2016年08月23日

2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部(1/10)

<目次>
(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント
(2)ヘーゲル『哲学史』ロック 要約
(3)ヘーゲル『哲学史』ロック他 要約
(4)ヘーゲル『哲学史』ライプニッツ 要約
(5)ヘーゲル『哲学史』ライプニッツ他 要約
(6)改めての要約と論点の提示
(7)論点1:ロックの哲学とはどのようなものか
(8)論点2:ライプニッツの哲学とはどのようなものか
(9)論点3:形而上学の時代とはどのようなものであったか
(10)参加者の感想の紹介

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント

 我々京都弁証法認識論研究会は、昨年および今年の2年間を費やして、ヘーゲル『哲学史』の学びに取り組んでいます。3年前のヘーゲル『歴史哲学』、一昨年のシュヴェーグラー『西洋哲学史』の学びを踏まえて、この『哲学史』を通読することにより、ヘーゲルが描く哲学史の流れを理解することはもちろんのこと、それを唯物論的に捉え返すことで唯物論哲学の創出に向けた一歩を確実に進めていくことを課題としています。

 8月例会では、「悟性形而上学」(形而上学の時代)とされる時代の第二部と第三部を扱いました。具体的な哲学者としては、ロック、ライプニッツ、ヴォルフなどが取り上げられていました。今回の例会報告では、まず例会で報告されたレジュメを紹介したあと、扱った範囲の要約を4回に分けて掲載し、ついで、参加者から提起された論点について、どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に、この例会を受けての参加者の感想を紹介します。

 今回はまず、報告担当者から提示されたレジュメ、およびそのレジュメに対してなされた他メンバーからのコメントを紹介することにしましょう。


ヘーゲル『哲学史』ロック〜ドイツの通俗哲学

【1】ロックの哲学
 ヘーゲルはロックの哲学について、感覚的存在の内に真理があるとしたベーコンの考えを受けて、一般的な真理は経験から得られるとしたと述べている。ロックが、外的な対象が実在するもので真実体だと主張したことについては、意識の日常的段階に留まっているとも述べている。より詳細については、ヘーゲルは、ロックが単なる定義の道を棄て、普遍概念を演繹することを企てたことを評価するとともに、具体的経験から一般概念を析出するだけだとして、ロックの哲学が非弁証法的で、真理そのものが追及されていないと批判もしている。

 ヘーゲルはロックの『人間悟性論』を取り上げ、ロックが生得観念を否定したこと、観念の起源を経験に求めたこと、類概念が精神の産物だとしたことなどを説明した後、要するにロックにおいては、真理とは表象と事物との一致を意味するにすぎず、本来の内容それ自体に対する関心が失われてしまっていて、哲学の目的も全く忘れ去られてしまっていると批判している。ヘーゲルにとっては、真理が認識される過程よりも、真理そのものの追及こそが課題だというわけである。

<報告者コメント>
 ロックの哲学は、唯物論的認識論の土台を築いたという点で、大きく評価されるべきである。つまり、認識の大本は対象を脳細胞に反映した像である、という把握に大きく一歩を踏み出したということである。こうしたロックの哲学には、ニュートンによる万有引力の法則の発見に代表されるような、当時のイギリス社会のものの見方・考え方が大きく反映しているといえる。すなわち、人類の長い歴史の過程において、自然との相互浸透を積み重ねていく中で、徐々に徐々に対象の性質を人間が把握できるようになっていき、やがて18世紀中葉からの産業革命に通じるような、技術的な革新につながる認識が芽生え始めていたという社会的認識がロックの哲学を生んだといえるのである。実験や観察を通じて、生産力の向上に資するような発見を目指すというイギリス社会の雰囲気こそが、ロックの哲学の背景にあったのである。

 一方で、ロックの哲学の限界もしっかりと確認しておく必要がある。ヘーゲルも述べているように、ロックの真理観は、対象と認識との一致のみを問題とする機械的反映論の域を超えるものではない。ロックは「実体」に関して、単純観念を組み合わせることで頭の中で創造したものであるにもかかわらず、現実の世界にも「実体」が存在することをどのように説明するのか、説き切れていないし、認識の能動性についても説明できていない。また、これもヘーゲルが指摘しているように、真理を矮小化して、学問体系については全く念頭にないようである。
 我々は、唯物論的な認識論の基礎を創ったロックの業績やアタマの働かせ方に学びつつも、その限界をしっかりと見極め、真理や学問体系についての大きな像を創っていく必要がある。

【2】ライプニッツの哲学
 ヘーゲルはライプニッツの哲学について、ロックの哲学と対立し、スピノザの哲学とも対立するものの、両者を結合するものであると述べている。感性的存在にではなく思惟されたものに真理の本質があるとする点でロックの哲学とは対立するし、普遍的な唯一の実体ではなく変化を内に含む無数の単子をおいた点でスピノザに対立する、しかし一方で、個体的実体の多数性を主張した点はロックの哲学を継承しており、真理が思惟されたものにあるとした点でスピノザを継承していて、両者を統一したところに観念的な多数の単子がそれぞれに影響を与えることなく他から区別されて存在するというライプニッツの単子論が成立したというわけである。

