2016年09月01日

2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部(10/10)

(10)参加者の感想の紹介

 前回までは3回にわたって,論点に関してどのような討論がなされ,どのような(一応の)結論が導き出されたのかについて報告してきました。

 さて,本例会報告の最終回である今回は,参加者のメンバーそれぞれの感想を掲載したいと思います。

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 今回の例会では、ヘーゲル『哲学史』のうち、ロックとライプニッツの哲学を中心に扱った。ヘーゲルが、ロックとライプニッツに加え、前回扱ったデカルトやスピノザも含めて、「形而上学の時代」としていることについて、これがどういうことなのかをはっきりさせるつもりで例会に臨んだ。

 例会を通じて、「形而上学の時代」というものが、感覚的に把握できる個別の存在を超えた真実在のあり方を求めて試行錯誤した時代であったという中身がよく分かった。デカルトやスピノザについては、「実体」とは何かを追い求めて、「思惟と延長」や「神」といった概念に突き当たったわけであるが、通常、形而上学とは対極にあるかに思われるロックの経験論においても、個別的存在から一般観念を導き出そうとしていたという点で、「形而上学の時代」として大きく括って把握できるのだというヘーゲルの論理展開に納得できたのであった。前回、デカルトに関してヘーゲルが、新プラトン派以降、哲学らしい哲学が復活したという旨のことを述べていたが、この理由についても、「真実在」の追及という点で、「形而上学の時代」と「古代ギリシャ哲学」及びそれを継承した新プラトン派のつながりが理解でき、納得できたのであった。

 例会ではもう1つ、非常に重要なことを学んだと思う。それは、ロックが「事物と表象」の一致こそが真理であると説いていたことに関して、私がこれを「対象と認識」の一致と言い換えたことに関係する。すなわち、この例会報告の中でも述べていた通り、「事物と表象」といった場合には、それらは個別の感性的なあり方とその反映というレベルに過ぎないのに対して、「対象と認識」といった場合には、それらは「事物と表象」という個別的感覚的な内容も含みながらも、ヨリ一般的な、抽象的な内容をも含む概念である、ということである。こうした言語に含まれる中身のレベルの違いという問題は、私の専門とする言語学の範疇にあるにもかかわらず、何となく自分たちがよく使う言葉で言い換えて済ましてしまった、つまり言葉の内容を問うことなく言葉だけで考えてしまっていた、という意味で、深い反省が必要な事柄であった。

 次回は私がチューターの役割に当たっている。該当範囲を読み込んで、どんな論点にも的確に解答できる準備をしつつ、当日の例会の流れが深まっていけるよう、しっかりと討論中の言葉から相手の認識を正確に読み取っていくべく努力していきたいと思う。

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 今回、討論を通して学んだことは大きく三つである。まず、ロックの真理観のどこがまずいのかが明確になった。テキストを読んでいる段階では、ヘーゲルのロック批判は、そのまま三浦つとむさんの批判になっているように感じていた。すなわち、ヘーゲルは、対象=認識という真理観を批判していると読んでいたのである。しかし、例会当日の議論の中で、ヘーゲルが批判しているのはもっと狭い意味のことであり、事物と表象との一致ということと対象と認識との一致(あるいは存在と思惟の一致)ということとは、レベルが違うのだということが明らかになった。前者は、単に個別の事物とその表象が一致しているかどうかという部分的なものであり、後者は、そのような個別の内容も含みつつも、世界全体の体系性と学問的な体系性の一致ということまでも含意している、ということが分かってきたのである。ヘーゲルが批判しているのは前者であって、三浦さんの真理観は後者に近いということが了解できた。

 次に、ライプニッツの意義についてである。多少強引にでも、「生命の歴史」に重ねてみることによって、魚類段階が水中での生命の完成形態であるように、ライプニッツの哲学も何らかの意味で完成形態であるといえるのではないかという着想を得て、ひょっとしたらヘーゲルが批判する意味での「形而上学」の完成形態なのではないか、カントから新しい発展が始まるのではないかと、思い至った。これが正しいか否かは別にして、「生命の歴史」は発展の一般性を孕んでいるのであるから、また、哲学の歴史は「生命の歴史」の少しだけ形が変わったものにすぎないはずであるから、「生命の歴史」から哲学の歴史を眺めていく必要があり、そしてこそ、哲学の歴史の発展の構造が見えてくるのではないかということを改めて考えさせられた。

 最後に、唯物論的に哲学を考察する際には、二つの観点があることが明確になった点である。一つは、社会状況を踏まえて、その反映として哲学が成立する必然性を説くことである。もう一つは、あるべき唯物論哲学から、その意義と限界を評価することである。これまでの議論で、こういったことが明確になってきたのも非常によかったと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・

