2016年07月27日

夏目漱石の中・長編小説を読む(15/16)

(15)『明暗』――改めて「現実世界」に正面から闘争を挑んでいく

 前回は、完成された漱石作品としては最後のものとなる『道草』を取り上げました。これは、漱石自身をモデルにした大学教員・健三を主人公とした作品であり、かつて縁を切ったはずの養父とのいざこざを描いたものです。この作品で重要なのは、「公平な観察者」的な視点からの健三批判(すなわち漱石の自己批判)が真剣に行われており、自分は周囲の人間よりも立派な人間なのだという思い上がりが崩壊していく過程が描かれていることです。それでもなお、物語の結末部分では、表面的に片がつけばそれでよしとする周囲の人間に対して、片が付くという現象の背後にある片づかないという構造を見究めようとする健三という対照が鮮明に浮かび上がらされているのでした。すなわち、健三(漱石)の単純な思い上がりは否定されていくものの、それでも健三(漱石)にしか果たせないであろう課題があることがハッキリと示されているのでした。

 さて、今回は、漱石の最後の作品であり、未完成のまま遺された『明暗』を取り上げることにしましょう。これは、1916年(大正5年)5月26日から12月14日まで「朝日新聞」に連載され、作者病没のため188回までで中断、1917年(大正6年)に岩波書店から刊行されたものです。

 この『明暗』は、結婚して半年あまりとなる津田由雄(30歳)とお延(23歳)の夫婦を中心に据えた物語です。津田は、上司の妻・吉川夫人の仲立ちでお延と結婚したのですが、津田にはかつて、これまた吉川夫人に紹介された清子という恋人がいました。しかし、清子はあっさりと津田を捨てて、津田の友人・関と結婚してしまったのでした。津田はこのことをお延に隠していますが、お延は、津田が何か隠していることに感づきつつあります。痔の治療で入院していた津田のもとを訪れた吉川夫人は、清子が流産してある温泉場で湯治していることを告げ、津田にその温泉場を訪ねて、清子と話をしてくるようにそそのかすのです。

 『明暗』の物語世界は、経済的な力を規準として、下層、中層、上層という三重の構造をなしています。すなわち、津田とお延の夫婦を真ん中において、金力と権力によって他人を意のままに動かそうとする上層の世界と、貧困のためにあらゆる人間的なつながりから疎外されてしまった下層の世界とが広がっているのです。上層の世界は、放漫で他人をからかうことが好きな吉川夫人によって代表されます。一方、下層の世界は、食い詰めて朝鮮に渡ろうとしている小林(津田の友人)によって代表されています。中層の世界にいる津田とお延は、上層にいる吉川夫人、および下層にいる小林によって、それぞれの立場から批判されます。『明暗』の物語世界は、中層にいる津田の視線とお延の視線に、上層からの視線と下層からの視線が交錯しつつ、全体としては「公平な観察者」的な視点で括られる、という構造をもっています。

 しかし、同じく中層の世界の住人とはいえ、津田とお延とでは、上層の世界と関わっていく姿勢において、大きな相違が見られます。津田は、自らのハッキリした意志を持たず、上層の世界の有力者にあくまで従順な姿勢を示そうとします。露骨にいえば、吉川夫人の意図通りに動くことこそが自分の社会的地位を確かなものにするのだと割り切っているのです(いささか突飛なたとえだと思われるかもしれませんが、津田と吉川夫人の関係というのは、第二次世界大戦後の日本とアメリカとの関係を彷彿とさせるものがあります)。

 これに対してお延は、「あたしはどうしても絶対に愛されてみたいの」という言葉を口にしてお秀(津田の妹)をあきれさせてしまうほどに、自己の意志を強烈にもっています。自分の意志で主体的に行動しようとするお延は、上層の世界に属する人間から見れば、金力・権力が支配する秩序(金力・権力において劣る人間は、より大きな金力・権力を持つ人間のいうことに従順に従うべきだ、という秩序)を乱しかねない存在にほかなりません。だからこそ、吉川夫人は、「まあ見ていらっしゃい、私がお延さんをもっと奥さんらしい奥さんにきっと育て上げて見せるから」(第142章)として、「お延の教育」なるものを企てるに至ったのです。とはいうものの、お延も、上層の世界にばかり視点を向けて(彼女が下層の世界に対して軽蔑以上の感情を持っていなかったことは、小林と対決する場面〔第81章〜88章〕で暗示されています)、夫から深く愛される悧巧な妻として見られたい、という虚栄心に縛られているにすぎません。ここに、お延の大きな限界が設定されています。