 ヘーゲルは、ライプニッツの単子について、普遍的な規定であるとして、多様な運動が単一性として統一されているあり方を高く評価している。しかし、個々の単子が自立していて、互いに影響を与えないにもかかわらず、それぞれの単子が調和していることについて、結局は神を持ち出してきて、全ての矛盾を神に委ねられてしまっていることに関しては、概念的な把握に欠けるものであり、通俗的な見解であると批判しているのである。

<報告者コメント>
 ライプニッツの単子というものは、ヘーゲルの絶対精神にあと一歩のところまで迫った把握だといえるだろう。宇宙は精神的な存在である無数の単子で満たされていて、それぞれは他に影響を及ぼさない自律的存在であり、多様な運動を内に含みつつも単一性を保っているものであるというライプニッツの単子論は、絶対精神の自己運動として世界を把握したヘーゲル哲学に大きく繋がっていくものであるといえるだろう。ただ、ヘーゲルの絶対精神が「一」たる存在であるのに対して、ライプニッツの単子が「多」であり、この「多」を統一するために弁神論を持ち出し、統一を神に委ねる、すなわち矛盾を絶対的存在である神に解決させるという通俗的な見解をとってしまった点で、ヘーゲルの把握に及ばないといえるだろう。ヘーゲルにいわせれば、全てを「一」から展開して説明し、全てを「一」に収斂させる形で説くのでなければ、哲学の完成とはいえないということだろう。

 ライプニッツの単子という考え方は、彼が諸都市を遍歴し、それぞれの都市がそれぞれの違ったあり方としてそれなりに統一されているというあり方を反映したからこそ生じたものではないだろうか。当時のドイツが領邦に分裂していて混乱状態にあったことも、精神的な実体を想定する基盤となった、つまり現実世界を否定して観念の世界に逃げ込んだ(逃げ込まざるを得なかった)という結果に繋がったのではないか。

【3】形而上学の時代
 ヘーゲルは、思惟する悟性の時期の第1期として、デカルト・スピノザ、ロック、ライプニッツが活躍する形而上学の時代を取り上げている。形而上学は実体を追求するものであって、思惟と存在とを統一的に把握することを課題として発展していったものである、とヘーゲルは考えている。デカルトにおいて、「我思う、故に我あり」という形で主張された思惟と存在との統一は、スピノザの普遍的な唯一の実体である神の中に見出されるとともに、ロックにおいては感性的存在と観念との一致として把握され、さらにはライプニッツの単子論において、それなりに達成されたとヘーゲルはいう。しかし、ライプニッツの段階までにおいては、思惟と存在との対立は、神が解決するものとされただけであって、これらの対立がそれ自体の下で、理性的に解決されたのではないとヘーゲルは述べている。

<報告者コメント>
 長い中世期を経て、徐々に対象のあり方を究明しつつ自らの認識の実力を培っていった人間は、教会の権威によるのではなくて、自らの力で世界を把握していくという方向に向かうことになっていった。これがヘーゲルのいう「形而上学の時代」として現象したのであろう。感覚的な世界と、その背後にある真実在の世界とを分けて把握するとともに、それらを何としても統一して、世界全体のあり方を筋を通して把握したい、把握できるはずだという社会的認識が育ってきた時代だということである。

 そうした中において、世界の全ての存在を物質と精神という2つに括って論理的に把握できるだけの実力が人類についてきたことがこの時代の大きな特徴である。まだまだ精神がどのように物質から生じるのか(唯物論の立場)、あるいは物質がどのように精神から生じるのか(観念論の立場)という根本的な問題に関しては、神を持ち出して説明するほかなかったとはいえ、世界の把握の仕方の大きな枠組みができあがってきたことは、哲学の発展にとって非常に大きな意味があるといえるだろう。


 このレジュメに対して、ロックの哲学に関する報告者コメントにある「対象と認識との一致のみを問題とする機械的反映論」という点について、メンバーから指摘がありました。この表現だと、対象と認識の一致を真理とみなすのは機械的反映論だというように読めるが、機械的反映論に限らず、我々の立場(弁証法的唯物論の立場)でも、真理とは対象と認識の一致といえるのではないか、ということでした。対象の感覚的な現象の背後にある構造についての認識、あるいは感覚的には直接捉えられない法則性についての認識も、それが対象のあり方と合致している以上、対象と認識が一致したものとして真理性を主張できるのではないか、ということでした。

 これに関して、報告者は、「ヘーゲルがロックの真理観は『表象と事物の一致』だとして批判していることを踏まえた」と発言しましたが、指摘したメンバーは、「ヘーゲルの言う『表象と事物の一致』ということと、『思惟と存在の一致』ということとは、レベルの違うものとして捉える必要があるのではないか」と主張しました。表象と事物の一致というのは、要するに個々の事物そのものとピッタリと一致する個別的な感覚像のレベルのことであり、思惟と存在の一致というのは、この世界全体が体系性をもって存在していることを踏まえて、それとピッタリと重なり合うレベルで体系性をもった学問を構築すること、簡単に言えば、絶対精神(思惟)がこの世界全体(存在)を自分自身にほかならぬものとして自覚しきること、ということでした。ただし、どちらも唯物論的には「対象と認識の一致」だと言えるから、もう少し表現を改める必要があるのではないか、ということでした。これについては報告者も納得しました。
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<講義一覧>

