2016年06月13日

夏目漱石の思想を問う(1/5)

目次

(1)夏目漱石が現代日本に問いかけることとは
(2)「現代日本の開化」――内発的発展の重要性
(3)「私の個人主義」――主体性の確立
(4)「点頭録」――軍国主義への警鐘
(5)主体的な国民による主体的な国家として世界歴史に貢献を

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(1)夏目漱石が現代日本に問いかけることとは

 今年は、夏目漱石没後100年という記念の年にあたります(漱石は1916年〔大正5年〕12月9日、49歳でその生涯を閉じました)。漱石が社員(専属作家)を務めていた朝日新聞では、一昨年から漱石作品が再連載されるなど、漱石没後100年を記念する様々な関連事業が行われ、漱石に関する本も多く出版されています。近代日本を代表する国民的大作家としての評価を受け続けてきた漱石ですが、亡くなってから100年という記念の年を迎えて、改めて大きな注目を集めているといってよいでしょう。

 それでは、漱石作品のどういったところが、現代の我々を惹きつけるのでしょうか。

 漱石作品の特徴として一般的にどのようなことがいわれているのか確認するために、筆者の手許にある『改訂版 常用国語便覧』(浜島書店)の夏目漱石のページを開いてみましょう。そこには、「近代人の自我に鋭く迫る巨峰」というタイトルの下、「近代人の不安と孤独を描く」「エゴイズムの追究」といった言葉が散見されます。簡単にいえば、漱石作品には、人間の利己的な心の動きの醜さを深く抉るような洞察の鋭さがあり、そのことが現代に生きる我々の心をも大きく揺さぶるのだ、ということになるでしょう。「人を傷つけずにはおかぬ恐ろしいエゴイズムと、それ故に犯した罪に対する苦悩、そして死をもっての清算を、静的かつ迫真的な筆致で描いた作品」(『改訂版 常用国語便覧」)とされる『こころ』などは、そうした漱石作品のイメージを代表するものだといえます。

 しかし、ここで強調しておきたいのは、漱石によるこうした「エゴイズムの追究」は、人間の内面を徹底的に深く掘り下げていけば人間の真相に迫ることができるのだ、といった姿勢のものではなかったことです。漱石は、ただ人間の内面だけを深く掘り下げただけではなく、個々人を取り巻く日本社会がどうなっているか、さらにいえば、日本という国家を取り巻く世界全体の情勢がどうなっているか、ということに常に強い関心を持ちつづけていたのであり、そうした社会の動きが個人の心のあり方に如何なる影響を及ぼしていくことになるのか、という視点を明瞭にもっていたのでした。端的にいうならば、漱石は時代の課題に正面から応えようとする思想家としての側面をもっていたのです。

 漱石のこうした思想家としての側面は、数々の評論文や講演録に表れされています(例えば、岩波文庫の『漱石文明論集』には、それらのうちの代表的な諸篇が収録されています)。これらをじっくりと読むならば、誰しもが思想家としての漱石の実力に圧倒されるに違いありません。漱石は、時代が突きつけてくる諸々の課題に対して、自分なりの筋を見事に通して論を展開しているのです。漱石の本領はあくまでも思想家としての側面にあり、自己の思想を表現するための一手段として、小説という形態が採用されたにすぎないのではないか、という気すらしてくるほどです。

 それでは、夏目漱石が思想家として生きた時代とは、一体どういう時代だったのでしょうか。

 夏目漱石(本名:夏目金之助)は、1867年2月9日(慶応3年1月5日)、江戸の牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)に生れました。1867年といえば、大政奉還が行われた年ですから、漱石の人生は、明治維新以来の日本の近代化の歩みとまさにピッタリと重なっているわけです。その歩みとは、欧米列強からの圧力に対抗し、「富国強兵」というスローガンを掲げて、上からの近代化を急速に成し遂げていく過程にほかなりませんでした。

 薩摩・長州の出身者を中心とした藩閥政府は、神格化された天皇を頂点とした中央集権体制を構築し、国民に重い税負担を課しながら、軍事力の拡張に努めていきました。1894年の日清戦争、1904年の日露戦争に勝利したことで、日本の国際的地位は高まり、国民の間にも「一等国」意識が広がります。一方で、日清戦争、日露戦争と並行して進展した産業革命によって、恐慌や労働争議、公害など諸々の社会問題が発生してきました。日本は、これら多くの社会問題を抱えながら、1914年にヨーロッパで第一次世界大戦が勃発すると、中国大陸におけるドイツの権益を奪うことを狙って(日英同盟を口実にして)これに参戦します。こうしたなかで、普通選挙権の実現、集会・結社の自由など、明治憲法の枠内で可能なかぎりの民主化を求める「大正デモクラシー」の運動も展開されつつあったのです。