 さて、物語は、吉川夫人の「お延の教育」計画の一環として、津田がかつての恋人・清子のいる温泉場へと向かい、清子と再会したところで、突如として中断されてしまいます。ついに書かれることのなかった結末がどのようなものとして想定されていたのかは推測するほかありませんが、そのためには、そもそも漱石が、三重の構造をもった物語世界の提示によって、如何なる問題を追究しようとしていたのか、問われなければなりません。結論的にいえば、それは、金力や権力の横暴な支配を如何にして打破するのか、人と人との関係が金によって左右されてしまう状況を如何にして打破するのか、という問題であったと考えられるのです。なぜかといえば、これまで繰り返し確認してきたように、この問題こそが、漱石の思想的原点にほかならないからです。現実世界と自己との関わり方の難しさ――金力・権力が支配する世界と、全ての個人の自由な発展を願う自己との対決の厳しさ――を徹底して追究していった果てに、『こころ』においてついに主人公を殺してしまった漱石は、新たな物語世界の創造へと向かうために、一度、自分自身の人生を厳しい批判の目で振り返ってみなければなりませんでした。その課題を果たしたのが『道草』です(このタイトルは、新しい物語世界の創造に向かうための「道草」という意識が漱石自身にあったからだ、とも推測されます)。そして、『道草』で獲得した「公平な観察者」的な視点でもって、改めて、金力・権力が支配する世界に対して正面から闘争を挑んでいったのが、この『明暗』であったのです。

 そのようなことを踏まえるならば、ついに書かれなかった結末に向けての展開について、いくつかのポイントを指摘することができます。

 第一は、有力者のご機嫌をとることを優先し、何事にも優柔不断で煮え切らない津田がどうなるのか、という問題です。津田は、漱石が学習院での講演「私の個人主義」で熱烈に主張した「自己本位」の対極、すなわち「他人本位」を体現する人物として造形されているといえます。だとすれば、「他人本位」の津田は、何らかの出来事をきっかけに決定的に改心して「自己本位」に変わるか、「他人本位」を改められないまま破滅してしまうか、どちらかになるに違いありません。ハッキリどちらとは断言できませんが、この作品中の最重要人物というべき小林(この点については後述します)が、津田に一朝事があったとしても自分(小林)のように腹を据えた人物に早変わりすることなどできないだろう、と述べている(第158章)ことからすれば、津田は「他人本位」を改められないままに自滅してしまう可能性が高いのではないかと思われます(*)。

 第二は、漱石が金力・権力の横暴に激しい憤りを燃やしていたことからすれば、金力・権力を思いのままに操って他人を玩具のように動かして面白がる吉川夫人は、徹底して断罪されることになるであろう、ということです。少なくとも、吉川夫人の「お延の教育」計画が、吉川夫人の思惑通りに成功し、お延が奥さんらしい奥さんに育て上げられて大団円、などという結末だけは絶対にありえないでしょう。

 第三は、「自分のこうと思い込んだ人を飽くまで愛する事によって、その人に飽くまで自分を愛させなければやまない」というお延の「最後の決心」の単純な成功あるいは失敗という結末も考えにくい、ということです。お延の「最後の決心」は、本心から津田を愛するが故に出てきたものではなく、上層の世界に視線を向けつつ、悧巧な女性(妻)として認めてもらいたいという虚栄心から出てきたものにすぎないからです。漱石の思想からすれば、上層の世界における評価を気にするという「最後の決心」の前提条件そのものが崩される必要があります。とはいえ、「絶対に愛されてみたい」というお延の強い意志そのものは、積極的に肯定されるべき要素です。「絶対に愛されてみたい」という意志が、上層の世界のみを見つめる狭い視野のなかで虚栄心に絡めとられてしまうのではなく、下層の世界をも捉えるような広い視野のなかで鍛え直される過程が必要になってくるものと思われます。

 だとすれば、物語の展開上、最も重要な役割を果たすのは、小林にほかならないのではないかと考えられます。小林は、お延に対して「僕には細君がないばかりじゃないんです。何にもないんです。親も友達もないんです。つまり世の中がないんですね。もっと広く云えば人間がないんだとも云われるでしょうが」と語ります。端的には、小林は人間社会のあらゆる関係から疎外されているということですが、これは見方によっては、人間社会のあらゆるしがらみから自由であるという決定的な強味、肯定的要素であるといえるのです。社会の最下層に近いところにいる小林の視点こそが、実は、「公平な観察者」の視点に最も近いのだ、ということもできるでしょう。漱石は小林に、天の目的に動かされることこそ僕の本望だ、と語らせることによって、このことを示唆しているものと思われます。

 結論的にいえば、物語世界で複雑に絡み合った諸々の問題を片付けるためには、強い意志を持ったお延と、あらゆる社会的なしがらみから自由である小林とが、何らかの形で結びつくことがどうしても欠かせない、ということになるのです。「絶対に愛されてみたい」「誰からも愛されたい」というお延(=明)は、「せめて人に嫌われてでも見よう」という小林(=暗)と対決させられることによってこそ、「否定の否定」的に成長を遂げていくことができると思われるのです。

 『明暗』の構造と結末の問題については、改めて別稿で詳しく論じることにします。

(*)本文中では触れられなかったが、津田をあっさりと振って吉川夫人の手から逃れた清子は、津田の「他人本位」的なあり方を徹底して暴くという決定的な役割を与えられた存在だと思われる。
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 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言