2016年09月26日

2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮(1/10)

目次

(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント
(2)ヘーゲル『哲学史』バークリー 要約
(3)ヘーゲル『哲学史』ヒューム、スコットランド哲学 要約
(4)ヘーゲル『哲学史』フランス哲学 要約
(5)ヘーゲル『哲学史』フランス哲学(続)、ドイツの啓蒙思潮 要約
(6)改めての要約と論点の提示
(7)論点1:バークリーやヒュームの哲学とはどのようなものか
(8)論点2:スコットランド哲学とはどのようなものか
(9)論点3:フランス哲学とはどのようなものか
(10)参加者の感想の紹介

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(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント

 我々京都弁証法認識論研究会は、3年前のヘーゲル『歴史哲学』、一昨年のシュヴェーグラー『西洋哲学史』の学びを踏まえて、昨年からいよいよヘーゲル『哲学史』に挑戦してきています。今年末までかけてこの著作を通読することで、ヘーゲルの説く哲学史を理解することはもちろんのこと、それを唯物論的に捉え返すことで唯物論哲学の創出に向けた第一歩を確実に歩んでいくことを課題としているわけです。

 9月例会では、ヘーゲル『哲学史』バークリーからドイツの啓蒙思潮までを扱いました。今回の例会報告では、まず例会で報告されたレジュメを紹介したあと、扱った範囲の要約を4回に分けて掲載し、ついで、参加者から提起された論点について、どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に、この例会を受けての参加者の感想を紹介します。

 今回はまず、報告担当者から提示されたレジュメ、およびそのレジュメに対してなされた他メンバーからのコメントを紹介することにしましょう。

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京都弁証法認識論研究会 2016年9月例会
ヘーゲル『哲学史』
第3部 近代哲学 第2節 思惟する悟性の時期 第2章 過渡期

A 観念論と懐疑論
 思惟は自己を自己自身の運動において捉えることで自己意識となるが、その最初の形式たる個別的自己意識こそが懐疑論である、とヘーゲルはいう。思惟の自己運動とは、根源的存在たる絶対精神が世界の諸々の具体的なものをみずから生み出していく過程であるが、これを自覚する(世界=自己という関係を捉える)最初の形式が懐疑論だ、というわけである。これは、個人のアタマのなかにこそ世界がある(個別的自己意識が直接に世界そのものである)と主張する形で、自己=世界の関係を実現しようとしたのが懐疑論だ、ということであろう。
 ヘーゲルは、バークリーについて、全ての対象は人間の個別的意識が描くイメージでしかないという観念論だ、とした上で、ヒュームはそれを別の言い回しにかえたのだ、とする。ヘーゲルは、彼らの哲学について、自己意識が世界の全てを自己のものにしようとしたという点に大きな前進を認めつつ、それが感覚的レベルにとどまり、普遍的なるものとか観念とか概念とかを扱えなくなってしまった点に大きな限界を見ているといえよう。

【報告者コメント】
 ヘーゲルの描く哲学史の大きな流れ、すなわち、絶対精神が自己自身の何たるかを自覚するに至る過程のなかで、近代の懐疑論がどのように位置づけられるのか問うていく必要があるだろう。簡単にいえば、世界=自己という自覚、換言すれば、現実の世界と観念の世界とをピッタリと重なり合わせることこそが、ヘーゲルの考える哲学の完成である。この図式を踏まえていえば、近代の懐疑論は、現実の世界を強引に観念の世界のなかに溶かし込んでしまうことで、世界=自己という関係を成立させようとしたのだ、といえるのではないか。
 唯物論の立場からは、バークリーやヒュームの論について、我々が眺めているのは現実世界そのものではなく、アタマのなかに描かれた現実世界の映像にほかならないことを指摘したものとして、高く評価できるだろう。また、彼らが自分の認識を客観的に見つめる視点を確立したこと、換言すれば、感性的につかむことができない心のありさまを現象として観察する視点をもったことは、認識論の発展という観点から特筆されるべき業績である。同時に、現実世界が我々の認識から独立して存在していることを認められなくなったために、感覚レベルの像と論理レベルの像を合理的に区別する規準が立てられなくなってしまったことは、決定的な限界として確認しておかなければならない。

B スコットランド哲学
 ヘーゲルは、スコットランドの哲学について、必然性や普遍性の認識を完全に解消して宗教や道徳は単なる習慣にすぎないと片付けてしまったヒュームに反対し、宗教や道徳について内的に独立した源泉を主張しようとしたものだ、と述べている。こうした問題意識がカントと共通していると指摘される一方、カントが宗教や道徳における真理を思惟とか理性とかによって根拠付けようとしたのに対して、スコットランド哲学は、世間一般に通用している宗教上、道徳上の真理(とされているもの)をそのままの形で肯定し、直接に共通感覚(良識、常識)なる人間の認識能力に結び付けてしまったことが指摘されている。
 ヘーゲルは、こうしたスコットランド哲学について、通俗哲学にすぎないと批判的に評する一方、健全な悟性という原理そのものは妥当なものであることを指摘し、人間や人間の意識のなかに価値判断の源泉を探し求め、価値を人間に内在化させようとしたという点については、大きな長所として認めている。

