2016年06月29日

2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明(2/10)

(2)ヘーゲル『哲学史』近代哲学の序論 要約

 前回は、京都弁証法認識論研究会の6月例会において、報告担当者から提示されたレジュメ、およびそれに対して他メンバーからなされたコメントを紹介しました。今回から4回にわたって、ヘーゲル『哲学史』の要約を紹介していくことにします。

 今回は、近代哲学についての序論部分の要約です。ここでは、近代哲学が、古代哲学の到達点たる現実の自己意識から出発して、思惟と存在(Denken und Sein)との対立を如何に宥和させるかを課題としたことが説かれています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

第3部 近代の哲学

序論

 宗教改革とともに第3期が始まる。それまで蝸牛のようにノロノロしていた精神は、魔法の長靴で走り出す。人間は自分自身を信頼し、自分の思惟そのものを、自分の知覚を、自分の内と外の感覚的自然を信頼するようになる。人間は自分の意志と行動力に目覚め、生活の土台をなす大地や自分の仕事に正義や知性が行き渡っているのをみて、喜びを感じる。目の前の世界が再び精神の関心を惹くに足るものとして現れ、思惟する精神が力を取り戻したのである。この精神は、有限な現在に敬意を払う。そのこと自体が自己意識と現在との宥和である。この敬意を出発点にして学問の努力が始まる。
 有限なものである内的な現在と外的な現在が経験によって捉えられ、知性によって一般法則へと高められる。様々な法則や力を知り、バラバラに知覚されたものを一般法則の形式に変えることが人々の努力の目標になる。世俗的なものを世俗的に裁こうとする気運が生れる一方、永遠の絶対的真理を純粋な心そのものによって認識し把握しようという気運もあった。一切は物として価値をもつのではなく、心のなかに捉えられてはじめて価値をもつ。心の内容はもはや対象的なものではない。神は彼岸にではなく精神のうちにのみあり、個人にとって最も身近なものである。
 近代の哲学は、古代の哲学が到達した原理から、すなわち、現実の自己意識(現実に存在する精神)という立場から出発する。近代の哲学は思惟の世界と存在する宇宙を分離する中世の立場を超えて、この2つの領域を対立するものと捉え、その対立を克服しようとする。したがって、主要な関心事は、対象の真理とは何かを思考することではなく、対象の思惟と把握を思惟すること、つまり、前提された客観の意識化にほかならぬ主客の統一過程を思惟することである。

 第一。思惟の現われてくる具体的な形態の考察。
 思惟はその本質からして、内面の反省によって現われる主観的なもので、存在一般と対立する。とすると、この対立を宥和させ、最高の存在において、もしくは最も抽象的な極限において宥和を捉えることが、哲学のもっぱらの関心事となる。
 真理そのものたる哲学は、16、17世紀になってようやく再登場する。それまでは、時代精神は外に向って引き裂かれ、宗教と世俗生活を2つの存在の場とし、通俗的な思考や通俗哲学の形で意識されていた。本来の哲学が登場してくると、自由な思惟のなかで思惟や自然が捉えられ、それとともに、現前する理性、物事の本質、一般法則が、思惟され把握される。それを行う主体は我々にほかならず、この主観は思惟において無限に自由であり、自立していて、いかなる権威も認めない。論理的な知性の形式をつくり上げることが大きな課題で、それに関わってくる膨大な素材は、それを拡大するより、むしろ切りすてることの方が必要とされる。学問的な探究が広がりすぎると悪無限に陥るからである。近代哲学の原理は、思惟と存在の対立を前提とする。この2側面がそれとして抽象的かつ全体的に捉えられるとき、理念は初めて本当の姿を現わす。プラトンはこの2側面を、限定と無限、一と多、単一体と多として捉えはしたが、思惟と存在という対立図式では捉えなかった。この図式は素朴なものではなく、対立の自覚の上に初めて設定されるものである。対立を克服するには思惟によるほかなく、それがすなわち統一を概念的に捉えるということである。
 統一を概念的に捉えるには2つの道がある。ひとつは経験を土台とする方向、もうひとつは内面的な思惟から出発する方向である。だから、対立の解決という点からして、哲学は2つの主要な形式――実在論的な哲学の形式と観念論的な哲学の形式――に分かれる。換言すれば、思惟の客観的な内容を知覚から引き出してくる哲学と、思惟の自立性から出発して真理へ向かう哲学とに分かれるのである。
 (a)第一の方向――実在論――は経験である。今や哲学は自己を思惟すること、および、現在的なもの(目の前にあるもの)を捉えること、と定義される。真理は現在的なもののうちに含まれるとされ、哲学的思索に類するものは経験へと追いやられる。現在的なものとは、実在の外的な自然と、政治的世界ないし主観的活動として現われる精神活動である。第一の方向をとる哲学は、まず物理的な自然の観察に向い、そこから導き出された一般法則を土台に知識を積み上げていく。次に、精神的なものの観察として、国家という精神世界に精神がどう実現されているかが問題とされ、個人間の正義、王侯に対する権利、国家間の法などのあり方が経験に基づいて探究される。
 (b)第二の方向たる観念論は、一般に内的なものから出発する。ここでは一切が思考のうちにあり、精神そのものが内容の全てである。理念そのものが対象とされ、理念から具体的内容へと向かう。第一の方向が経験から内容を汲み取るのに対して、ここではアプリオリな思惟から内容が汲み取られる。
 しかし、この2つの方向はやがて合流するものである。

