2016年06月18日

コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして(1/5)

○目次
1.コメニウスの歴史的意義とは何か
2.コメニウスは平和なキリスト教社会の実現を強烈な問題意識として抱いていた
3.コメニウスは人間と教育の可能性に深い信頼を寄せていた
4.コメニウスは一般的な運動・変化・発展の法則性から教育方法を導こうとした
5.コメニウスは科学的教育学の基礎を築いた
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
1.コメニウスの歴史的意義とは何か

 今年の2月29日の日本経済新聞に次のような記事が掲載されていました。
「2006年、うつ病になって自殺した東京都西東京市立小の新任女性教員(当時25)の両親が、公務災害認定を求めた訴訟の判決で、東京地裁(吉田徹裁判長)は29日、業務が自殺の原因と認め、地方公務員災害補償基金が公務外として補償金を支払わなかった処分を取り消した。

 判決によると、女性は06年4月に採用され、2年生のクラスを担任。児童による万引きや、上履きが隠されるなどのトラブルが続き、保護者対応にも追われた。うつ病と診断されて同10月に自殺を図り、同12月に死亡した。基金は11年2月、公務外と認定した。

 吉田裁判長は、こうした出来事が新任教員にとって重い精神的負担だったが、学校側の手助けは不十分で、休んではいけないというプレッシャーを感じていたと指摘。「業務が原因でうつ病になり、正常な認識能力が阻害されて自殺に至った」と判断した。

 地方公務員の死亡やけが、病気などが公務災害と認められると、基金から本人や遺族に補償金が支払われる。

 判決後に記者会見した福岡県に住む父親(67)は「長く苦しい闘いだった。娘に早速、認められたよと報告したい」と話した。基金は「判決内容を精査して対応を検討する」とコメントした。」


 端的には、新任として2年生を担任した教員がクラスのトラブルや保護者対応に追われる中でうつ病を発症し、自殺を図ったことに関して、公務災害が認められたということです。

 改めて当時の状況を見てみると、5月に「児童が万引きを起こした」という情報を受け、保護者に連絡すると、保護者から「事実を示せ」と怒鳴られたり、6月ごろには複数の児童の靴や体操着が隠されるトラブルが発生したりしたようです。母親へのメールには「毎日夜まで保護者から電話とか入ってきたり連絡帳でほんの些細なことで苦情を受けたり…」と仕事の苦悩が記されていました。「泣きそうになる毎日だけど。。。。でも私こんな気分になるために一生懸命教師を目指したんやないんに…おかしいね」とも記されていたようです。ここでは保護者のことが中心ですが、保護者のあり方は基本的に学級のあり方に連動していますから、些細なことでも苦情を言わざるを得ないような学級の状態だったということだろうと思います。私自身、昨年度のクラスは学級崩壊の状態でしたし、過去に2年生を担任したときに苦しい状況に陥ったこともありますので、この新任の先生の苦悩は痛いほどよくわかります。こうして公務災害が認められたことは、遺族としてもよかったと思います。

 ただ、公務災害というのは、起こってしまった出来事に対するものでしかありません。そもそもこうした事態をどうやって防ぐのかをこそ考えていかなければなりません。自殺に至るようなケースはまれだとしても、同じような形で苦しんでいる新任の教員は決して少なくはありません。

 教育基本法第一条には、「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」と書かれています。つまり、平和で民主的な国家及び社会を築くために教育は行われるのであり、その担い手となるのが教師です。その教師がこのような形で自殺をしてしまうような社会では、到底まともな教育を行うことはできませんし、まともな社会を創っていくことなどできません。

 こうした問題の背後にあるものとして、教師としての専門性が確保されていないという点が挙げられるでしょう。教育は誰もが経験しているものであるだけに、誰もが何らかの見解を述べることができます。したがって、保護者が自らの考えに基づいて何らかの苦情を言ってくることになります。そうしたときに、いかなる判断でいかなる対応をしたのかを専門的な観点から述べることができるような実力が教師には求められますが、その実力が形成されていないということです。その結果、教師の社会的な権威が崩れてしまっており、教育が大きく揺らいでいるというのが日本社会の現状だと言えるでしょう。