 漱石が生きた半世紀は、大よそ以上のような時代でした。社会科学の用語で端的にいえば、独占資本主義の資本輸出の動きに規定されて帝国主義が確立した時代だということになります。もう少し詳しくいうならば、帝国主義列強による世界の植民地的分割に対して、遅れてきた帝国主義国であるドイツやロシアや日本などが植民地の再分割を要求して対立が激化し、戦争にまで至ってしまった時代であり、一方で、各国の内部において資本家階級と労働者階級の対立が激化して、労働運動や社会主義運動が大きく高揚してきた時代でもありました。日本と同じく、遅れてきた帝国主義国の一員であったロシアにおいて、レーニンやトロツキーの指導の下にロシア革命(10月革命)が遂行されるのは、漱石が亡くなった翌年の1917年のことです。漱石は、こうした激動する時代的状況を見据えつつ、日本の急速な近代化が人々の心に何をもたらしているのか、国家と個人の関係はそもそも如何にあるべきなのか、といった問題について深く追究していったのでした。

 漱石の死から100年、現代の我々が生きている現代もまた、漱石が生きていた時代に劣らぬ激動の時代だといえるかもしれません。

 いま、世界の資本主義経済は深刻な行き詰まりに直面しています。各国当局が金融政策や財政政策を総動員しているにもかかわらず、リーマン・ショック以降の停滞状況を根本的に打開することはできていません。貧困と格差の拡大が著しく進行するなかで、不平等をもたらす体制への民衆の不満が大きく蓄積させられています。非常に危険なのは、こうした民衆の不満に乗じて、移民排斥など排外主義的なナショナリズムが煽られるという状況が生じていることです。

 国際関係というレベルで捉えてみるならば、第二次世界大戦後の世界の安定を曲がりなりにも体現していた「パクス・アメリカーナ」体制が崩壊過程に入っているといえます。地域紛争の頻発や中国など新興大国の台頭といった大きな変化が生じているなかで、アメリカはこれまで「世界の警察官」として一手に担ってきた軍事的負担を、同盟諸国にも分担させていこうとしています。財政危機による軍事費削減圧力が強まってきたことも、こうした動きを加速させています。

 こうした世界的な情勢の変化のなかで、2012年末に登場した第2次安倍政権は、現代版「富国強兵」とでもいうべき路線を突き進んでいます。安倍政権は、「アベノミクス」なる経済政策による日本経済の再生を掲げていますが、それは「世界で一番企業が活躍しやすい国」(2013年2月28日、安倍首相の施政方針演説)を目指そうというものにほかなりません。安倍政権は、武器輸出三原則の撤廃や防衛装備庁の設置などによる軍需産業の振興も狙いつつ、解釈改憲による集団的自衛権の行使容認、「平和安全法制」の成立を強行しました。アメリカの世界戦略の変化(同盟諸国への軍事的負担の要求)も最大限に利用しつつ、日本の軍事的な大国化を目指していこうとする思惑は明白です。さらに重大なのは、安倍首相の悲願である明文改憲のたたき台とされるであろう自民党改憲草案(2012年版)が、軽く100年以上も歴史を巻き戻してしまうような復古的な内容であるということです。自民党の改憲草案は、明治憲法と同じく天皇を国家元首と規定し、国防軍を創設するとともに、「公益及び公の秩序」を口実にして基本的人権を大幅に制約する道を開こうとしているのです。

 経済的な行き詰まりを軍事的な行動によって打開しようとし、そうした国家の政策遂行に障害となるような個人の権利は大幅に制限していこうとする――このようにみてくれば、漱石が置かれていた時代的な状況と現代の我々が置かれている時代的な状況とが驚くほど酷似していることは明らかでしょう。

 漱石没後100年という記念すべき年にあたって我々は、何よりもまず、漱石が生きていた時代と現代との状況の類似性に思いを馳せながら、時代の課題に正面から応えようとした漱石の思想家としての営為に深く学んでいくべきなのではないでしょうか。

 本稿では、以上のような問題意識を明瞭にもった上で、漱石の代表的な評論ないし講演録を読んでいくことにより、夏目漱石の思想が現代日本の我々に何を問いかけてくるのか、考えていくことにします。取り上げる作品は3つ、「現代日本の開化」(1911年〔明治44年〕、和歌山での講演)、「私の個人主義」(1914年〔大正3年〕、学習院での講演)、「点頭録」(1916年〔大正5年〕、朝日新聞に連載)です。
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 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
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 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
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 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う