2016年09月20日

ルソーの教育論の歴史的意義を問う(8/13)

(8)発問の重要性を指摘した

 前回は消極教育という教育方法が知育においてどのように見られるかという点について明らかにしました。端的には、子どもに真理を教えるのではなくて、学習の必要性を感じさせて、子ども自身に「学びたい」という気持ちをもたせることが必要なのだということでした。また、このような方法によってこそ、学問の価値を評価することができ、真理を愛する人間として育っていくのだということでした。

 この「学びたい」という気持ちを起こさせる方法として、ルソーはもう1つ挙げているものがあります。今回はこの点について見ていきましょう。

 まずは『エミール』に書かれている1つのエピソードを紹介します。ある晴れた日の夕方、ルソーとエミールが地平線に太陽の沈んでいく様子が見えるようなところへ散歩に行って、太陽が沈む地点を示してくれるものを見ておきました。翌日、2人で新鮮な空気を吸うために太陽が昇る前に同じところに行きます。すでに朝焼けはひろがり、東の方は真っ赤に燃えて見えています。そのときに、ルソーは次のように話します。

「わたしは、きのうの夕方、太陽があすこに沈んだこと、そしてけさはあすこに昇ったことを考えている。どうしてそういうことが起こるのだろう。」(『エミール(上)』p.292)

 この一言だけ話をして、ルソーは何も言わないのです。エミールが何か質問してきても、それに対して答えず、別の話をしてしまいます。こうしておけば、エミールは自分でこの問題について考えるだろうと言うのです。

「適当なときにものをかれに見せるだけにしておくがいい。そして、かれの好奇心が十分それにとらえられていることがわかったとき、なにか簡単な質問をして、それによって問題を解決する道を示してやるようにするがいい。」(『エミール(上)』p.292)

「子どもが注意ぶかくなるようにするためには、そして、なにか感覚的な真理がはっきりとわかるようにするには、かれがそれを発見するまでのいく日かのあいだ、それがかれを不安にしておくことがどうしても必要だ。そうしても十分にわからなければ、それをもっとはっきりさせてやる方法がある。その方法とは問題をひっくりかえすことだ。太陽は沈んでからどういうふうにして昇ることになるのか、かれはそれを知らないとしても、少なくとも、昇ってからどういうふうにして沈むことになるのかは知っている。それは見ていればわかることだ。だからはじめの問題をあとの問題によって説明すればいい。あなたがたの生徒が完全な白痴でなければ、類似はあまりにもはっきりしてるから、それがわからないはずはない。これが宇宙誌の最初の授業となる。」(『エミール(上)p.293)

 つまり、対象をしっかりと見つめて、そこから真理を引き出してくるためには、それがなかなかできないという過程、それこそ不安で考えずにいられないというような過程を辿る必要があるということです。もっとも、どうしても考えを進めることができなければ、そこは教師側からヒントを出して、考える足場を与える必要があるということです。このような過程を辿らせる出発点として、質問を投げかけることが必要なのだということです。

 このような行為は現在では「発問」と呼ばれています。例えば、理科の学習で言えば、「月は動くか」「月はどのような形をしているか」などと問うて子どもたちの意見を出させた後、実際に観察しに行ったりします。社会科なら「捨てたごみはどこに行ってしまうのだろうか」「水道の水はどこから来るのだろう」などの発問から学習を進めていったりしますし、国語でも登場人物の変化を問うこともあります。いかに優れた発問をするかが授業の質を決めるとも考えられており、それほどまでに発問というものは重視されています。

 そもそも人間の認識は問いかけ的反映です。つまり対象を機械的に反映しているわけではなくて、あくまでもこちらが問いかけるからこそ反映してくるものなのです。例えば、今、周りにある青色のものを探してみてください。すると、「あ、これも青色だ」「ここにもある」などと感じるのではないかと思います。その景色は見ているはずなのです。しかし、問いかけをもたなければ反映してきません。「青色のもの」という問いかけをもって眺めるからこそ、青色のものがしっかりと反映してくるのです。

 例えば「月は動くか」と発問すると、「動かない」と主張する子もたくさん出てきます。月のことを意識的には見ていないからです。しかし、クラスには「動く」と主張する子も出てくるので、「え、どっちなのだろう」という問題が生まれ、これまでの体験・経験を総動員してアタマを働かせることとなるのです。

 このように対象への注意を払わせる上で、発問は非常に大きな役割を担っているのであり、ルソーはその点を指摘したのだということができるでしょう。

 ここまで見てくると、前回紹介した「学習の必要性を感じさせること」ということも含めて、ルソーは子ども自らがアタマを働かせて学んでいくというあり方を重視していることがわかります。これにはルソーの人間観が大きく関わっていると言えるでしょう。ルソーは次のように述べています。

「自分で学ばなければならないかれは、他人の理性ではなく、自分の理性をもちいることになる。意見にたよらないようにするには、権威にたよってはならないのだ。」(『エミール(上)』p.374)

 つまり、人間は自らの理性をもちいて判断すること、つまり主体的な人間こそが望ましいのであり、他人の理性・権威にたよっていてはいけないのだということです。学習においても、教師の教えたことを覚えるだけでは、結局、教師の権威に従っているのであり、主体的な人間としては育たないのだということになるでしょう。(6)では体験・経験をとおして学ぶことをルソーが指摘していることを紹介しましたが、これも結局、他人から言われたから従うというのではなくて、自らの体験・経験に基づいて判断できるようにすることが重要なのだと指摘したものとも言えます。

 つまり、主体的な人間こそが理想的なあり方だという考えがルソーには存在しており、その人間観が教育方法論にも反映されていたのだということができるでしょう。
posted by kyoto.dialectic at 10:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言