2016年08月21日

文法家列伝:ソシュール編(4/5)

(4)ソシュールは「ラング」を「パロール」から区別した

 前回は、ソシュールが言語の同定性(何によって同一の言語だといえるのか)をどのように考えたのかについて見ていきました。ソシュールはまず、言語を様々な色で書いた入り、彫って表したり、色々な声色で発声したりしても、それらの同一性が揺るがないことを述べ、言語の同一性の根拠は、通常の「物」の同一性のように、物理的なあり方そのものに求められるものではないと主張しました。そして、言語の同一性は、チェスの駒や毎日ある一定の時刻に出発する急行列車の同一性と同じ性質をもっていることを示唆したのでした。では、言語の同一性はなぜ、物理的なあり方そのものに根拠を求められないのか、ソシュールは次にその理由について説明していったのでした。ここで取り上げられたのが、言語の恣意性ということでした。ソシュールは、言語記号においてある概念がどのような聴覚映像に結びつくのかは恣意的であり、また、概念がどのような範囲を表すのか、聴覚映像がどのように区別されるのかについても恣意的であるため、言語が何によってできているのかという物理的なあり方そのものに言語の同一性の根拠を求められないのだと主張したのでした。では、言語の同一性は一体どこに求めるべきなのでしょうか。この問題についてソシュールは、ある言語が他の全ての言語と異なるという関係こそが、言語の同定性の根拠であると述べたのでした。

 さて今回は、ソシュールの言語理論における最大の特徴ともいえる、「ラング」と「パロール」の区別について見ていくことにしましょう。両者はともに、大雑把にいえば言語のことを意味しているのですが、両者の区別を理解するために、まずは以下のソシュールの表現を読んでみてください。ちなみに、1つ目の引用文に出てくる「ランガージュ」というのは、言語活動といった意味の用語です。

「ラング=受動的なもので集団の中に存在する。これはランガージュを組織化し、言語能力の行使に必要な道具を構成する社会的なコードである。
パロール=能動的で個人的なもの。」(p.201)


「ディスクールの要請によって口にされるすべてのもの、そして個別の操作によって、表現されるものはすべてパロールである。個人の頭脳に含まれるすべて、耳に入り自らも実践した形態とその意味の寄託、これがラングである。」(p.98)

 ここでは、「ラング」が「社会的なコード」であり「頭脳に含まれる」「組織」的なものであるのに対して、「パロール」は「個人的」であり「口にされ」「表現される」「個別」的なものであると説明されていることが分かります。端的にいえば、「ラング」は社会的・精神的・体系的なものであり、「パロール」は個人的・物質的・個別的なものであるということになります。これはどういうことかというと、ある個人が話したり書いたりする具体的な個々の音声や文字が「パロール」であって、人間の頭の中にある言語に関する社会的な決まり事の全体が「ラング」であるということです。

 両者の区別を以上のように説いた上で、ソシュールは両者の連関について以下のように述べています。

「ラングとは、ランガージュ能力の行使を個人に可能にすべく社会が採り入れた、必要な契約の総体である。パロールとは、ラングという社会契約によって自らの能力を実現する個人の行為の謂である。パロールのなかには、社会契約によって容認されたものの実現という概念がふくまれている。」(p.121)

「人が語るためにはラングの宝庫がつねに必要であるというのも事実であるが、それとは逆に、ラングに入るものはすべてまずパロールにおいて何回も試みられ、その結果、持続可能な刻印を生み出すまでくり返されたものである。ラングとはパロールによって喚起されたものの容認にすぎない。」(pp.97-98)

「個人ひとりでは決してラングに達することはないだろう。ラングはすぐれて社会的なものである。いかなる事象も、その出発点はどうあれ、それが万人の事象となる瞬間までは言語的に存在しない。」(p.120)

「ラングとパロールが、お互いを前提とし、その存在は他の存在なしにあり得ない」(p.204)

 まず1つ目の引用文では、「パロール」が「ラング」の個人的な実現であることが述べられています。頭の中にある言語に関する社会的な決まり事(「ラング」)を使って、人は話したり書いたりする、つまり音声や文字(「パロール」)を生み出すのだということです。次に2つ目と3つ目の引用文では、「ラング」が「パロール」の繰り返しによって万人が承認して初めて成立するものであることが述べられています。これは例えば、「スマートフォン」なる「ラング」は初めから存在から存在していたものではなくて、ある企業が自社製品に「スマートフォン」という名称を与え、それが繰り返し繰り返し使用される(いわば「パロール」される)ことで、一般的に多機能型携帯電話端末のことを指すようになった(「ラング」になった)という例で分かってほしいことです。以上のように、「パロール」のためには「ラング」が必要であって、「ラング」には「パロール」が必要であるという相互関係を、ソシュールは4つ目の引用文で表しているわけです。

 以上によって、ソシュールが「ラング」と「パロール」の区別と連関をどのように考えていたのかが明らかになりました。簡単にまとめておきますと、「ラング」というのは人間の頭の中にある言語に関する社会的な約束事の総体で、「パロール」は個々の人間が話したり書いたりする個別的な音声や文字のことでした。両者は相互依存関係にあり、「パロール」は「ラング」なくしては実現しませんし、「ラング」も「パロール」の繰り返しにより社会的に承認されて初めて成立するものでした。