 したがって、教員養成課程そのものを大きく問い直していかなければなりません。文部科学省は「教員養成・免許制度の現状と課題」として、以下のように述べています。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/attach/1337002.htm

「1) 平成11年の教養審第三次答申において、各大学が養成しようとする教員像を明確に持つことが必要であるとされながら、現状では、教員養成に対する明確な理念(養成する教員像)の追求・確立がなされていない大学があるなど、教職課程の履修を通じて、学生に身に付けさせるべき最小限必要な資質能力についての理解が必ずしも十分ではないこと

 2) 教職課程が専門職業人たる教員の養成を目的とするものであるという認識が、必ずしも大学の教員の間に共有されていないため、実際の科目の設定に当たり、免許法に定める「教科に関する科目」や「教職に関する科目」の趣旨が十分理解されておらず、講義概要の作成が十分でなかったり、科目間の内容の整合性・連続性が図られていないなど、教職課程の組織編成やカリキュラム編成が、必ずしも十分整備されていないこと

 3) 大学の教員の研究領域の専門性に偏した授業が多く、学校現場が抱える課題に必ずしも十分対応していないこと。また、指導方法が講義中心で、演習や実験、実習等が十分ではないほか、教職経験者が授業に当たっている例も少ないなど、実践的指導力の育成が必ずしも十分でないこと。特に修士課程に、これらの課題が見られること」


 つまり、教員養成に対する明確な理念がなく、教職課程の組織編成やカリキュラム編成が十分整備されていないこと、また実際の授業の中身も現場が抱える問題に対応していないことが課題だということです。

 特に3)で述べられていることについては、私自身の体験としても非常によくわかるものです。新卒教員として現場に立った場合、いったいどのように授業をすればよいのか、給食や掃除はどのようなシステムで行えばよいのか、子ども同士のトラブルにどう対処すればよいのかなどの問題にぶつかります。しかし、大学で学んだことはこうした具体的な問題に対して、何らの答えを与えてくれませんでした。おそらく多くの先生が同じような思いだろうと思います。

 こうなると、こうした具体的なノウハウレベルの指導法をこそしっかりと教員養成課程で教えるべきだという主張も生まれてくることになります。大学の教員養成課程のカリキュラムには「教育概論」「教育史」などの科目が存在していますが、こうしたものよりも、もっと現場で役立つノウハウこそ教えるべきだということです。もちろんそれはそれで重要ですが、果たしてそこまで言ってもいいのでしょうか。

 これは端的には、1)で指摘されているように、「教職課程の履修を通じて、学生に身に付けさせるべき最小限必要な資質能力についての理解が必ずしも十分ではない」ということに尽きるでしょう。つまり、「教育概論」「教育史」などの科目をとおして、現場に出ていく学生に何を伝えたいのかが明確にされていないということです。特に、「教育史」にかかわっては、単に過去にどのような教育が行われていたか、そして先人がどのような主張をしたかを紹介するだけでなく、それが現代にどのようにつながるのかまで明らかにしていかなければなりません。

 こうした問題意識に基づいて、本稿では「近代教授学を成立させた人物」「近代教育の祖」と呼ばれるコメニウス(1592−1670)を取り上げ、彼が教育の歴史においてどのような意義をもっているのか、そこから我々は何を学ぶべきかを明らかにしていきたいと思います。一般にコメニウスについては、「すべての人々にあらゆることを教授する技術」を提唱したとされ、そのための方法として、(文字で学ぶだけなく)子どもの感覚をとおして対象を理解させるべきだ(感覚主義)と評価されています。このようなコメニウスの主張はどのような時代背景に基づくものであったのか、また、歴史的にいかなる意味をもつものであったのかを明らかにします。

 そのために、まずコメニウスが生きた17世紀とはどのような時代だったのか、その時代においてコメニウスがどのような問題意識を抱いたのかを見ていきます。続いて、コメニウスが「すべての人々にあらゆることを教授する技術」を提唱するとして執筆した『大教授学』はどのような意味があるものだったのか、その人間観と教育方法の探求の姿勢という観点から検討していきたいと思います。
posted by kyoto.dialectic at 07:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
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 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
 ・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
 ・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
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 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
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 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
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 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
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 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
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 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
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 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて