2016年07月09日

心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想(2/5)

(2)将来像や「神」の立場に視点を移動させる

 本稿は,心理士である筆者が神庭純子『初学者のための『看護覚え書』(4)』(現代社)に学んで,看護師や心理士などの対人援助の専門家の上達に必須の条件を考えていく論考である。

 今回は,視点の移動という観点から本書に学んだことを認めていく。

 本書の第1章から第3章までは,看護者としての目的意識性の中身について説かれている。その中で,南郷継正先生の教育とは何かに関わる論文が引用され,目的意識性を目的意識的に捉え返すことの重要性が説かれている。その中で,結論的に次のようにまとめられている。

「すなわち,『看護者になりたい』という目的意識性を,『看護者になるために』という学びのあり方として目的意識的に捉え直すことによって,自らの意志で主体的に学びとる中身が違ってくる,ということだからなのです。それが人間の目的意識性ということであり,これは目的意識性を目的意識的に捉え直すことが,自己教育力としての差になって表れてくる,ということなのだ,としっかり分かってほしいと願っています。」(pp.59-60)


 ここでは,「○○になりたい」という目的意識性を,「○○になるために」という学びのあり方として目的意識的に捉え直すことが,主体的に学びとることにつながるのだし,自己教育力の差になって表れてくる,と説かれている。

 さらに神庭先生は,「目的意識性を『真に将来の成長につながる』ものとして目的意識的に捉え返すことの大事性」(p.72)を説いたうえで,「“観念的二重化”の実力をしっかりと身につけることが人間としての成長を導く鍵である」(p.73)として,“観念的二重化”による相互浸透の過程についても説かれている。ナイチンゲールの書簡を引用した後,神庭先生は次のように説かれている。

「ナイチンゲールの言葉から『自分がこうありたいと望む姿』に常に自分が『ある』ように努めること,それが未来のありたい自分から現在の自分を見つめるという目的意識的な問いかけ(観念的二重化)であり,それが看護者にとって大事なことであるとの指摘だと読み取ることができます。」(p.78)


 すなわち,自分がこうありたいと望む自分に常にあるべきだというナイチンゲールの指摘は,認識論的にいうならば,理想の自分に二重化して,理想の自分の視点から現在の自分を見つめるという目的意識的な問いかけなのだ,ということである。

 ここまでを少しまとめてみたい。人間は目的意識的な存在であり,必ず何らかの目的を描いて行動する存在であるが,その目的がどのようなものになるかは偶然性であり,しっかりと真に将来の成長につながるものとして,描いていく必要がある。そのためには,人間が目的意識的な存在であることを,目的意識的に捉え返す必要があるのであり,自分がこうありたいと望む将来像を目的意識的に描き,その将来像にしっかりと二重化して,そこから現在の自分を見つめ直し,現在の自分が理想の自分につながっているのかをしっかりチェックしていくべきなのである。そうしてこそ,自己教育力を高められていく。そしてこれが,理想像に観念的に二重化することによる理想像との相互浸透の過程である,ということであろう。

 このように,目的意識性を目的意識的に捉え返すということは,理想の将来の自分に視点を移動して,そこから現在の自分を眺めるということを意味するのである。そしてこれは,上達に必須の条件といえるだろう。なぜなら,目的意識性がその後の自分を規定するからであり,上達のためには,上達できるような目的意識をもつことが必要だからである。

 たとえばということで,3人の心理士の例で考えてみたい。Aさんは,中学時代に少し相談したことのあるスクールカウンセラーに憧れて心理士になり,しっかりとクライエントの気持ちに寄り添える心理士になりたいと考えている。Bさんは,うつ病の父親の担当になった病院の心理士に憧れて心理士になり,クライエントの気持ちに寄り添うだけではなく,効果的・効率的に精神疾患の治療が行える心理士になりたいと考えている。Cさんは,南郷継正先生の認識論の本を読んで南郷先生に憧れ,認識論を再措定したいと思って心理士となり,クライエントの気持ちに寄り添い,効果的・効率的な心理療法が行えるだけではなく,科学的認識論を駆使でき,あわよくばそれを発展させられる心理士になりたいと考えている。

 Aさんの場合,既に臨床を行っているので,あとはクライエントの気持ちに寄り添えるかどうかだけが問題となる。日々の面接を振り返って,「今日はあまり寄り添えなかったなあ」となれば反省して,どうすればいいかを自分で考えて,次回の面接に活かしていくことになるだろう。

 Bさんは,クライエントに寄り添えたかどうかを問題にするだけではなく,現在よりも効果的・効率的に心理療法を行えるようになるために,さまざまな研修会に参加したり,最新の方法を勉強するために専門書を購入したりすることになるだろう。学会に参加したり,事例検討会でケースを発表したりして,同じような志をもつ心理士と交流して,実力を高めていき,以前なら治療できなかったようなケースも何とか治療できるようになったり,16回かかっていたのが10回で回復させることができるようになったりしていくと考えられる。