 ここで念のため確認しておきたいことは、ソシュールが「ラング」と「パロール」の区別に関して、「ラング」=社会的、「パロール」=個人的という形で完全に割り切って把握していたわけではないということです。

「この二つの領域のうち、パロールの領域はより社会的であり、もう一方はより完全に個人的なものである。ラングは個人の貯蔵庫である。ラングに入るもの、すなわち頭の中に入るものはすべて個人的なものである。」(p.98)

 これはどういうことかというと、「ラング」は確かに言語に関する社会的な約束事なのですが、これは個人の頭脳の中にしか存在しえないという意味で個人的であるともいえるし、また「パロール」に関しても、確かに個人的な行為を意味するのですが、これは表現によって相互の意思疎通を行うためになされるものであるという意味で社会的であるともいえるのだということです。ここには、ソシュールの非常に弁証法的な思考が現れているといえるでしょう。

 さて、「ラング」と「パロール」の区別と連関を明らかにしたところで、では言語学の中心的なテーマはどちらなのかという問題が出てきます。ここで、前回、前々回に触れた、言語は記号の体系だというソシュールの言語観を思い出してほしいのです。ソシュールは、「言語が何よりもまず記号の体系である」ことは明らかだと述べていました。そして記号とは、概念が聴覚映像に結びついたものであって、「心的なものであり主体の中に存在する」ものであると述べていたのでした。このことを今回の展開と重ねてみますと、ソシュールの主張が見えてきます。つまり、「言語」が「記号の体系」だというときの「言語」は、個々の人間の頭の中にある言語に関する約束事(=概念と聴覚映像との結びつき=記号)の総体を指しているのであって、これはとりもなおさず「ラング」のことである、ということです。ソシュールは言語を記号の体系だと捉えることによって、「ラング」こそが言語学の中心的なテーマであることを示唆したのでした。このことは、「ラングの中に与えられているもののパロールによる実行は、非本質的」(p.203)という言葉からも裏打ちされています。さらにいえば、言語を音声そのもの(「パロール」)ではなく、心的記号の体系(「ラング」)だとみなしたからこそ、連載第2回で見たように、現実的な音韻の変化の法則を扱う比較言語学を批判したのだともいえるでしょう。もしかしたら、比較言語学の方法論に直観的に違和感を覚えたソシュールは、その違和感を解明する過程において、「ラング」(心的記号の体系)という着想を得て、これこそ言語学の中心的なテーマだと考えるに至ったのかもしれません。

 いずれにしても、ここで最も重要なことは、ソシュールが「ラング」を「パロール」から区別したことの意味を問うことです。ではその「ラング」を「パロール」から区別したことの意味とは何なのでしょうか。それは第1に、これは連載第2回でも説きましたが、「ラング」を言語学の中心テーマに据えることで、言語学における認識の研究の重要性を指摘したことです。「ラング」とは言語に関する社会的な約束事であって、人間の頭の中にあるものだということは繰り返し述べていますが、このことは端的にいえば、「ラング」は認識の一形態だということです。これまでの言語研究史においても(比較言語学の時代は除くとして)、言語研究は認識の研究とともに発展させていく必要があることは徐々に指摘されるようになってきていました。しかしソシュールは、これまでのように言語研究を認識の研究を媒介として深めていこうとする方向性をとったのではなくて、言語研究は認識の研究そのものだという形で、直接的に認識の研究を問題にしたのです。そしてこのことは、「ラング」という認識を「パロール」という物理的な音声や文字から区別したことによって可能となったのです。

 第2に、言語というものの性質を2つに分けて把握したことです。これまでの言語研究の歴史においては、音声や文字が言語であることは問題にならないくらい当然の前提でした。古代ギリシャにおいては、言語(音声や文字)が何を指し示すのかが問題になりましたし、中世から17世紀の『ポール・ロワイヤル文法』の時代くらいまでは、正しい言語の使い方はどのようなものかという形で言語(音声や文字)が検討されていきました。19世紀の比較歴史言語学においても、言語(音声や文字)の歴史的変遷の法則性を取り扱うことが言語学だとされていたことを見ても、言語は音声や文字であるということは当たり前のことだったのです。しかしソシュールにおいては、確かにそうしたものも言語である(「パロール」である)ことは認めつつ、そうした物理的なあり方そのものは言語の本質ではないと主張したのでした。では、音声や文字としての言語が言語の本質ではないとすると、言語とは一体何なのかという問題が出てきます。そこでソシュールは、言語とは社会的・精神的・体系的なものである、つまり「ラング」であるとして、通常、言語といわれるものにも2つの種類があることを明らかにしたのでした。

 以上見てきたように、ソシュールは言語を「ラング」と「パロール」とに二分して把握し、「ラング」の考察こそ言語の本質を明らかにするものだとして、記号の体系としての認識を言語研究の直接のテーマに据えたのでした。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 言語学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

凄いですね!書き続ける事って……
今回の記述に実力向上的量質転化化を実感しています。

ところで〜一つ質問があります!

>…「ラング」というのは人間の頭の中にある言語に関する社会的な約束事の総体で、
>「パロール」は個々の人間が話したり書いたりする個別的な音声や文字のことでした。
↑〜
↓〜
ここでの「ラング」とは「概念」、「パロール」とは「言語」、という理解で良いでしょうか?
そして、これらの弁証法的統一が「概念規定」……???







Posted by 自由びと at 2016年08月21日 07:33
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 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言