2016年06月17日

夏目漱石の思想を問う(5/5)

(5)主体的な国民による主体的な国家として世界歴史に貢献を

 本稿は、夏目漱石没後100年という記念すべき年にあたって、漱石が生きていた時代と現代との状況の類似性を念頭におきつつ、漱石の代表的な評論ないし講演録を読んでいくことで、漱石の思想が現代日本に生きる我々に何を問いかけてくるのか、考えていくことを目的としたものでした。

 ここで、前回までの流れを簡単に振り返っておくことにしましょう。

 第一に取り上げたのは、漱石が1911年(明治44年)に和歌山で行った講演「現代日本の開化」です。この講演で漱石は、日本の開化が内発的なものでなく外発的なものであり、皮相上滑りの開化でしかないことを論じていました。日本は、幕末の開国によって突如として自らより20倍も30倍も発展した西洋文化の強烈な圧迫を受けるようになり、外からいわれるがままの形をとらなければならなくなりました。したがって、現代日本の開化というのは、地面にしっかりと足をつけて地道に一歩一歩着実に進んでいくというようなものではなく、強大な力に追い立てられるようにして「ぴょいぴょいと飛んで行く」ようなものでしかないのだ、ということでした。漱石は、日本の現代の開化を支配している波は西洋の潮流でしかないから、新しい波が外から押し寄せるたびに日本人はそのなかで食客(いそうろう)して気兼ねをしているような気持になってしまう、と説いていました。近代日本が西洋から来る潮流に翻弄されるばかりで、国家としての主体性を欠いた状況にあることを、鋭く指摘していたわけです。漱石は、現代日本の開化が著しい矛盾――外面的な華々しさと内面的な空虚さ――を抱えているがゆえに、日本が遠からず破局的な事態に直面せざるをえないことを予期していました。しかし、そうした悲劇的な結末をどうすれば避けられるのか、漱石にはまったく明らかではありませんでした。そこに漱石の大きな苦悩があったわけです。

 とはいえ、漱石は日本の国家レベルの運命を悲観しながらも、個としての日本人の生き方については、自身の痛切な経験に裏打ちされた積極的な提案をもっていました。それを展開したのが、第二に取り上げた「私の個人主義」です。これは、漱石が1914年(大正3年)、学習院輔仁会において行ったものです。この講演で漱石は、「文学とは何か」が分からずに煩悶した自身のイギリス留学の痛切な経験にも触れつつ、「自己本位」という力強い言葉でもって、「自己の個性の発展」の必要を説いていました。自己本位という言葉には、他人の言葉を受け売りにするのではなく、自分自身が本当に心の底から納得できる道を進みたい、と求め続けてきた漱石の思いが込められていたのであり、それは主体性の確立の必要性を熱く訴えるものにほかなりませんでした。重要なのは、漱石が自己本位という言葉で自己の個性の発展の重要性を力説すると同時に、他人の個性の発展も同様に尊重すべきであることを強調していたことです。これは何よりもまず、上流社会の人間による権力、金力の行使が平民の個性の自由な発展を阻んでしまうことの危険性を鋭く指摘するものにほかなりませんでした。漱石は、学習院で学ぶ上流階級の子弟に対して直接に権力、金力の自制を強く訴えたわけです。さらに漱石は、個人主義と国家主義の関係にまで説き及び、国家的道徳は個人的道徳に比べるとずっとレベルが低いと断じつつ、個人の自由を抑圧する国家主義の伸長に抗して、個人主義を断固として擁護しようとしていたのでした。

 しかし、死を目前に控えた漱石の目に映ったのは、個人主義を抑圧する国家主義の伸張という世界歴史の潮流でした。この問題を踏み込んで論じようとしたのが第三に取り上げた「点頭録」です。これは1916年(大正5年)に「朝日新聞」に連載されたものです。ここで漱石は、現に展開されつつあった「欧州戦争」(第一次世界大戦)を取り上げ、ドイツによって代表される軍国主義、国家主義がイギリスやフランスにおいて多年にわたって培養されてきた個人の自由を破壊し去るだろうか、という問題を提起していました。漱石は、イギリスやフランスがドイツ軍国主義の深刻な思想的影響を受けつつあること(精神的に敗北しつつあること)を指摘し、そもそも戦争は目的ではなく手段にすぎず、軍国主義とはその手段にすぎない戦争を上手く遂行するためのものでしかないことに注意を促していたのでした。漱石は、ドイツ軍国主義の思想的な淵源として、熱烈なドイツ統一論者にしてビスマルクの協力者であったトライチュケを取り上げ、その軍国主義の主張がドイツ統一の手段としては一定の合理性をもっていたことを認めつつ、軍国主義そのものには何の価値もないのだから統一後のドイツが軍国主義を振り回し続けるのは不合理である、と厳しく断じていました。

 以上、前回までの流れを簡単に振り返ってみました。漱石は、圧倒的な力をもった西洋に翻弄されるだけで国家としての主体性を欠いた近代日本のあり方を直視し、近代日本の発展が著しい矛盾――外面的な華々しさと内面的な空虚さ――を抱えているがゆえに、日本が遠からず破局的な事態に直面せざるをえないことを予期していました。そうしたなかでも漱石は、個々の日本人が自己の個性の自由な発展に努力すること――「自己本位」の生き方を貫くこと――への期待を語ってたのです。それは、上流階級による権力・金力の横暴を厳しく批判するとともに、個人主義と国家主義との相克において断固として個人主義を擁護しようとするものでもありました。しかし、晩年の漱石の目に映ってたのは、軍国主義・国家主義が個人主義を押しつぶしていこうとする世界歴史の潮流だったのでした。