 8月例会への取り組みを通じて、ヘーゲルのいわゆる形而上学の時代(デカルト、スピノザ、ロック、ライプニッツら)の大きな流れを確認することができたと思う。
 やはり大事なのは、ヘーゲルの考える哲学の完成形態を念頭において、哲学史のそれぞれの時代を位置づけていくという姿勢であろう。南郷継正が伝える吉本隆明の言によれば、「ヘーゲルは、学問の世界と実体の世界とを二つ描いて、両方の図式の対がいわば重なり合うレベルで一致した時に、本当の学問の成立であるとした」(『学城』第12号、p.205)。これは、換言すれば、思惟=存在ということにほかならない。形而上学の時代というのは、思惟と存在との対立を前にして、(あくまでも思惟の側から出発しながら)両者を如何にして統一させうるか、が大きな問題として浮上してきた時代なのであった。デカルトは「我思う、故に我あり」として思惟=存在(思惟と存在との直接の統一)を主張したにとどまり、スピノザの神(思惟=存在)も何らの運動性ももたない硬直した存在でしかなかった。彼らは諸々の感覚的な存在について、真理性(思惟=存在)を主張できなかったのである。これに対して、ロックは、あくまでも感覚的存在、個としての認識にこだわった結果、真理(思惟=存在)を感覚的反映レベル(事物=表象)に限定してしまった。さらに、ライプニッツは、世界全体について思惟=存在ということを主張できるようにしようとして、思惟=存在という性格を把持した無数の単子で全宇宙を充たしてみたのであった(しかし、単子間の調和を説明するために、結局、弁神論という詭弁に逃げ込まざるを得なくなった)。

 8月例会での議論を通じては、ロックにおける事物=表象という把握と、本来あるべき(哲学レベルの)思惟=存在という把握との差異が明確になったのは大きな収穫であった。ロックの真理についての考え方は、三浦つとむが『弁証法はどういう科学か』で言及している素朴な模写説そのもの、ということである。また、ライプニッツの単子論について、スピノザの唯一の実体との関係において、表象レベルで明確に把握できたのも大きな収穫であった。すなわち、スピノザの唯一の実体(思惟=存在)というのは、一個の大きな塊として世界の奥底に沈んで動かないものであるから、それを粉々に打ち砕いて宇宙全体にバラまいて、宇宙全体を思惟=存在という性格で強引に充たそうとしたのが、ライプニッツの単子論である、ということである。

 このように考えてみることで、真理とはあくまでも思惟=存在なのであるが、これを如何なるレベルで主張することができるかが問題だったのだ、ということがよく分かってきた。学問体系という形ではじめて、思惟=存在を完璧に主張することができる、というのがヘーゲルの主張であったわけである。

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 今回の例会をとおして、この形而上学の時代というものに対する理解が深まったという感覚があるその中身は大きく2つに分けられる。

 1つは、ロックの真理観に関してである。ロックは事物と表象の一致こそが真理だと主張し、ヘーゲルはこれを批判したということであった。論点への見解を作成している段階で、その違いは何となくはわかっていたが、例会での議論をとおして、そこが明確になった。要するに、ロックの真理観とは、目の前の事物・事象をそのまま捉えたというレベルだということである。それに対してヘーゲルは、この全世界の歴史性や体系性をすべて把握したときに真理が現出すると主張しているのであり、そこには天と地ほどのスケールの違いがあると言えるだろう。ヘーゲルがロックを批判するのも当然だと言える。ただし、唯物論の立場からすれば、どちらも対象(外界)と認識の一致という点で共通しているのであり、その端緒を築いた存在としてのロックは大きく評価されるべきだと思った。

 もう1つは、この時代の哲学者の学説が、思惟と存在の統一という観点から整理されたことである。デカルトは「我思う、ゆえに我あり」という形で思惟と存在の統一を図ろうとし、スピノザは両者を統一する存在として唯一実体の神を設定した。しかし、結局、そこからどうやって全世界が現れてくるのかを説くことはできなかった。次にロックは思惟と存在との統一という課題を表象と事物との統一というレベルで主張したこと、最後にライプニッツはスピノザの掲げた神を砕いて全世界に散らばらせることにより、思惟と存在との統一を図ろうとしたものの、モナド間のつながりを説ききることができなかったのだ、ということを確認したが、ヘーゲルの哲学史からすれば、解決すべき根本的な問題が浮上した時代ということが言えるのだろうと思った。改めてヘーゲルが自らの哲学を完成形態として、そこに至る過程としてそれぞれの哲学者を整理しているのだということを感じた。ヘーゲルの哲学というゴールをしっかりと見定めた上で、それぞれの時代がどう位置づけられているのかをしっかり見ていかなければならないと思った。
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 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言