 では,Cさんはどうであろうか。Cさんの場合は,クライエントに寄り添えたかどうかを反省し,心理療法のスキルアップの研鑽に励むのはBさんと同様であろう。それに加えて,Cさんは科学的認識論を駆使したいわけだから,当然に,その勉強をすることになる。精神疾患やその治療というのは,認識一般からすれば,特殊性だから,特殊性としてそういったものも勉強していくだろう。また,科学的認識論を発展させたいという大志をもっているわけであるから,ただ単に自分が効果的・効率的に治療できることだけに満足するのではなく,それがなぜなのかの説明をきちんと行えるように研鑽するだろうし,認識論の体系化に向けた学修も,しっかり行っていくことになるだろう。

 このように見てくると,AさんよりもBさん,BさんよりもCさんの方が,心理士としてより上達していくであろうし,より見事な心理士となるであろう。これが自己教育力の差ということになる。そしてこれがどこから来ているのかといえば,とりもなおさず各自が抱く目的意識性であるといえるだろう。Cさんの抱く目的意識には,中核にAさん的な目的意識があり,それに肉付けするようにBさん的な目的意識,さらにCさん的な目的意識が重なっているというような,三重構造になっている。このような目的意識の差が,自己教育力の差となって表れるのである。

 ちなみに,心理士は,カウンセリングや心理療法の過程で,クライエントにもしっかり自分のあるべき将来像を思い描いてもらい,そこに二重化してもらった上で,現在の自分をチェックしてもらう必要があると思う。すなわち,クライエントさんにも回復のために,目的意識を目的意識的に捉え返してもらう必要があるのである。このように,クライエントの目的意識性をターゲットとして介入を行い,クライエントの未来をクライエントのニーズに合わせていじっていくということこそが,カウンセリングであり心理療法である,といえるのではないだろうか。

 閑話休題,神庭先生は視点の移動ということに関して,次のようにも指摘されている。

「看護者としてあるべき姿を問う時のナイチンゲールの視点(観念的二重化)には,自分の目指すあるべき将来像への二重化だけでなく,また他者が自分をどう見るかどう見ているか,という二重化だけでもなく,『神が自分たちを見られる眼』への二重化があるのです。ここをみてとれればみなさんの誰にもそれに応えようとする崇高な信念がナイチンゲールをしっかりと支えているのだ,ということが理解できるのではないでしょうか。」(p.81)


 ここでは,自分のあるべき将来像への二重化や他者への二重化だけでなく,いわゆる「神」への二重化も必要である旨が説かれている。ナイチンゲールの説く自分たちを導く「神」というのは,現代の私たちにとっては理論であり法則性であると,神庭先生は説かれている。確かに,自らの実践をしっかりと理論に照らし合わせて検証することは大切であろう。

 しかしここでは,もう少し違った意味での「神」的視点への移動の重要性を考えてみたい。

 心理士が行う面接において,当然に,他者への視点の移動は重要である。相手から見て自分はどう映るのか,相手には自分の言葉がどのように理解されるのか,ということをしっかりと踏まえた上で,心理士としての介入を行っていく必要がある。しかし,面接中に必要な視点の移動はこれだけではない。心理士とクライエントとの対話を俯瞰するような視点,いってみれば「神」的な視点に移動して,対話自体を客観視することも必要となってくる。それは,対話自体を客観視できれば,現在の対話が噛み合ったものになっているかどうかのみならず,今後どのように展開していけばクライエントのニーズに応えることができるのか,より効果的・効率的にクライエントの認識を変えるにはどのようにしていけばいいのか,ということが分かってくるからである。

 こういったことは,他者が発表する事例検討会に参加したり,スーパービジョン(他者の面接に関しての個別指導)をしたりしているとよく分かる。直接自分が行っている面接ではないために,対話を客観視することができるので,より冷静に捉えることができるのである。逆からいうと,自分が行っている面接の場合は,自分特有の問いかけや,それまでの文脈に規定された問いかけのために,見えていいはずのものが見えなくなっていることも多いのである。しかし,それを俯瞰する視点から,先入見なしに眺めれば,当事者には見えていないものが見えてくることがあるのである。

 したがって,自分が面接を行っている時も,リアルタイムで「神」的な視点に移動して,自分たちの対話を客観視して,どう展開していけばいいのかを冷静に捉えてから,心理士としての自分の立場に復帰して,先の「神」的視点で考えた内容を実践していけるならば,より見事な対話が成立することになり,その面接がより効果的・効率的なものになっていくであろう。このようなことをくり返していけば,見事なる心理士として上達していけるはずである。

 以上,今回は心理士の上達に必須の条件としての視点の移動を取りあげ,あるべき将来像への視点の移動と「神」的な視点への移動について,それがいかに心理士の上達に繋がるかを考察した。

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 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言