 端的にいえば、漱石は、個としての主体性の確立を何よりも重視し、それを阻む諸々のもの(西洋文化の表面的な模倣、権力・金力の横暴、国家主義・軍国主義など)に厳しい批判の眼を向けていたのだといえます。しかし、漱石は、当時の日本、世界に如何なる問題が生じているかは鋭くつかんだものの、何故そのような問題が生じてきたのか解くことはできませんでしたし、どうすればそうした問題を克服することができるのかの展望をもつこともできませんでした。これは社会科学的な実力の問題だといえます。

 漱石の死から100年、世界はどのような道を歩んできたのでしょうか。

 漱石の死の翌年、第一次世界大戦の戦火のなかからロシア革命が起ります。これはいうまでもなく「資本主義の最高の段階としての帝国主義」(レーニン)を打倒して社会主義・共産主義を建設することを目指したものでした。そもそもマルクスが主張した共産主義は「各個人の自由な発展が、万人の自由な発展のための条件となる連合体〔Assoziation〕」(『共産党宣言』第2章)を目指すものでした。しかし、革命ロシア=ソ連では、帝国主義諸国の干渉や国際的孤立という悪条件の下、世界革命を主張するトロツキーが一国社会主義を主張するスターリンに敗れ、個人の自由を徹底して押し潰す異様な専制と抑圧の体制が築かれてしまいます。一方の帝国主義諸国の側ですが、ちょうどソ連でスターリン独裁体制が確立されたのと同時期に、世界恐慌へと突入していきます。その対応をめぐって、国家主義・軍国主義の極致ともいうべきファシズムが台頭してくるなかで世界情勢は混迷を極め、人類は2度目の世界大戦を経験することになってしまったのでした。

 第二次世界大戦後の世界では、国家権力による市場経済への介入が制度化された(社会主義への対抗上、労働者の権利擁護や社会保障の一定の充実が図られた)こともあって、資本主義経済は相対的に安定して高度成長を実現します。しかし、米ソ冷戦構造の下で核軍拡競争が繰り広げられ、局地的な戦争も繰り返されました。冷戦終結の後には地域的な紛争が頻発するようになり、ソ連崩壊によって唯一の超大国となったアメリカは、単独行動主義を強めてもきました。資本主義経済は1970代頃から低成長に移行し、階級協調の余地が狭まっていくなかで、多国籍企業の利潤追求の衝動と結びついた新自由主義の嵐が、世界中を吹き荒れるようになっていきます。21世紀に入ると資本主義経済の行きづまりはいよいよ鮮明になり、貧困と格差の著しい拡大が大きな問題として浮上してきています。一握りの強者が富を独占する一方で、多くの貧困層の子どもたちはまともな教育の機会を奪われ、個性の自由な発展の機会を奪われてしまっているのです。若者が生活のために軍隊への入隊を選ばざるを得なくなる「経済的徴兵制」と呼ばれる事態も広がっています。

 それでは、こうした世界歴史の流れのなかで、日本はどのような道を歩んできたのでしょうか。

 状況に流されるようにしてアジア侵略の拡大から対米開戦にまで押しやられていった日本は、敗戦によってアメリカの従属の下におかれることになります。日本は「議会制民主主義」の国家としての体裁を与えられますが、大元帥であった昭和天皇は、その責任を問われることなく、天皇の地位にとどまり続けます。日本は、経済的な復興だけは見事に成し遂げたといってよいものの、敗戦をみずからまともに総括することなく、ただひたすらにアメリカに従属し続けることで、国家としての主体性を完全に奪われてしまったのでした。現在の日本は、バブル崩壊以降の「失われた20年(30年)」によって経済大国としての自信を大きく傷つけられ、中国などの急速な経済発展に苛立ちを募らせているようでもあります。中国への対抗という思惑もあって、冷戦崩壊後のアメリカの世界戦略の変化(同盟諸国への軍事的負担の要求)をも利用しながら、軍事的な大国化への道を進んでいます。そのようななかで出されてきた自民党の改憲草案は、明治憲法と同じく天皇を国家元首と規定し、国防軍を創設するとともに、「公益及び公の秩序」を口実にして基本的人権を大幅に制約する道を開こうとするものなのです。

 漱石の死から100年の後に生きる我々は、各個人の自由な発展を何よりも重視し、それを阻む諸々の社会的制約と断固として闘おうとした漱石の思想を受け継ぎながら、こうした世界と日本の現実に対峙していかなければなりません。漱石の思想を現代に実らせていくためには、徹底的に原理的に思考しようとした漱石のアタマの働かせ方に真摯に学ぶとともに、残念ながら漱石には欠けていた社会科学的な実力をしっかりと培っていく必要もあります。漱石の思想を発展的に継承することで、主体的な国民として主体的な国家を建設し、人類の歴史に貢献していく――この決意を表明して、本稿を終えることにします。

(了)
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 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言