 第二。近代哲学の問い。近代に特有の対立ないし内容。
 (a)神の存在を思惟によってどう推論するか。純粋な聖霊としての神と存在としての神の絶対的統一を思考で捉えること。内面的な宥和を対象的な知における宥和としてどう成立させるか。
(b)善と悪との対立。悪は絶対的な聖性や力を否定するものである。この矛盾を解決する道が求められなければならない。
(c)人間の自由と必然との対立。神だけが絶対的な決定者であるという考えは人間が自由であるという考えに対立する。第二に、人間の自由は自然が必然的に決定されているという考えに対立する。この対立は客観的にいうと目的因と作用因との対立である。
(d)人間の自由と自然の必然性の対立は、魂と肉体(物質的なもの)の結合という問題に関わってくる。物質は学問の関心の対象となるが、関心の持ち方は古代の哲学とは全く違う。近代では魂と物質の対立が意識されているが、古代では対立が意識にもたらされていない。この対立の意識は、物質を堕落したものとみなすキリスト教によってもたらされたのである。とはいえ、物質と魂の宥和を信じるのもキリスト教で、この宥和を思考によっても捉えてみせるのが学問の関心事なのである。

 第三。学問の進行の段階。
 (a)存在と思惟の統一が独自の試案として、具体性のない純粋な形式で予告される。ベーコンとベーメ。前者は経験と帰納法を出発点とし、後者は神(三位一体の汎神論)を出発点とする。
(b)形而上学的統一。本来の近代哲学はここに始まる。思惟する知性が統一の実現を目指し、純粋な思惟概念による探究がなされる。デカルトとスピノザは思惟と存在を取り上げ、ロックは形而上学的理念としての経験を取り上げ、そこにある対立を問題にする。ライプニッツのモナド(単子)は世界観の全体を表わす。しかし、彼らは形而上学の没落を目の前にして、形而上学そのものや経験論の一般理念に懐疑を表明する。
(c)実現されるべき統一がどのようなものかが意識の対象となる。原理としての統一は、認識とその内容との関係という形をとる。思惟と対象はどのように合致するのか、合致は可能なのか。カントその他の近年の哲学の内的な取り組み。

 第四。哲学者の生活の外的条件。古代の哲学者たちはそれぞれが独立の個人であり、哲学者としてひとつの階層をなし、世間とは関わりなしに生きていた。中世では、哲学に取り組んだのは聖職者であった。近代への移行期には、哲学者たちは自分と内的に闘うとともに、周囲と外的にも闘い、粗暴で不安定な生活を送った。近代になると事情は一変する。哲学的個人はもはや存在せず、哲学者がひとつの階層を形成することもない。哲学者は何らかの活動を通じて世間と交わり、他の人々と一緒になって国家内の一階層をなす。他に依存し、多と関係する存在なのである。
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 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言