際の唯一の規準であった、といいます。例えば、狩猟民族で、ビーバーを仕留めるために通常、鹿を仕留める際の2倍の労働が必要だとすると、ビーバー1頭は鹿2頭と交換され、鹿2頭の価値があるとされるのが当然だった、というわけです。ところが、資本が蓄積され、勤勉な人々を雇って生産したモノを売って利益を得ようとする人が出てくると、労働者が原材料に付加した価値は、労働者の賃金のみならず、資本を事業に投じてリスクをとった事業主の利益にあてられるようになります。さらに、土地が私有されるようになると、地主は自然の産物に対しても地代を要求するようになります。こうして、発達した社会においては、商品の価格(交換価値)は、労働の賃金、資本の利潤、土地の地代という3つの部分で構成されるようになったのだ、とスミスは説明しています。個別の商品の価格(交換価値)が、この3つの部分からなる以上、ある国で1年間の労働によって生産される商品の価格も、全体としてみた場合、同じ3つの部分からなり、その国の住民の間に労働の賃金、資本の利潤、土地の地代のいずれかとして分配されることになるはずです。要するに、賃金、利潤、地代の3つが全ての収入の源泉であり、全ての交換価値の源泉であるということになるのです。

 スミスが交換価値を決定する要因として第三に検討するのは、価格の各要素の一部または全部を自然で通常の水準より上昇させたり下落させたりする状況はどのようなものか、という問題です。スミスは、賃金、利潤、地代には業種ごとに相場となっている平均的な水準、すなわち自然水準がある、と指摘した上で、ある商品を生産し市場に運ぶのに使われた土地の地代、労働の賃金、資本の利潤をそれぞれの自然水準にしたがって過不足なく払える価格を、その商品の自然価格と呼びます。これに対して、ある商品が実際に売買される一般的な価格を市場価格と呼びます。個々の商品の市場価格は、実際に市場に供給される量と、その商品の自然価格(地代+賃金+利潤)を支払う意志のある人の需要(これがスミスのいわゆる「有効需要」です)との比率によって決まります。供給が需要に満たなければ市場価格は自然価格を上回り、供給が需要と等しければ市場価格は自然価格と等しくなり、供給が需要を上回れば市場価格は自然価格を下回ります。生産者は、市場価格が自然価格より高ければ供給を増やそうとしますし、逆に、市場価格が自然価格より低ければ供給を減らそうとします。こうして、市場価格は絶えず自然価格に引き寄せられるのであり、ある商品を市場に供給するために年間投じられる労働量は、市場への供給量がつねに有効需要を過不足なく満たせるものになるように、自然に調整されているのだ、とスミスは説明しています。

(*)スミスは、文明が発達した豊かな国で、ごく普通の職人や労働者が日常使っているものを見てみれば、それらの生産にごく一部でも関与した人の数が見当もつかないほど多いことが分かる、と述べています。例えば、労働者の着ている毛織物の上着は、羊飼い、羊毛の選別工、梳き工、染色工、あら梳き工、紡績工、織工、仕上げ工、仕立て工など、多数の職人が働いた結果ですが、それだけでなく、染色工が使う薬剤を世界各地から運んでくるための商業と海運、さらには造船や船の運航、帆の生産、ロープの生産のために働いている人も考えなければなりません。さらに、船や水車や織機のような複雑な機器はいうまでもなく、羊飼いが使う鋏のようなごく単純な道具を生産するだけでも、鉱夫、鉄鉱石を溶かす炉の建設工、木材を売る樵、製鉄に使う木炭の炭焼き、煉瓦製造工、煉瓦積み工、製鉄工、機械工、鍛造工、鍛冶工が働かなければならないのです。これと同じように、衣服や家財道具を調べていけば、何千人、何万人もの人の助力、協力がない限り、文明国ではごく下層の庶民の一般的な生活すら維持できないことが分かる、とスミスはいうのです。

(**)『国富論』の原型というべき内容を含んだ『法学講義』(受講生のノート)において、スミスは、交換性向ということで究明をストップさせず、さらにその基礎を探って、人間本性のなかで支配的な説得の本能(他者に自分の考えや気持ちを理解し納得してもらいたい!)というところまで到達しています。ここには、人間が他者との精神的交通によってつくられていく存在であることの、スミスなりの把握があるといえます。
posted by kyoto.dialectic at 07:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言