【報告者コメント】
 ヘーゲルは、スコットランド哲学について、思弁的な深みのない通俗哲学であるとして、それほど高い評価を与えていないのだが、彼らが確固とした価値を人間に内在化させようとしたことについて、大きな長所として認めていることを見逃してはならないだろう。「人間は精神であるから、最高者にふさわしく自分自身を尊敬してよいし、また尊敬すべきである」(「就任演説」)というヘーゲルの信念に通ずるものが、ヒューム懐疑論への反論――文字通り常識レベルの反論であるが――という形で提示されているわけである。
 唯物論の立場からすれば、スコットランド哲学(いわゆるスコットランド常識学派)は、我々が視覚という感覚で色や形を捉え、聴覚という感覚で音を捉えるように、共通感覚(道徳感覚)で善悪を捉えるのだ、というような非常に素朴(安直)な発想で、宗教的・道徳的な原理の確実性を担保しようとしていたのだといえよう。感覚器官を通じた外界の反映を原基形態とする認識の発展過程のなかで、宗教的・道徳的な原理がどのように成立してくるか、という困難な課題に立ち向かうことを最初から避けてしまった、といわなければならない。
 なお、アダム・スミス『道徳感情論』は、道徳感覚という発想を批判し、想像力に着目して道徳感情の形成過程を追究した点で、いわゆるスコットランド常識学派とは大きく異なることを確認しておきたい。

C フランス哲学
 ヘーゲルは、フランス哲学について、およそ存在するものは自己意識においてなければならない、換言すれば、自己意識が納得できるものでなければ真理ではありえない、という確信に基づいて、既存の諸々の権威や観念をことごとく否定していったものだ、と述べている。
 ヘーゲルは、フランス人による宗教攻撃や国家攻撃が非難されていることに対して、フランス旧体制の社会状態のひどさ、貧困や悲惨さを指摘しつつ、彼らが旧体制に対抗して主張したのは、思惟する人間を愚民扱いしてはならないということにほかならないとして、その正当性を指摘している。人間は、自身の精神に内在する確固たる羅針盤を見出そうとする絶対的な衝動をもつ、とヘーゲルはいう。思惟と自己との統一が自由であり、自由意志こそ人間の概念であるが、ルソーにおいて自由の原理が高く掲げられ、自己自身を無限者としてみる人間にこの無限の強さが与えられたのだ、とヘーゲルは説くのである。

【報告者コメント】
 既存の権威や観念をことごとく否定していったフランス哲学のあり方について、ヘーゲルは、人間が自身の精神に内在する確固たる羅針盤を見出していく過程にほかならないとして、肯定的に捉えているところが決定的に重要であろう。「人間は精神であるから、最高者にふさわしく自分自身を尊敬してよいし、また尊敬すべきである」(「就任演説」)というヘーゲルの信念に通ずるものが、旧体制との激烈な闘争という過程を通じて、強烈な形で(粗削りな形で)押し出されてくるのである。ヘーゲルは、フランス人による旧体制攻撃を、思惟する人間を愚民扱いしてはならない(門外漢としてはならない)、という要求としてまとめているが、これは、個々の国民が主権者として国家意志の決定に主体的に関わるべき、という主張にほかならず、現代にも通じる決定的な意義をもっているといえよう。
 世界歴史の流れを自由の実現過程として捉えるヘーゲルにとって、フランス哲学における自由の原理の登場は決定的な画期であり、哲学の完成までもう一歩のところまで到達したものであることを、しっかりと押さえておきたい。

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 以上の報告に対して、まず、「A 観念論と懐疑論」の「報告者コメント」が特に非常に分かりやすかったという意見が出されました。ヘーゲルの描く哲学史の流れを踏まえて、近代の懐疑論が「現実の世界を強引に観念の世界のなかに溶かし込んでしまうことで、世界=自己という関係を成立させようとした」ものだということが述べられているが、この論理展開は見事だということでした。また、「B スコットランド哲学」の部分で「価値を人間に内在化させようとした」とある部分について、これは価値判断の基準を人間に置こうとしたということかという質問があり、これに対して報告者はその通りだと答えました。質問者は今回の範囲は非常に読みづらかったと述べましたが、チューターは、「価値を人間に内在化させようとした」といった重要なキーワードを中心に読んでいくことで、ヘーゲルが説きたかった中身の大枠を押さえていく必要があると述べ、論点の検討に移っていきました。
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 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
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 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
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 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
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 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
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 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
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 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
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 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
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 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
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 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
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 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
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 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて