2016年09月02日

どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想(1/5)

目次

(1)科学的な実践を行うためにはどうすればよいか
(2)科学的とは性質を見抜いて行動すること
(3)本質論は実践の良し悪しをはかるものさし
(4)弁証法・認識論は人間理解には必須
(5)主体的に事実の意味を解き,一般化したものを使っていく

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(1)科学的な実践を行うためにはどうすればよいか

 子育て,看護,心理臨床など,人間が人間に対して働きかける実践に関しては,まだまだ確たる実践の指針がなく(ないように見え),試行錯誤の実践が続いているようである。そのような現状において,次のような新聞記事が目に止まった。

「子育て,本能と密接な関係(かがくアゴラ)

親子の間に生まれるきずなの謎を脳科学から解明したい

 世に子育て本は多いが,科学的な裏付けが不明なものがほとんどだ。理化学研究所の黒田公美チームリーダーは親子のきずなの謎に脳科学で迫ろうとする。
 ――子育てに脳がどのように関係しますか。
 哺乳類が誕生した約2億年前からある,本能にかかわる大切な部分が交尾,出産,子育てに関係しています。視床下部前方の内側視索前野(ないそくしさくぜんや)という数ミリメートル角の大きさの領域です。
 例えば,マウスを例に見ると,メスは若いうちからよその子どもも育てようとしますが,オスは交尾前には攻撃的です。子を攻撃する未交尾のオスの脳を調べると,情動に関わる扁桃体に属する分界条床核という部分の働きが活発でした。交尾後は内側視索前野の中央部がよく働き,攻撃性が減って子育てに目覚めます。この領域を人為的に活性化しても,同様の結果になりました。
 ――交尾前のオスが子を攻撃する理由は。
 おそらく,その子を産んだメスと自分が早く交尾できるようになるからでしょう。生物にとって最終目標は遺伝情報の複製です。自身がメスと交尾してできた子は攻撃せず優しく育てようとするのは,理にかなっています。子育てに関係した脳の働きは人間にも共通していると考えられます。
 ――実の子に対する虐待もあります。
 幼児虐待は母親よりも父親,実の父よりも養父から受ける確率が高いという調査があります。子の攻撃に関係した脳部位の働きが女性よりも男性で強く,養父は母と別の男性との間に生まれた子を攻撃しやすいのはマウスとよく似ています。
 人間の場合,自身の不幸な生い立ちのために精神面の問題を抱えているとか,子育て法がわからないといったケースも考えられます。でも,脳の神経回路の広がり方は変化し調整がきくので,改善は可能です。
 ――子の側も,かわいがられると脳の働きに変化が出ますか。
 生後6カ月以内の人間の赤ちゃんと母親12組に,30秒ごとに「だっこして座る」「だっこして歩く」を繰り返してもらう実験をしました。すると「座る」から「歩く」に移行して約3秒で心拍数や体の動きが急減し,泣いている時間の割合は10分の1に減りました。
 中脳または視床下部から出た司令が,自律神経系を通してこうした反応を起こしたのでしょう。危険が迫って自分を運んで助けようとする親に,子が積極的に協力する反応だと考えられます。親と子が相互に働きかけあうメカニズムが少しずつわかってきました。(編集委員 安藤淳)」
(2016/07/24 日本経済新聞 朝刊)


 ここでは,子育て本のほとんどが科学的な裏付けが不明なものであると説かれており,その科学的な裏付けを求めて脳科学から親子の絆の謎に迫ろうとする取り組みが紹介されている。マウスのオスは交尾前には子どもに対して攻撃的であり,情動に関わる扁桃体のある部分の働きが活発だったということである。交尾後は視床下部前方の内側視索前野がよく働き,攻撃性が減って子育てに目覚めるが,これは,ある程度まで人間にも当てはまるという。また,子どもの方も,中脳または視床下部から出た司令によって,危険が迫って自分を運んで助けようとする親に,積極的に協力する反応が生じるという。

 ここで説かれているように,脳の反応と結びつけて親子の絆や子育てを論じることが,果たして「科学的」な裏付けを得たということになるのであろうか。脳科学を学んだからといって,果たして「科学的」な子育てができるようになるのだろうか。端的に結論をいってしまうならば,答えは否である。ごく素朴に考えても,脳の中でどのようなことが起こっているかを学んだとしても,それだけで適切な子育てができるはずがない。また,マウスのような動物と人間を同列に並べて論じていては,人間の特殊性たる認識に眼が向かず,動物レベルの子育てで良しとしてしまいかねない。

 このように「科学」とか「科学的」が社会的認識としてしっかりと確立していない現状において,この問題を30年以上も前にしっかりと分かりやすく説いている書物がある。それは,薄井坦子『科学的な看護実践とは何か(上)』である。本稿は,本書の感想という形で,科学的な実践とはいかなるものか,それはどうすればできるようになるのかを考えていきたい。なぜ,科学的な実践を問うのに本書なのか。それにはいくつか理由が存在する。