 ・2010年5月例会の報告
 ・2010年6月例会の報告
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 ・交響曲の歴史を社会的認識から問う
 ・初心者に説く日本酒を見る視点
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 ・初学者に説く経済学の歴史の物語
 ・奥村宏『経済学は死んだのか』から考える経済学再生への道
 ・『秘密諜報員ベートーヴェン』から何を学ぶか
 ・時代を拓いた教師を評価する(1)――有田和正氏のユーモア教育の分析
 ・2010年7月例会報告
 ・弁証法から説く消費税増税不可避論の誤り
 ・佐村河内守『交響曲第一番』
 ・観念的二重化への道
 ・このブログの目的とは――毎日更新50日目を迎えて
 ・山登りの効用
 ・21世紀に誕生した真に交響曲の名に値する大交響曲――佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」全曲初演
 ・2010年8月例会報告
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 ・「菅・小沢対決」の歴史的な意義を問う
 ・『もしドラ』をいかに読むべきか
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 ・『寄席芸人伝』に学ぶ教師の実力養成の視点
 ・弁証法の学び方の具体を説く
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 ・わかるとはどういうことか
 ・奥村宏『徹底検証 日本の財界』を手がかりに問う「財界とは何か」
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 ・2010年11月例会報告
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 ・教育学構築につながる教育実践とは
 ・2010年12月例会報告
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 ・ベートーヴェン「第九」の歴史的位置を問う
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 ・法人税減税の必要性を問う
 ・2011年1月例会報告
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 ・われわれはどのように論文を書いているか
 ・三浦つとむ生誕100年に寄せて
 ・2011年2月例会報告:南郷継正『武道哲学講義U』読書会
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 ・東日本大震災から国家における経済のあり方を問う
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 ・2011年3月例会報告:南郷継正『武道哲学講義V』読書会
 ・新人教師に説く「子ども同士のトラブルにどう対応するか」
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』誤植一覧
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 ・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・横須賀壽子さんにお会いして
 ・続・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
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 ・ブログ毎日更新1周年を迎えてその意義を問う
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 ・続・心理療法における外在化の意義を問う
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 ・一会員による『綜合看護』2013年1号の感想
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 ・2013年3月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(前半)を読む
 ・3年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・2013年4月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(後半)を読む
 ・新自由主義における「自由」を問う
 ・2013年5月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第一部 東洋の世界(前半)を読む
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 ・言語は歴史的にどのように創出されたのか
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 ・一会員による2013年上半期の振り返り
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 ・2013年7月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』ギリシアの世界を読む
 ・2013年8月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第三部 ローマの世界を読む
 ・アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年3号の感想
 ・初任者に説く学級経営の基本
 ・カウンセリング上達過程における事例検討の意義
 ・文法家列伝:古代ギリシャ編
 ・ヒューム『政治論集』抄訳
 ・2013年9月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第四部 ゲルマンの世界を読む
 ・言語過程説から言語学史を問う
 ・2013年10月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』「第4部 ゲルマンの世界」第2篇を読む
 ・戦後日本の学力論の流れを概観する
 ・一会員による『育児の生理学』の感想
 ・文法家列伝:古代ローマ・中世編
 ・2013年11月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第4部 ゲルマンの世界 第3篇を読む
 ・古代ギリシャ経済の歴史を概観する
 ・2013年12月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』のまとめ
 ・ヘルバルト教育学の全体像を概観する
 ・年頭言:歴史を切り拓く学問の創出を目指して
 ・歴史的な岐路に立つ世界と日本を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年4号の感想
 ・一会員による2013年の振り返りと2014年の展望
 ・ヘーゲル『歴史哲学』を読む
 ・2014年1月例会報告:学問(哲学)の歴史の全体像について
 ・一会員による『学城』第10号の感想
 ・世界歴史の流れを概観する
 ・現代の言語道具説批判――言語規範とは何か
 ・2014年2月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3〜11章
 ・ヘルバルト『一般教育学』を読む
 ・新大学生へ説く「大学で何をどのように学んでいくべきか」
 ・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』学習会を振り返る
 ・『育児の認識学』は三浦認識論をいかに発展させたか――一会員による『育児の認識学』の感想
 ・2014年4月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章
 ・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
 ・文法家列伝:『ポール・ロワイヤル文法』編
 ・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
 ・道徳教育の観点から見る古代ギリシャの教育と教育思想
 ・古代ギリシャの経済思想を問う
 ・半年間の育児を振り返る
 ・2014年6月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章
 ・現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは
 ・心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想
 ・アダム・スミス「天文学史」を読む
 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
 ・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
 ・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
 ・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
 ・夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
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 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
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 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
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 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む