 まず第一に,本書がタイトルにあるとおり,正面から「科学的な看護実践とは何か」というテーマを中心に説かれた書物であるからである。看護は,人間が人間に対して行う専門的な実践の一つであるが,看護師の中のさらなる専門職が助産師であることからも分かるとおり,子育てにも深く関わりがあるし共通性もあるといえる。また,精神疾患のある患者さんへの看護などは,心理臨床と隣り合わせの領域であるといえる。その意味で,人間が人間に対する支援を行う実践の典型例として,看護を取り上げることは妥当だといえよう。

 もう一つは,個人的な事情に関わる。それは,我々の師匠が先日,この薄井坦子『科学的な看護実践とは何か』を取りあげて,これを高く評価されていたことである。その際,科学的な抽象ということに関わる部分を取りあげて,薄井坦子おそるべしとの論を展開されたのであった。そこで我々としても,改めて本書に学び,しっかりと文化遺産として再措定する必要性に迫られたのであった。

 さらにもう一点,本書は南郷学派に関わる先生方の学問構築の格闘の原点的な著作だからである。本書の白鳳選書版が出版されたのは1988年であるが,もともとの書籍は1982年に出版されている。本書に収められている4つの講演は,それぞれ,1976年,1978年,1978年,1980年になされたものである。もちろん,かの『科学的看護論』の初版は1974年に出版されており,南郷継正先生の『武道の理論』も1972年には出版されている。しかし,これはあくまでも理論的な成果を問う著作であり,その成果に至るプロセスを論じた著作という意味では,この『科学的な看護実践とは何か』が原点といえるのではないか。2016年現在でこそ,南郷学派の先生方の学問構築に関する著作はそれこそたくさん出版されているものの,そして,最新刊に近くなればなるほど,その内容が高度になっていき,真の学問体系の構造やその構築プロセスが詳細に,非常に高い論理性で説かれているものの,やはり学問構築を目指す我々としては,初期の業績にしっかりと目を向け,原点から辿り返す必要があるのではないか。これが本書を取り上げた三番目の理由である。

 筆者の専門とする心理臨床の世界でも,科学とは何か,科学的とは何かが,きちんと把握されているとはいいがたい。心理臨床はサイエンスの部分とアートの部分があるなどともっともらしく言われているが,そもそもサイエンスとは何かがきちんと把握されていないので,先の文言も空虚なものとなっている。ゆえに,どのような介入が心理臨床として,専門的な介入といえるのか,果たしてその介入は,心理臨床的な介入といえるのかどうかについて,統一的な見解があるわけではない。フロイト派の介入と認知行動療法派の介入は全く異なっており,それぞれが相手の介入を全く認めないという状況になっている。これでは,専門職として,世間にこれが心理士であると訴えていくことすらできない。そういう意味では,臨床心理学というのは科学的な統一が待たれる分野である。

 心理臨床の科学化を当面の目標に据えている筆者にとっては,このような対人援助の実践の大先達,モデルとして,薄井坦子先生の原点的な著作を取り上げることは,非常に意義深いと考えている。どのようにすれば科学的な心理臨床実践ができるのか,ひいては,臨床心理学の学問的体系化のためにはどのような手続きを踏んでいく必要があるのか,という問題に対するヒントが得られるのではないかと期待しているところである。

 科学的な実践はどうすればできるようになるのかという問題を考えるにあたって,まずは,「科学的」とはいかなることであるのかをしっかりと確認しておきたい。特に,薄井先生が「科学的抽象」という点を強調されているので,この問題を中心に考察したい。次に,科学的抽象の果てに科学的学問体系を構築することになるのであるが,その構築プロセスをきちんと確認し,科学的学問体系に必須の本質論が実践において果たす役割についても取り上げたい。最後に,人間を相手に科学的な実践を行う際の前提となる弁証法・認識論の大事性について考えたい。特に本書では,認識論の基本が丁寧に説かれているので,その部分を中心に検討したいと思う。

 では最後に,本書の目次を掲げておきたい。



1.『科学的看護論』について

 (1) 看護の理論体系の土台となるもの
 (2) 『科学的看護論』の骨子

2.看護とは何か

 (1) 人間を科学的に見るとは,どういうことか
 (2) 看護であるもの,看護でないもの

3.看護の本質 ―いま看護に問われるもの―

 (1) 看護はなぜ経験を必要とするか
 (2) 看護における専門常識とは
 (3) ナイチンゲールから学んだこと
 (4) ナイチンゲールを育んだもの
 (5) ナイチンゲールを受け継ぐとは
 (6) 学びの姿勢について

4.看護の原点を問う

 (1) 「科学的」ということ
 (2) 経験が認識を形成する
 (3) 誰にも共通する頭脳の働き
 (4) 生活過程の中に相手の「考え方」を読む
 (5) 「生物体としてのあり方」と「生活体としてのあり方」
 (6) 対象をどのような観点からとらえるか
 (7) 相手の頭の中を想像する
 (8) 看護の本質 ―看護の役割―

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 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2